誰もが知ってる三秒ルール

楠秋生

初デートのお弁当タイム

「ちょっ! おまっ! 何拾ってんだよ! んなもん口に入れるな!」

「かまわないよー。三秒ルールじゃん」


 俺の注意なんて全く気にも止めず、千明はベンチに落としたパンにふうっと息を吹きかけて、ぱくりと口に放りこんだ。隣家に住むこいつは、小さい頃から無頓着なやつだったけど、高校生になってまでこんなことをするとは。しかも、中学から私立のお嬢様学校に通っているのに。だからそんなころころ丸くなるんだよ。


「弘樹は神経質過ぎるよ。そう思わない?」


 もぐもぐとサンドイッチを咀嚼しつつ隣の早苗ちゃんに同意を求める。千明を通して先週からつきあうことになった俺の彼女だ。実は通学中のホームでいつもチェックしていたマドンナ。まさかの相思相愛で今日は初デート。

 それなのに千明と、千明を紹介しろとうるさい徹也までついてきたのだ。

 

「ダブルデートでいいじゃん」


 てかお前らまだカップルじゃねーだろ。


「天気良さそうだから、ゆーえんちがいいなぁ」


 と邪魔者二人の意見で、四人で遊園地に来ることになったのだ。


 予想外に嬉しかったのは、手作り弁当! 初っぱなから早苗ちゃんの手料理が食べれるなんて! 


「あんまり上手じゃないんだけど」


 と遠慮がちに広げる仕種も可愛らしい。それに比べて落としたものを平気で食べる千明って……。徹也、ホントにこんなやつでいいのか?


「あー、そうそう、こいつちょっと神経質過ぎるところあるよな」


 早苗ちゃんが返答に困っていると、横から徹也が口をはさむ。


「そうでしょー。ちっちゃいときからそうなのよ。男のくせに細かいこと気にしすぎ」

「見た目はチャラチャラしてんのにな」

「早苗、こんなのでホントにいいの?」

「めんどくさいかもしんないぞ?」


 おいおい、俺のことで意気投合してもかまわないが、早苗ちゃんに余計なこと吹き込むな!


「前に聞いたことあるんだけど、九割近くの人が、落としたものを食べたことがあるらしいよ?」

「どこ情報だよ、それ。それって、子どもの頃に一度くらい経験したとかも含まれてるんじゃないのか?」


 千明の言うことなんて信じられない。


「あの、もしかして賞味期限過ぎてたら食べない人?」


 こりすのように可愛らしく、小首を傾げて早苗ちゃんがきいてきた。


「え、勿論食べないけど」

「えー! そんな勿体ないことするなよ」

「賞味期限切れ販売店ってのもあるの、知らないの?」


 千明と徹也が声を大にする。


「えっ!? それって違法じゃねえの?」

「食品衛生法では禁止されてないの。ダメなのは、消費期限が過ぎてるものだよ」

「それってどう違うんだ?」

「消費期限は、生ものとか傷みやすいもので、つまり腐っちゃうもの。賞味期限は、過ぎたら味のほしょうはしませんよ、っていうものだから、食べても問題なし!」

「ほんとかよー?」


 この二人はは気が合いそうだ。何でも食べそうだし。そこへいくと早苗ちゃんは……あれ? この話ふったの、彼女だ。


「え、と、私もへっちゃらなんだけど……」


 遠慮がちに小さな声で口ごもりつつ、上目遣いでこっちを見る。

 そ、そうなのか。

 

「消費期限過ぎてたって、売ったらダメかもしれないけと、傷んでなきゃへっちゃらだよ」


 千明がまたおかしなことを言いだしたぞ?


「消費期限は過ぎてたら駄目だろー。さっき、腐るものって言ってたじゃんか」

「期限なんてあくまで目安だろ?」

「いや、表示されてるのって大事じゃないか!?」

「じゃあ、消費期限内なら、明らかに腐ってても食べるわけ?」

「そんなわけないだろ」

「でしょ? 最終的判断は自分ですればいいのよ。モチロン自己責任で」

「こえーよ」

「その食べ物の置かれてる環境によって腐るまでの時間なんて変わってくるんだから、一概にはいえないって言ってるの」


 口ははさんでこないけど、早苗ちゃんも二人の意見に頷いてる。

 えー!? 気にするの俺だけ? 

 あまりの衝撃に、口に運びかけていた卵焼きを落としてしまう。

 じっとそれを見つめる。早苗ちゃんが作ってくれた卵焼き。俺が甘めが好きだと千明から聞いて作ったという卵焼き。

 いつもなら絶対に拾ったりしないけど……。

 落とした卵焼きを食べてみようとする。


「や、ちょっと待って。それは」

「三秒ルールなんだろ?」

「もっと融通をきかせようよ。そんな柔らかくって湿ってるもの、明らかにバイ菌をくっつけそうでしょ。ゴミもさ」

「三秒って時間はホントはあんまり意味ないらしいぞ?」

「さっき、こいつが言ったじゃんか」

「落とした物と場所に問題があって、ダメなものは三秒でも駄目だし、大丈夫なものは三十秒たっても大丈夫って聞いたことがある」


 徹也が眼鏡をくいっとあげて、知った風な口をきく。こいつ、見た目だけはインテリ風だからな。千明は……落ちるな、きっと。


「へぇ! よく知ってるね!」


 案の定、くいついた。


「おにぎり論争ってのもあるだろ?」

「ああ、素手で握るか、ラップとかビニール手袋を使うかっていうやつよね?」

「掌の常在菌がいいのよね」

「そうそう、俺は味も違う気がするし、絶対に素手がいいんだけど、弘樹は?」


 もちろんラップ派! と言いたいところだが……。この流れからいくと、三人は素手派なんだろう。そしてこの目の前のお弁当に入っているおにぎりは、早苗ちゃんが素手で握ってくれたものなんだろうな。


