即死勇者

シノノメヨシノ

第1話 冷たい床に散る青い薔薇

「君と出会っていなかったら、きっと僕はいつもと変わらない日々を送って……。

そして何も知らないまま、望まないまま……この命を絶ち切れたかもしれないのに」


 いつも、どこか気怠さと憂いを帯びていた、砂色の目。陽が照り付ける透明な海の浅瀬の砂みたいな優しい色。君は、汚い色だと卑下していたけれど、初めて見た時から、とても美しい色だと思っていた。


 今、僕を見つめるその目は、深い深い絶望に淀み、虚ろな心に巣食う靄のように暗い闇を帯びている。散らばる鏡の破片のすべてが、悲しみを映しだしていた。


 いつも、真面目なんだか不真面目なんだか何を考えているか分からない抑揚のない君の声は、掴みどころがないのに、ふしぎとあたたかくて、心地よかったけれど。今、僕に語り掛けてくる声は、涙も涸れ果て、それでも込みあげてくるものを抑えきれないように、息も絶え絶えに、震えている。


”嫌…嫌だ…。やめて。そんな顔をしないでくれ…。それ以上、言わないでくれ…”


 僕は心の中で叫び、訴えるが、もうこの声は君に届いていないようだった。


 左目は、もう見えない。まだ魔力が残っている右目が目の前の光景を映し出していたが、やがて溢れ出す透明な雫によって揺らぎ始める。涙は黒く乾いた鉱石のような頬を滑り、音もなく床を湿らせてゆく。


 声が出ない。喉を空気が出入りする度、強張った肺が微かに胸を上下させるのみである。体は重い岩で押し潰されているように、動かない。首を振って、意思を伝えることもできない。指先一つ、浮かせる力が入らない。


 それでも僕は手を伸ばして彼を止めたかった。できることなら、震える手に握られた銀色のナイフを弾いて、そのまま頬を引っぱたいて、そして、抱きしめてあげたかった。


 パキリと硝子にヒビの入るような音がして、次の瞬間、僕の黒く変色した指先は粉々に砕け散る。最後の煌めきのように仄かに光を帯びた欠片が青い薔薇の花びらに変わり、冷たい石畳の床にはらりと落ちた。痛みは既に感じなくなっている。


 僕は自分の青い花びらに囲まれ、人の姿を辛うじて保ちながら終わりを迎えようとしていた。


「こんな気持ちになる前に、早く…気づけばよかった」


 酷く優しく、寂しい声が聞こえる。


 嫌だ。


 嫌だ。

 

 崩れ落ちた天井から差し込む青白い月明かりに照らされて、刃が光る。


「おやすみなさい、従者くん」


 幼い子どもを寝かしつけるような甘く優しい口調とは裏腹に、勇者は首に宛がった刃を力強く引いた。


 目の前が赤に染まる。

 血だまりの中に、勇者が力なく倒れる音が、深閑とした廊下に空しく響いた。


 もう嫌だ……。これ以上、見たくない…。


 取り残された僕は、これが全て夢であったらいいのにと祈りを込めて目を閉じ、涙でぐちゃぐちゃになった心を捨てて、重く生暖かい暗闇に沈んでいく意識に身を任せた。





 


 


 

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