逢魔が時の隠れんぼ

家宇治 克

鬼の八つ時……もういいかい?

 前提として、神社に祀られる神が善なるものだけとは限らない。

 菅原道真すがわらのみちざね崇徳院すとくいんなどの悪霊を、神霊として祀っているのは有名な話だ。東北には鬼を祀る地域もあるという。




 とある県のとある町には鬼を祀る神社があった。

 それも、大昔に悪逆非道を働いた残虐極まりない鬼だ。時代の進んだ今でさえ、災いが起きれば皆でその神社へ赴き、総出で神事を行う。

 そのくらい語り継がれ、恐れられた鬼神の神社があった。

 誰もが月に一度は必ず参拝していた。そうしなければ、正体不明の病に冒されてしまうからだ。

 その神社に参拝する時は、絶対に守らねばならないおきてがあった。



 鳥居を潜るときには二回、礼をすること。

 賽銭箱に必ず五円玉一枚と人型の木札を一枚入れること。

 神社内の植物を持ち帰ってはいけない。

 神社で遊ぶ時は『鬼神の八つ時』を避けること。




 そして、絶対に本殿には近づかないこと。




 神主でさえ、不用意に本殿に近づかない。一般の参拝客ならもってのほか。拝殿までしか許可のない神社の本殿を、知らない者はそう少なくない。



 ──それが子供では尚更だ。



 小学校ではとある遊びが流行っていた。

『日暮れに神社で隠れんぼをする』という、子供の考えるありきたりなだ。

 日の落ちる頃に神社に隠れ、日が落ちきる前に全員を見つけて神社から出る、というものだった。


 その日の日暮れに、小学生五人がそれをしに神社へと向かった。

 鳥居の前で四人が二回、礼をした。しかし、ショウタは礼をしなかった。

 ユウコが「ダメだよ!」とショウタを叱るが、ショウタは聞く耳を持たないばかりか、


「礼なんてしなくたって、呪いなんか受けないやい! あんなの大人が作った嘘に決まってんだ!」


と言って、あろう事か鳥居につばを吐いたのだ。

 優しいミドリがユウコをたしなめ、五人で鳥居を潜る。ひやりと冷たい空気が首筋を撫でた。

 手を清め、拝殿の賽銭箱に五円玉と木札を入れる。しかし、シュウトは五円玉しか入れなかった。


「ちゃんと木札も入れなきゃ!」


 ユウコが言うが、シュウトは顔を背けた。

「親に内緒で来たから、木札を買う小遣こづかいもらってない」

 そして「入れなくても問題ない」と言った。ユウコが「掟なんだよ」と注意するが、ヒロキがユウコを突き飛ばした。


「いちいちうっせーんだよ! ブス!」


 ユウコがやり返そうとするのをミドリが止め、五人で参拝を済ませた。




「オニ様オニ様、狐のたわむれ、目隠ししゃんせ」




 神社で遊ぶ際に、鬼神から身を守るためのまじないを唱えた。

 強い風がひとつ吹くと、子供たちはその場でジャンケンをして一気に境内に散った。

 ユウコは小さなてのひらで目を隠し、百を数える。


『────────』


 ふと何か聞こえた。

 誰かが喋ったのだろうか。よく聞こえなかった。

 ユウコは百まで数え終えると口に手を当て、



「もういいかーい?」



と叫んだ。



「……もういいよー」



 返事が返ってきた。

 ユウコは鼻息荒く、境内を探しに歩いた。

 石灯籠の裏を覗き、神木の幹を見上げる。苔むした岩の裏はどうか、社務所の周りはどうか……

 探しても探しても誰も出てこない。



 ぼちゃんっ!



 池の方から音がした。ユウコは池まで走る。

 きっと誰かが足を踏み外したのだろう。浅いとはいえ、池に落ちては隠れんぼは負けだ。


「みーっけ!」


 ユウコは声高らかに池を覗いたが、そこには誰もいなかった。波紋の真ん中で、靴が浮いていた。

 ショウタの靴だった。

「逃げて靴を落とすなんて、そそっかしいなぁ」

 ユウコは腰に手を当ててため息をつく。



『────────』



 また誰かの声がした。

 ユウコは耳を澄ませるが、その声は性別も内容も分からないまま、すぐに消えてしまった。




「ぎゃあっ!」




 叫び声が聞こえた。シュウトの声だ。

 ユウコは拝殿の前まで駆けた。池から拝殿はすぐそこだ。走って逃げても間に合わない。

 ユウコは拝殿の前に出るが早いか、「みーっけ!」と叫ぶ。

 しかし、そこにも誰もいなかった。

 ユウコは首を傾げ、シュウトを呼ぶが返事はない。変だと思った。シュウトはユウコよりも足が遅かった。だからユウコが走ってくれば、シュウトは逃げきれず、拝殿の裏へ回ったとしても体が半分は見えているはず。


