その「普通」は本当に「普通」?
ある冬、一泊二日で東京に行った。
一日目の午後六時前、ユニコーンガンダム像を見終えた。徒歩でショッピングセンター「アクアシティお台場」に移動した。そこで夕食を食べることになっていた。何を食べるか、一分程意見を出し合った。インド料理店でカレーを食べることになった。
店内に入って席についた。私と両親と弟がそれぞれ食べたいカレーを注文した。タンドリーチキンなどのサイドメニューと合わせて。
料理を待っている間に、店内や窓の外を見ていた。私たち以外に二、三組の客がいた。彼らは皆、顔が赤茶色だった。多分インド人だろう。
ある一つの疑問が頭に浮かんだ。
「何故インド人が日本のインド料理店で食事をするのだろう。カレーなら帰ってから食べればいいのに」
この疑問は、翌日になったらすっかり忘れていた。
思い出したきっかけは、新聞のコラムだった。
日付も本題も忘れたが、部分的な内容は覚えている。そのコラムによると、インド人は海外に行っても食べ慣れた味を求める傾向があるらしい。
その記述から、お台場での疑問を思い出した。そしてなんとなく納得できた。彼らの考えは私とは違うのだ。
私は、旅行ではその土地の物を食べたいと思う。そうは思わない人もいる。国が違えば環境も文化も全く違う。旅行先でもいつも通りの物を食べたい人もいるだろう。
私は、無意識の内に自身の傾向を普通だと思っていたのだ。
私は、人とあまり話をしない。旅行に関する雑誌も読まない。「旅行先で何を食べたか」などと人に訊いたことはない。雑誌のアンケートも見ない。自身が日本人の多数派か少数派かも分からない。国内で普通でも、外国では違うかもしれない。そんなことは全く意識していなかった。
私は、自分の基準でしか物事を見ることが出来ないようだ。「人は自分の基準で周りを見る生き物である」。本で読んで知っているつもりだった。しかし実感するのは難しかった。当たり前のこと程見逃しやすいのかもしれない。
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