第8話 そのとき、きっと僕達は同じ景色を見ていた

「本当、驚きましたよ。ここを通りがかったとき。小さな溜息みたいな声なのに、雨の音に掻き消されず、やけにはっきり聞こえてきましたからね。まさか心の声だとは思っていませんでしたが」


 そう零して、僕と一緒に足を止めて路地を見つめていた勇者は、「懐かしいですね」と口を動かした。

 僕は、そんな彼の方へゆっくりと視線を移す。砂色の目は、ここであって、それでいて、どこか遠い場所をみているようだ。

 相変わらず、表情も声音も無味なんだよな……この勇者は。

 けれど、僕達はこの陽の光から逃げ出したような影の落ちる場所に、同じ景色を───あの日の雨の景色を重ね見ているのだと、なんとなくそう思った。


 彼とは、もうしばらくの付き合いになるけれど、僕のことを出会う前から知っていたような素振りは、全くみられなかった。

 そして、僕の方も、すべてとはいえないが泡のように少しずつ思い出してきた記憶の中に、彼と思しい人物はでてきていない。ここまでくればやはり、出会ったあの日に感じた既視感は、こちらの気のせいなのだろう。


”あの日、勇者が気づいてくれなかったら、僕は行き倒れていたよね。見つけてくれて、よかった。ありがとう”

「はは、改まってお礼を言われると、変な感じですね。こちらこそ、君と出会わなかったら……きっと……」


 一度、何か言いかけてやめるみたいに口を噤んでから、少し自嘲的な笑みを浮かべた。


「きっと、本当の『勇者』になろうなんて、馬鹿なこと願わなかったでしょうね」


 彼は、勇者学校を卒業している『勇者』だが、もっと正確にいえば、勇者学校の問題児という云わば汚名を背負った『即死勇者』なのだった。

 『勇者』であれば、白いポロシャツに薄茶のズボンなんていう、絵に描いたような『村人A』の恰好で生活しているはずがない。もっと高価で貴重な装備に身を包み、行く先々で人々に期待と信頼、羨望の眼差しを受けていることだろう。決して笑顔を振りまくタイプではないけれど、勇者の顔は美しい造形をしている。気怠さを帯びた目が、時々儚くも見える。まぁ……彼の内面は……儚さとは程遠く、むしろ図太いといえる。


 『即死勇者』である彼は、『勇者』同様の厳しい試練に耐え抜いた身でありながら、強い力を持ちながら、国からその存在価値をほとんど認められず、生活を保障してもらえない。攫われた王女様を助けるべく国から任命を受けて魔王城へ行こうというときでさえ、こうして自分でギルドへ仕事を引き受けに出かけて、金を稼がなければ、食べ物や武器も手に入らない。   

 いや、それだけならまだいい方だ。『即死勇者』をよく思わない人間は多く、彼らから手酷い仕打ちを受けることもある。特に、勇者学校の関係者やその親族から。

 勇者はそういった苦労を僕に見せないようにしているようだけれど、数えるほどしか町へ出かけていない僕でさえ、その時に見聞きしてきた情報だけで、なんとなく察しがついてしまう。

 何より、今……彼が武器や防具を一切持っていないのは、出発の儀で国に取り上げられたからなのである。


 そんな勇者は出発の儀の場で、「自分の『即死勇者』の称号を『勇者』に変えるという願いを、お姫様を助け出したときの褒美として叶えてほしい」と王様に申告してきたという。まさに、この先の人生を全く新しいものに変えるような願いだ。


 勇者学校で勇者がどんな日々を送って、『即死勇者』になったのか、僕は知らない。だが、きっと彼は悪くない。そう信じられる。あの日、救ってもらった恩もあるし、悪いことをするような人間でないことは、積み重ねた日々が証明している。


”僕は……馬鹿な夢だなんて、思わない。だから……”


 だから、僕は勇者のその願いを叶えるまで見届けたくて、心の底から願った。


”まず、剣を買うお金だけでも稼ごう。生きて帰ろう、勇者”

「ええ、そうですね」


 勇者の平坦な表情から繰り出される、抑揚や緊張感のない声。出会った当初は、彼が何を考えているのか分からなさすぎて、心に小さな棘が生えそうになったこともあった。けれど今は、僕の恐怖を羽箒のように取り払う、ふしぎと優しい響きにさえ聞こえる。慣れたものだ。



 一瞬、お城かと思うような白い豪邸の庭先が見えてきたのは、それから歩いてまもなくのことだった。




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即死勇者 シノノメヨシノ @shinonomeyoshino

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