 しかし、誰もいないのだ。


 ユウコは不思議そうに賽銭箱の前まで歩くと、賽銭箱に何かが引っかかっていた。

 黄色い布切れが一枚。鋭い爪に引き裂かれたような形で格子にかかっていた。シュウトが着ていた服に似た色だった。

 急にユウコの足元が冷たくなった。

 さっさと終わらせて帰ろう───ユウコは急いで拝殿の裏に回った。


 拝殿の裏には小さな摂社せっしゃがある。そこの周りは草が茂っていて格好の隠れ場所だ。

 ユウコはそれを知っていた。

 そこを探しに行くと、その摂社の前でミドリが座っていた。

 ユウコはほっとしてミドリの肩に手を置いた。ミドリは振り返ると、くしゃくしゃになった泣き顔をユウコに晒す。



「どうしたの!」



 ユウコの問いにミドリは泣きじゃくり、震える指で摂社が示した。

 ユウコは顔を上げると、摂社の扉がガタガタと鳴り出した。内側から誰かが叩いていた。



「誰か助けて! 出して! 出してくれよぉぉぉ!」



 それがヒロキのものだとすぐ分かった。

 ミドリはユウコに縋りながら「どうしよう……」と助けを求める。

 そこに強い風が吹きつけた。轟々と唸る風に混じって、怒り声がした。



『────────ッ!!』



 ユウコはミドリの手を掴んで無理やり立たせると、鳥居の方まで走り出した。

 木々が吠えるようにざわめき、水が嘆くように荒ぶる。風が神社の奥へ奥へと二人を押した。

 ユウコは負けじと風を押し返し、鳥居へと急ぐが、どんなに走っても一向に鳥居に辿り着けなかった。ミドリはしゃくりあげて言った。


「私たちもああなっちゃうのかな……」


 ユウコは断言した。「そんなことない」と。

 いなくなったのは神社の掟を破った三人だ。ミドリとユウコは破っていないのである。ならば、帰れないわけがない。

 しかしミドリは顔面蒼白で、半ば諦めていた。ユウコはミドリの手をしかと握っていた。小石が当たろうが風が薙ぐように吹こうが離さなかった。

 ようやく鳥居が近づいた。眼前に迫る救いにユウコはミドリの方を振り向いた。


 ミドリの泣きじゃくる顔の後ろ、そこに黒い影が伸びていた。ちらちらと揺れる炎のようにミドリの顔を飲み込んだ。ミドリの髪から白い花が散った。

 そこで気がついた。



 ミドリは花を摘んでしまったのだと───



「あ─────」


 ユウコの手が力を緩めた。その瞬間、ミドリは影に飲み込まれて消えた。

 ユウコはその場にへたり込むと、呆然として落ちゆく夕陽を見つめていた。

 紫色に染まる空に、どこかの鐘が鳴り響く。

 ユウコは早く帰ろうと、下を向いたまま鳥居の一歩先へと足を踏み出した。




『掟ヲ破ッタナァ──?』




 ユウコが顔を上げると、真っ赤にそびえるやしろがあった。開け放たれた扉の先には御簾みすがあり、さらにその向こうで誰かが胡座あぐらをかいていた。

 目を奪われるほど美しい社、これが本殿だとユウコは直感した。


 ああ、なんということだろうか。こんな失敗をするなんて──



 ユウコは道を間違えていた。殿



 早く逃げたいのに体が言うことを聞かない。足がすくみ、背筋は凍るようだ。目を離したいのに離せない。




 真っ黒な鬼が、ユウコをじぃっと見ていた。




 ユウコはぐにゃりと曲がる世界で最後の声を聞いた。それはとても低く、人間が出せる声ではない、酷く歪んだ声だった。





『ダカラ掟ガアッタノニ───……』





『六月二十五日 朝刊』

 昨日 午後七時頃、子供たちが帰ってこないと通報があった。目撃情報のあった『──神社』を捜索したところ、子供の一部と見られる髪や衣服が見つかり、神主が本殿を調べた結果、子供五人の骨が見つかった。

 警察は殺人と呪いの両面から捜査を続けている。

 神主が「今一度、確認して欲しいことがある」と忠告をした。



「『鬼の八つ時』は『逢魔おうまどき』である」と。

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