Nine Lives

柚城佳歩

Nine lives

オレンジの空に紺色が混ざり始める夕暮れ時。

いつもの時間、いつもの帰り道、いつもとは違う声がした。


「お兄さん、一緒に遊んでくれませんか?」


近所の小学生だろうか。

黒いパーカーのフードをすっぽりと被った子どもが、すぐ近くに立っていた。

顔は隠れていて、声だけでは性別の判断が難しい。


「えっと…、俺?」

「そうだよ、他に誰がいるの。一緒に来て」

「えぇ、ちょっと…!」


こちらの事などお構いなしに、俺の腕をぐいぐい引っ張ってどこかへと連れていく。

自分より年下の子どもを無理矢理に振りほどくのは躊躇われて、仕方なく連れられて着いた先は。


「ここは…」

「僕のお気に入りの場所」


道路の脇道を進んだ先にある、周りを木で囲まれた、少し開けた空き地だった。

正直なところ、今はここには来たくなかった。

だってここは、ついこの間死んでしまった飼い猫のシロと出逢った思い出の場所だから。


俺がまだ小さい頃に偶々見付けたこの場所で、親猫とはぐれてしまったのか、弱り切ってぐったりしている仔猫を保護した。

それがシロだった。

全身真っ黒なのに、尻尾の先だけがミルクに浸したように白かった。

だからシロという名前を付けた。


もうずっと一緒に、俺にとっては兄弟みたいに育ってきた。

いつも俺の膝に乗って甘えてきて、その柔らかな毛並みを撫でながら他愛もない話をする。

そういう何でもない時間が好きだった。


そんなかけがえのない存在が、つい一週間程前、俺の目の前でいなくなってしまったのだ。


「…ごめん、今遊ぶ気分じゃないや。他の人探してくれ」

「お願い!お兄さんがいいの、お兄さんじゃないとイヤなの!」


ごめんと断ると、思いの外必死に引き止められる。泣きそうな顔を見たら、もう少しだけ話を聞いてやってもいいかと思えた。


「うーん、でも遊ぶったって、こんな所よりも公園とかの方がいいんじゃないか?」

「ここがいいの。そして、お話をしてほしいの」

「話?」

「聞かせて、その日あった事を」

「俺の話なんて何も面白い事なんてないけど、それでもいいのか?」

「うん、それでいいの!」


この子の希望はよくわからないが、すぐに飽きられるだろうと思って了承した。

手頃な木や石に座って、本当に取り留めのない事をぽつぽつと話しているうちに、辺りはすっかり暗くなってきた。


「そろそろ帰らないと家の人が心配するんじゃないか?」

「またここに来てくれる?」

「まぁ…、気が向いたらな」

「ありがとう隆斗タカト!また明日ね」


その子は本当に嬉しそうに、手を振ってあっという間に走り去っていった。

あれ、そう言えばなんで俺の名前知ってるんだろう…。



* * *



その子と会うに当たって、簡単なルールが設けられた。


一、一週間毎日ここに来る事。

二、時間は午後五時から七時の間。

三、彼についての質問はしない事。


それから、これはルールと言うよりお願いという形で言われたのが、「もう馬鹿な真似はしない事」。


今俺は年下に馬鹿にされてるのか?

一瞬そんな考えが頭を過ったが、言葉とは裏腹に真剣な目をしていたので、これにも黙って頷いた。


歳はいくつなのか、家はどこにあるのか。

この辺もちょっとは気になりもするが、名前も教えてもらえないとあっては何かと不便だ。

そこで俺はパーカーの色から、取りあえず“クロ”と呼ぶ事にした。


「ねぇ隆斗、早くお話聞かせて!」


クロはいつもフードを被っていた。

一度、脱ぐ事を提案してみたのだが、フードの端をぎゅっと押さえて余計に深く被ってしまったので、もう言わない事にしている。


「昨日と大して変わりないぞ」


木を背凭れにして並んで座り、今日もまた何でもない話をする。

こうしていると時々、シロと過ごした日々が思い出された。

俺の膝に乗って、話を聞きながら気紛れに返事をするように鳴いたシロ。

もう満足かと撫でるのを止めると、目と尻尾で催促してきたシロ。

そんなシロの面影が、クロと重なる時があった。そんな事ある訳ないのに。


クロは自分の事を話したがらないので、俺は小さい頃の失敗談まで引っ張り出して一人話し続けた。

よくわからない変な奴のはずなのに、クロとの時間はなぜだか居心地がよかった。



* * *



気付けば約束の一週間が経った。


「隆斗、今までありがとう。僕のわがままに付き合ってくれて」

「まぁ俺も結構楽しかったよ」

「クロって呼ばれるのも嬉しかった。やっぱりネーミングセンスは安直だなぁって思ったけど」


今日のクロの言葉は、まるでもう会えないと言っているように思えた。

短い時間ではあったが、こっちは離れがたく感じているのに。


「またそのうち会えばいいだろ」


俺の言葉に、クロは小さく首を振った。


「今日で最後なんだ。最後だからね、隆斗が気になってる事教えてあげる」


そう言うと、ゆっくりとフードに手を掛けた。

ふぁさり。中から少し長めの髪の毛が流れ出る。

綺麗な黒色はその毛先だけ、まるでミルクに浸したように白くて―。


「シロ…っ!」


そんなはずないのに。

その姿は俺のよく知る面影と重なった。


「そうだよ、隆斗」


まさか、本当に?

