第2話 勇者いじめ


『お前なら、やっていけるさ』


(あれは、どういうことだったんだろう?)


 今の一幕に思いを巡らせながら教室に戻ると、まだ数名が帰らずに残っていた。


 その中に、藤堂武志とその取り巻き二名、田代と山下がいるのを見て、悠真はとたんに憂鬱になる。

 しかも、藤堂は偉そうに悠真の席に股を広げて座り、取り巻きがそのそばに立っている。そして、悠真の姿を見ると、案の定、絡んできた。


「お、勇者様のお帰りだぜ」

「勇者さまあ」

「呪文でも使って見せてくれよ」


 何がそこまで面白いのかわからないが、ゲラゲラと笑う三人。

 周囲の無関係なクラスメート何人かが、何事かと振り返る。


「え、何のこと?」


 悠真は、素知らぬ顔で帰り支度を始めた。嫌な目に遭う前に、できるだけ早くこの場を離脱したい。

 椅子に座ったままの藤堂を避けて、引き出しの教科書を取ろうとする。

 だが、彼は己がじゃまと知りつつ、元ラグビー部の大きな図体を一ミリたりとも動かすことはしなかった。

 やむなく、机を少しずらせて中の物を取り出し、カバンに詰める。

 

「とぼけんなよ。お前、卒業したら異世界で勇者やるんだろ」

「オレ、ちゃんと見たんだぜ」


 取り巻きの一人、田代が得意気に云った。

 そこで気がついた。今朝のホームルームで進路希望調査の用紙を提出しようとしたとき、こいつが「俺が出しておいてやるよ」と言って掠め取っていったのだ。その時に盗み見たのだろう。


「進路希望にそんなの書くなんて、終わってんな、おい」

「ほんと、気持ち悪いオタクだよな、お前って」

「だ、だって、ヤマさんが好きなこと書いていいって……」


 思わず言い返して、しまった、と思うが手遅れだ。相手にしないで嵐がすぎるのを待つべきだったのに。

 藤堂が嘲るような笑いを見せた。

 

「あんなの例え話だろうが。マジで空気読めねえな、お前も」


 さらに、とんでもないことを言い出した。


「そうだ。おい、神代。今日から、お前のあだ名は勇者だ。いいな、勇者」

「おお、そりゃあいいや」

「勇者にパシらせるのもおもしれえな。『おい、勇者、ちょっとコーラ買ってこい』とか言ってよ」


 さぞかし面白いネタを見つけたかのように、盛り上がる三人。


「ちょ、ちょっと、それは勘弁してよ……」

 

 ただでさえ、クラスカーストの最下層にいる身で、そのアダ名はつらすぎる。

 別に底辺と言ってもクラス中にいじめられているわけではない。この三人組と遥以外には、石ころ同然のように扱われているだけだ。だが、悠真はそれで満足していた。


 もともと目立つのが嫌いで、一人で趣味に興じるのが好きなタイプである。 

 ゲームとラノベが自分のテリトリーだが、それ以外には、アニメと科学全般、あと、将棋も少々。ミリタリーと切手収集もたしなみ程度にフォローしている。


 昼休みや、授業の合間の休み時間は、一人でスマホゲームをするか、ラノベを読むか、これらの専門雑誌を読む。遥がいた時は、ラノベの話で盛り上がることもよくあった。そして、たまに自分と似たようなオタク系友人と話ができればそれで満足だった。


 だから、LINEもやってないし、メールのやりとりもほとんどない。むしろ、よけいな連絡が来なくて清々している。

 みんながみんな、友達百人作りたいわけでも、四六時中繋がっていたいわけでもないのだ。


 しかし、ひたすら目立たないように過ごそうとしているのに、こいつらが事あるごとにちょっかいを出してくる。

 特に遥がいなくなってからは、その傾向が顕著だった。それまでは、席が隣の彼女が防波堤の役割を果たしていたのだ。どうやら、藤堂も遥のことを憎からず思っているらしく、彼女の前では悠真をいじめたりしなかった。しかし、彼女がいなくなった以上、こいつらを止める者はない。


