魔法少女カシワギさん外伝

戸松秋茄子

本編

 魔法少女は他人に正体を知られてはならない。


 カシワギさんが魔法少女と知ってから、ふとした瞬間にそのルールを思い出すようになった。それはたとえば、友達と談笑しているカシワギさんを見るとき。放課後の空き教室で、彼女と委員長会議をしているとき。


 僕はなんでもない風を装いながら、心の底では怯えている。僕というイレギュラーがいつか誰かにばれるのではないかと。その誰か、というのが具体的に誰のことであるかはわからない。カシワギさんは魔法少女についてあまり多くを教えてくれなかった。他人に正体を知られてはならないというルールを除いてはほとんど何も。たとえば、そのルールを破ったら、どんなペナルティが待っているのかさえ。


「大丈夫」と彼女は言う。「大丈夫だから」


   ※※※ ※※※


 カシワギさんは小学校二年生のとき、僕らの学校に転入してきた。


 そのときにはもう彼女のスタイルは完成していた。上下ジャージ姿に、ワンサイドアップに結った肩までの黒髪、黒いリュック。あれからもう四年が経つけど、カシワギさんのスタイルは変わっていない。変わったのは身長と上履きのサイズくらいのもので、後はそのまま転校してきたときと同じ姿で毎日登校している。

 

 カシワギさんは整った顔立ちをしていたから、よくクラスの誰が思いを寄せているとか、告白して玉砕したとかいう噂を聞いた。年中ジャージ姿でもモテるものはモテるものなのだなと子供ながらに感心したのを覚えている。


 彼女とよく話すようになったのは四年生になってからだ。その頃から、僕らは何かとセットで扱われることが多くなった。というのも、僕らはクラスで一、二を争う優等生だったからだ。二人ともテストの成績がよく、計算が早くて、字もうまかった。素行面でも問題なく、席替えの度に班長に選出された。


 そして、四年生の下半期になって、僕らはとうとうクラスの学級委員と副委員を任された。これが二人でコンビを組んだ最初。それ以降、カシワギさんとよく話すようになった。よく話すようになって、だんだん彼女の本性がわかってきた。つまり優等生らしからぬ本性が。


   ※※※ ※※※


「飴食べる?」と最初に訊かれたのはいつのことだろう。


 あれは放課後の空き教室だった。その頃にはもう「委員長会議」と称して二人で集まるのが習慣になっていた。


「いらないならいいけど」カシワギさんはそう言って、コーラ味の飴を口の中に放った。優等生で知られるカシワギさんが堂々と校則を破る姿に、僕は唖然として何も言えなくなった。


 カシワギさんはいつも飴を持ち歩いているようだった。それはいつも、ジャージのポケットから取り出される。彼女はそれを放課後の委員長会議や休み時間、あるいは大胆にも授業中にまで口の中で転がしているらしかった。


「ひょっとして引いた?」カシワギさんは尋ねた。尋ねつつも、僕の答えなど心底どうでもいいと思っているような様子だった。


 どう答えるべきか、なんてことは一瞬たりとも考えなかった。


「ううん」僕は本心から思ったことを言った。「やっぱり一つちょうだい」


 こうして、委員長会議の度、僕らはこっそりと飴を分かち合うようになった。分かち合うようになったのは飴だけではない。先生をはじめとする大人たちへの悪口や悪意あるモノマネなどを披露し合うようになるまでさして時間はかからなかった。


 僕だけが彼女の秘密を知っている。そんな優越感を覚えるようになった。彼女の顔だけしか見てない連中とは違うのだという自負があった。僕は彼女と心からの信頼関係を結べているのだと。しかし、そんな僕でも、彼女が魔法少女であることまでは知らなかった。


   ※※※ ※※※


 よく晴れた夜だった。僕は塾の帰りで、自転車に乗っていた。塾がある駅前の繁華街から、人気の少ない住宅街へと入っていく。すると、緑地の横を通り過ぎようとしたところで、何か妙な音が耳に入ってきた。あえて言葉にするなら、ガゴッとかドゴッといった武骨な音だった。この夜中に工事だろうか。不審に思った僕は思わず自転車を止め、そして、緑地に足を踏み入れた。まさか、そこで魔法少女と正体不明の敵(そう、敵としか言いようがない)が死闘を繰り広げているとは思いもせず。


   ※※※ ※※※


「あーあ、見られちゃったか」


   ※※※ ※※※


「大丈夫」とカシワギさんは笑う。「飴玉と同じ。黙ってりゃばれないし平気平気」


 そう言って彼女は今日も僕に飴を差し出す。その笑顔をどの程度まで信じていいのか、僕にはわからない。


   ※※※ ※※※  


 今宵も、カシワギさんはどこかで敵と戦っている。そんなことを考えながら眠りにつく。カシワギさんはフリルがたっぷりついたコスチュームで、敵と対峙し、大地を蹴り、宙を舞う。魔法のステッキから必殺のビームを放ち、敵を焼き尽くす。その光景を僕は建物の影からこっそり見守る。そんな夢を見る。


 学校では、魔法の話はしない。僕らは今日も教師の悪口で盛り上がる。一緒に飴を舐めて、ささやかなルール違反を犯す。まるでもっと大きなルール違反について忘れようとするかのように。そんな日常がずっと続くことを僕は心の底から願っている。

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