時々、俺の事を前から知っていたような素振りを見せていたのも、名前を知っていたのも、シロと重なって見えたのも、だからなのか…?


「じゃあ何で今日まで黙ってたんだ。もっと早く教えてくれればよかったのに。会うのだって、あんなルールなんて作らずにいつでも会いに来ればよかったのに」

「会う時間を決めたのは、あの時間が逢魔が時だから。僕みたいなあやふやな存在のモノでも、はっきりと姿を見せられるんだ。

あの場所にしたのは、あそこが思い出の場所だからだよ。

僕の事を聞かないでって言ったのは、シロだって気付かれないようにする為」

「どうしてそこまで…」

「だって隆斗は優しいから。僕がシロだってわかったら、あの事故で僕が死んだ事も、自分のせいにしようとするでしょ。僕は隆斗に謝ってほしいなんてちっとも思ってない。

いつも膝に乗せて話してくれてたみたいに、またいろんな話を聞かせてほしかったんだ」


あの日。俺とシロが事故に遭った日の映像がフラッシュバックした。

夜、いつも布団に入ってくるシロが家のどこにもいなくて、まさかと思い外に出た。

近所中を走り回って漸く見付けたシロは、道路の真ん中でヘッドライトに照らされて固まっていた。

それを見た瞬間、身体が勝手に飛び出していて、腕に温もりを感じたのと同時、感じたことのない衝撃に襲われて―。


「俺、やっぱりあの時死んだのか…?」

「ねぇ隆斗。“猫に九生きゅうしょう有り”って聞いた事ある?」

「猫にきゅうしょう有り?」

「猫の中には、九つの命を持って生まれる猫がいるんだ。その猫たちは、一度死んでもまた生まれ変わる事が出来る。僕はその九生の猫なんだ。

あの日。隆斗と僕が事故に遭った日。

僕はもう戻らないつもりで家を出た。

自分の寿命は何となくわかってたから。

だから隆斗の前からいなくなったのに。

僕の事あちこち探し回ってくれて、その上道路に飛び出して動けなくなった僕を助けようとして車に一緒に轢かれちゃうんだもん。

馬鹿だよ、ほんとに馬鹿」


気付いたら病院にいて、全身隈無く検査を受けた俺は、医者にも奇跡だと言われるくらい、身体に怪我の一つすらなかった。事故の前と何ら変わらない。

シロの存在を除いては。


「もしかして、お前が何かしたのか」

「九生の猫は、九回生きる事が出来る。僕はまだ一回目だけど、初めて出逢った人間が隆斗でよかったって心の底から思ってる。

車から庇ってくれたのも、すごくすっごく嬉しかった。僕の残りの人生じかん全部あげてもいいやって思えるくらい。

だから神様にお願いしたの。

僕の残りの時間全部、隆斗にあげていいから、隆斗を助けてくださいって」

「それはどういう…」

だよ。僕のあと八回ある人生の分全部、隆斗にあげる」


俺を生き返らせる為に、シロの寿命を全部…。

そんな事をしたらシロはどうなる。


「何で勝手にそんな事したんだよ!助けてくれても、シロがいないんじゃ嬉しくなんかない」

「うん、ごめんね勝手で」


もう怒っていいのか、お礼を言ったらいいのかわからない。感情がぐちゃぐちゃになっている俺に、シロは続けた。


「残りのじかん全部あげてもいいやって思ったのは本当。だけど最後の最後で、もっと一緒にいたくもなっちゃったの」

「え…?」

「隆斗には僕の残り八回分、全部あげるつもりだったんだけど、一回分、自分に残したの。また隆斗に会いに行く為の分」

「…それじゃあ、また会えるのか?」


俺の質問に、シロはすぐには答えない。

何かを考えるようにしながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「九生の猫って言っても、一回ごとに寿命はまちまちなんだ。だから僕の寿命をあげても、もしかしたら隆斗はあんまり長くは生きられないかもしれないし、逆にすごくおじいちゃんになるまで生きられるかもしれない」

「……」

「でもね、僕、またきっと生まれてくるから。それが明日になるか、何十年後になるかはわからないけど、きっと隆斗に会いに行くから。

だから、人生のどこかでまた巡り会えたら、その時にもシロって呼んでくれる?」

「もちろんっ、当たり前だろ」

「ありがとう」


ふわりと笑った顔は、今まで見た中で一番嬉しそうで。俺も釣られて笑顔を返した。


「もう時間みたい。そろそろ行かなきゃ」


そう言ったシロの身体が小さく煌めきながら、指先から透け始めていた。


「待って、これ」


急いで携帯を取り出すと、付けていた鈴を取り外してシロに渡した。


「わぁ、ありがとう。この音好きだったんだ」

「シロ、最後に会いに来てくれてありがとう」

「僕も会えてよかった。またね、タカト」


―リンッ。

シロは薄闇に溶けるようにして消えた。

軽やかな鈴の音を残して。


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