 周りの者たちは、面白い見世物を見るような目で眺めるだけである。


 そして、残念ながら、一人にしておいてほしいという希望を、藤堂たちに分からせる度胸も腕力も悠真にはなかった。小柄で細身であることもそうだが、もともと、こういう奴らは、逆らわない相手を見つけるのがうまい。

 まさに悠真は蛇に睨まれたカエル状態だった。


「……」


 ちらりと、遥の席に目をやる。

 彼女がいてくれればこんな目に遭わなかったのにという思いと、こんな姿を彼女に見られずにすんで良かったとの思いが交錯する。


「いいじゃねえか、なあ。いいだろう、勇者さま?」


 悠真の煮え切らない態度に苛ついたのか、おもむろに藤堂が立ち上がり、大きなガタイを揺らしながら悠真と密着するぐらいの距離で凄んでくる。

 また、あの目だ。絶対に逆らえないと知って獲物を嬲るような目つき。

 相手に呑まれ、悠真は言い返すことが出来ない。

 

「い、いや、あの……」

「はっきりしろよ、オラァ」

「わっ」


 肩を突き飛ばされて、床に倒れ込んだ。


「な、何するんだよ……」

「けっ、ちょっと手が触ったぐらいで倒れてんじゃねえよ。いじめてるみたいじゃねえか。そんなんじゃ立派な勇者になれねえぞ」

「ハハッ、ちげえねえ」

「ちゃんと修行しろよ」


 取り巻きが同調する中、藤堂が下衆な笑いを浮かべて見下ろす。

 悠真は唇を噛んで、うつむく。

 情けない気持ちでいっぱいだった。とにかく、一秒でも早くこの場から逃げたい。そして、ヤマさんから借りたゲームの続きがしたい。


 その時だった。


「おい、お前たち、何をしているんだ?」


 声の方を振り返ると、ヤマさんが教室に入ってくるところだった。

 そして、そばまでやってくる。


「藤堂。これはどういうことだ? 喧嘩か?」

「ちょっとぶつかっただけっすよ。コイツ、弱っちいんで、勝手に転んだんです」


 藤堂がなんでもない顔で言い訳する。

 取り巻きの田代と山下もヘラヘラ顔で頷いた。 


 問いかけるような顔でヤマさんが悠真を見る。

 悠真は、何も言えずうつむいた。


「……」


 ヤマさんは、その様子を見て小さくため息をつくと、藤堂たちに言った。


「……まあいい。お前たち、もう放課後だ。用がないなら下校しろ」

「分かりましたよ。別に俺たちだって、こんなやつに構いたいわけじゃねえし。おい、いくぜ」


 藤堂は、バカにしたような目で悠真を見下ろし鼻で笑うと、取り巻きと一緒に出ていった。


「……まったく。大丈夫か? ほら」


 ヤマさんが悠真に手を差し出し、引っ張り起こした。

 悠真は、尊敬しているヤマさんに情けない姿を見られ、惨めな気持ちで目をそらした。

 気がつくと、すでに他のクラスメートも帰ったようだ。


「一人で無理することはない。何かあったらいつでも先生のところに言いに来い」

「……ありがとうございます」

「じゃあ、お前も帰れよ」

「はい……」


 言いおいてヤマさんが教室を出ようと歩き出したが、途中で何かを思い出したかのように振り返った。


「なあ、神代」

「はい?」

「さっきの面談で言った話だがな。きちんと考えておいてくれよ。お前の人生がかかってるからな」

「え? それってどういう……」


 だが、ヤマさんは悠真の疑問には答えず、背中越しに軽く手を上げてそのまま出ていった。


(そんなに重要な話なのか……)


 どことなく腑に落ちない気持ちのまま、悠真はカバンを拾って教室を出たのだった。


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