小鳥遊はルールに従わない

井澤文明

小鳥遊はルールに従わない

 この世界には、遠い昔から『ルール』というものがある。

 そのルールは、例えば、

「草食動物は肉を食べてはならない」

 であったり、また逆に、

「肉食動物は草を食べてはならない」

 というものであったりする。遺伝子に刻まれている、ルールだ。

 このルールは、特に僕たち人類には躊躇に刻まれており、『ルール』と書くだけで、法律とも、道徳とも、常識とも、マニュアルとも、様々な読み方がある。他の生物に比べて、多様性がある、と僕は少なくとも、そう思っている。

 そして僕たちは、この『ルール』に従うよう、できている。そうでなければ、痛い目を見ると理解しているからだ。

 草食動物が肉を食べてはいけないように。肉食動物が草をそのまま、食べてはいけないように。


 だが、僕の友人の小鳥遊たかなしは昔から、あらゆるルールというルールを無視していた。

 あらゆるルールを無視していた、と言っても、やはり限度はある。そして、はじめの方で説明したように、社会には様々なルールが存在する。

 小鳥遊が避けているルールというのは、法律や道徳と言った類のものではなく、我々生物の遺伝子に刻まれたルール本能だ。

 例えば、僕たちは体中の水分が減ると、喉に渇きを覚える。そして水を飲み、喉を潤す。だが、小鳥遊は違った。

 彼は喉が渇くと、水を飲まなかった。

 彼は常々僕に、


「水が乾いたから、水を飲む。この一連の行動はつまり、俺たちが自分の欲望に従っているということだ。つまり、俺たちは『喉が渇いたから水を飲む』という行為を行うことによって、欲望の奴隷となってしまっているんだ」


 と言って、自分の奇行に理由をつけていた。

 欲望の奴隷。それになるのが嫌で嫌で仕方がない小鳥遊は、僕が彼と出会った当初から、水を最低限飲まず、食事をあまり口にせず、まるで熱心な宗教家のような禁欲生活を送っていた。

 何も知らぬ人間が彼に近づけば、まるで絶滅が危惧されている貴重な生き物を目にしたかのような反応をとる。いや、実際に小鳥遊は、宗教や神といった概念が薄れ始めている現代においては、かなりの貴重種だ。

 さらに驚くべきことは、彼が無神論者だという事実だ。

 禁欲生活を送っているのならば、きっと何かを信仰しているのであろうと、誰もが思ってしまう。事実、僕もそう思ってたのだ。

 だが、彼が実際に信じているのは、「神は存在しない」という思想である。彼が神を信じないのにも、きちんと理由があるようだった。

 昔一度、僕が彼に「なぜ神を信じないのか」と問いかけたことがある。その時、彼は僕に、このように聞き返した。


「君は、困った時や喜ばしいことが起きた時、何を思う?」


 どこかの神様にお願いをしたり、感謝する。それが僕の答えだった。

 僕自身、何か特定の宗教を信仰している訳ではなく、初詣や節分などの日本の伝統行事にも参加し、またクリスマスやハロウィンも祝う。だが、それでも、何かあれば心の底にいる、どこかしらの『神』に対して文句を言ったり、感謝の言葉を述べたりするのである。

 つまり、彼はこう言いたかったのだろう。

 心の底に存在する、僕たちの『神』に対する畏怖の念さえも、人間の習慣であるのだから、小鳥遊にとっては、避けなければいけない事柄なのだ。

 なんとも、不自由だな、と僕は素直に思った。


 欲望の奴隷になってしまうから、禁欲生活を自身に強い、神を信じない。なんとも窮屈で不自由だ。


「君は自分が自由であると思っているだけで、実は欲望にコントロールされているんだよ。欲望に従うと、気分がいいからね。欲望に従うと、脳から気分がよくなる物質が出てくるそうだよ。

「だけどね、君。俺はそうは思わない。俺たちは、自身の欲望に従うことによって、大事なをきっと見失っているんだ。盲目になっているんだ。喪失しているんだ。政治家が『パンとサーカス』を使って、民衆の目を政治から離すようにね」


 それが、彼の持論だった。

 だが僕には、欲望を避けようと行動していて、逆に欲望の奴隷になっているようにも見えて仕方がない。時々ネット上で見かける、過剰なアンチのようだなと、僕は最近小鳥遊を見ていて、思ってしまう。

 こんな風に、彼を批判し、少し蔑んでしまうこの心も、欲望の奴隷になってしまったことによる結果なのだろうか?

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