第2話 出発日の朝はいつもと変りなく穏やかだった

 鳥のさえずり。穏やかな朝を迎える。

 僕はうっすらと目を開けて一息ついたあと、目を閉じて寝返りをうった。

 もう少しだけ寝ていたい。布団の中の心地よいあたたかさは、他の何にも代えがたい幸せだった。


 トントントン…。


 階段を昇ってくる音がする。

 ────ああ、彼ももう起きている、そんな時間か?

 ぼんやりと思ううちに乱暴にドアが開き、ガシャンと何かを下に置く音がする。少し遅れて、トプンと水面が波打つような音が…。


”?!”


 僕は飛び起きた。ちょうどその瞬間、閉じられていたカーテンが開き、光が僕の身体を貫く。慌てて布団を盾にして、辺りの様子をうかがった。窓際に立っている彼を恨みがましく睨みつけてやる。


「あー、やっと起きましたか。カーテン開ければ起きるんだったらこれから君を起こす時はそうしようかな」


 いつもは僕よりも起きるのが遅く髪もボサボサの男が、金髪を綺麗に整えた状態でカーテンを束ねながらひとりごちた。

 

 違う。僕が起きたのはそういうわけじゃない。起き抜けにカーテンを急に開けられたら、逆に布団に潜り込む方だ。

 僕は視線を彼が床に置いたものに注いだ。そこには、水のたっぷり入ったバケツがある。


「あー、それで起こそうと思ったんですけど、君が本を抱えて寝ていたの思い出してどうしようかなぁと思いました」


 全身びしょ濡れになるだなんて、想像するだけでも恐ろしい。


「そーですねー、この水……また持って下に降りるのも面倒だし。そうだ、花にでもやりますか」


 彼は面倒くさそうに片目の下に指をあててからそう言いベランダに出ると、丁寧に並んだ鉢植えの端から無造作にザバーッと滝水のようにバケツの水をぶっかけ始めた。容赦ない。いや、加減を知らないようだ。

 かわいそうに、そんなに勢いをつけたら、土が抉れてしまうだろう。花が流れてしまうだろう。僕がこまめに水やりをして育てていた小さな楽園は、案の定、大惨事だ。綺麗な花々は根ごと住処から追い出され、泥水まみれになっていく。


「すみません、従者くん。やっぱり、小さい命の扱いは君の方が良かったみたいです」

”……そうだね”


 珍しく反省の色をみせる彼に、怒る気持ちも湧いてこない。

 途中から足元の泥を流すのに水を使い始めた彼を見つめながら、僕は考えていた。

 ……何か、変だ。

 そして、その違和感に気づく。


”ねぇ、部屋が片付いてるんだけど”

「え?ああ、片付けましたけど」

”今日は朝早いね?”

「そうですか?ああ、まぁいつもよりは5時間くらい早起きですかね」

”……何かあった?”


 その言葉に、彼はぴたりと動きを止めた。しばらくの沈黙。

 後ろ姿の彼からは何の情報も得られない。彼が今、何を思っているのか、わからない。

 ……ずるい。

 彼にこちらの考えは、ほぼ筒抜けなのに。


「従者君。そういえば、話してませんでしたね」

”うん?”

「昨日、魔王が王女をさらっていったっていう話」

”うん、聞いてな……え??”


 初耳だ。


”……魔王復活の赤い月が昇ってないよ?”


 魔王が目を覚ます時、100年に一度だけ、月が赤く染まるのだ。

 それが、合図のはずなのに、僕はまだ赤い月を見てなどいない。


「うーん、それは僕もひっかかりますけど、とにかく町中大騒ぎですよ」

”そうだったんだ……”

「ええ、だから、お昼には王様に謁見して、僕たちも出かけましょう」


 まるで、ピクニックにでも行くような自然な口ぶりで。

 金髪の彼はとんでもないことを言っている。


 その表情は一見すると無表情に近いけれど、結構長い間一緒にいる僕にはわかる機微。

 きっと彼は、笑っている。


”出かけるって”

「そう、魔王城です」


 ……ああ、寝ぼけていたから忘れてた。

 彼は勇者だった……。


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