「俺は……」

「あー、ラップ派なんだけど、早苗の手前素手派にしようってやつね!」


 おい、勝手に言うな! ……その通りだけど。


「お得意の、想像してみなよ。早苗が、素手でちょんちょんって塩をつけて握るんだよ?」


 千明がにたにた笑みを浮かべながら言う。


「大体さぁ、素手がダメっていうなら、大好きな早苗の、この指に、ちゅっとかもできないんじゃない?」


 隣の早苗ちゃんの手をとり、口づけるふりをする。途端に真っ赤になる早苗ちゃん。これまた可愛い。

 モチロンその手に口づけるのに何の抵抗もあるもんか。ってか、いつまでも握るなよ。


「千明ちゃん、弘樹が睨んでるよ。キスならここにいくらでもどうぞ」


 千明は差し出された徹也の手を無視して次のおにぎりを頬張る。


「今の子どもはさぁ、小さい頃から除菌除菌って言われて育つじゃん? なんか無菌過ぎて弱っちいんじゃないかって思うなぁ」


 こいつは実際 サバイバルになると一番生き残る力はありそうだ。


「それは確かに思うな」


 さっき無視されたことなど気にもかけず、徹也が相槌をうつ。お茶をすする姿がじじくさいぞ。


「これからの子育てって、大変そうだよね」


 ベンチの足元に転がってきたボールを拾い、走ってきた小さい子どもに投げ返すと、早苗ちゃんがポツリと言った。


「お、もうはや子どもの話? 気が早いね~」

「もう、何言ってんのよ!」

「早苗は子ども好きだもんね」

「俺も好きだよ! 千明さんとの子どもならなおさら!」

「でもホントに大変そう」


 徹也、またしてもスルーされる。


 子どもかぁ。まだ相手もいない……いなかったから、全く考えたことなかったなぁ。女子は今頃から考えてるのか。


 早苗ちゃんの子どもかぁ。可愛いだろうなぁ。でも、未来の子どもたちの頃には、今よりもっと除菌とか厳しくなってホントに大変そうだ。

 近未来、か。



  🔹 🔹



「早苗おばあちゃん。その野菜、土がついているじゃないの。もしかして、ホントに土で育てた野菜なの?」


 引っ越してきたばかりの我が家で近所の人を呼んでホームパーティを開いた。やってきた若い主婦が、不思議なものを見るような目で土つきの野菜を見ている。


「ええ、家族には身体にいいものを食べさせたいもの」

「汚いじゃない。気持ち悪くないの?」


 米、野菜が全て水耕栽培に切り替わり、一部の物好きだけが土で作物を栽培するようになって三十年がたとうとしている。土で育てた作物を汚いと思う感覚。それが普通になってしまった。食材はすべて洗剤で洗い、除菌スプレーをかけてから調理する。勿論素手で食材に触るなどもっての他だ。


「えっと、あの……。テーブルに並んでいるお料理はもしかして……」


 皮を剥こうと林檎にで触ろうとした早苗を見て、別の主婦が顔を歪ませる。


「すみませんが、あの、ちょっと用事が出来まして……」

人たちがいるというのは、聞いたことがあったんですけど、私は遠慮させてもらいます」

「私も失礼します」


 主婦たちは口々に言い訳を述べて、帰っていった。

 人というのは、素手で調理をする人のことだろう。

 あの人たちには、落ちたものを食べるなんて発想は全く起こらないんだろうな。きちんと皿に乗っていてさえ、これなんだから。


「ここでもまた変人扱いだな」

「まぁいいでしょう。あなたがわかってくれてたらそれでいいもの」


 今はまだ発表されていないが、どんなことが起こっても生き抜いていける耐性人間と、絶滅していく軟弱人間とに別れつつあるということがひそかに囁かれ始めている。


 ずいぶん昔、三秒ルールのことで話をしたのを思い出す。あのとき話を聞いていなかったら私も絶滅していく側だっただろう。



  🔹 🔹



 書いたストーリーを三人のスマホに送る。


「こんな未来になるかもしれないってことか?」


 三人が読み終えた頃を見計らって声をかける。


「ありえない未来でもないってのが怖いよな」

「いや、あんたのその妄想力には脱帽するけどさ、設定が笑えるんだけど。早苗との将来が決定済みって!」


 それは、確かに迷ったところだけど、まぁ、そうなればいいかな、という希望を込めて。ドキドキしながら早苗ちゃんの反応をみる。


「私もそこの部分はそうなったら嬉しい」


 頬を染めてはにかみながら言う早苗ちゃん。


「え、こんな妄想野郎でホントにいいの?」


 なんてことをきくんだ! 


「想像力が豊かで素敵」


 ああ、もう、ホント可愛い~! 食の未来は暗くても、俺の未来は明るそうだ!

 三秒ルール、いい仕事をしてくれたじゃないか。お邪魔虫の二人も。

 食に関する感覚の違いは、これからいろいろ教えてもらって擦り合わせていけばいいや。


「弁当うまかった! ごちそうさま!」


 

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