第27話 手紙

 今度は、はっきりと分かった。身体を形作っている何かの結合が解き放たれ、航平は一瞬光の粒子の集合体になった。意識だけは頭部を動かない。瞬きひとつの間に、あらゆる方向から座標軸が取り込まれていくのを感じる。そして、カシャ、とパズルが嵌まるような感覚があり、白く光る世界に再構成されていた。


 安定すると、くらり、とした。目をぎゅっと閉じてから、握っているはずのものを確かめる。


「良かった……」


ぬいぐるみも手紙も、しっかりとその手にあった。ふと、こんな感じでニコラも連れてこれないか、と思ったが、『生物の座標軸はもっと複雑だから無理だ』と何かが答えた。思わず辺りを見渡すが、他に何かの気配はなかった。




「あっ! コヘ! 何だよ、河から来ると思ってた」


 草原の向こうから、棒人間が駆けてくる。航平はぽかんとした。これならまだ、前のキューブ人間の方がましだ。


「レフ……何でよりによってそれ? 」


「え、ああ、これね。うまくワイヤーみたいな素材が出来たからさ。なんかすごくオシャレだよね? 」


同意を求められても、返す言葉が見つからない。航平は無言で、ぬいぐるみを差し出した。


 レフは目を見開き、ゆっくりとそれを受け取った。そしてじっと、見つめたあと、小さな女の子がするように、ぬいぐるみを胸に抱き締めた。どうやら気に入ってくれたらしい。航平はほっとした。


「レフに似せたつもりやけど……どうやろな」


「……あたたかいよ……本当に、あたたかくて、柔らかい……ありがとう」


レフの声は震えていた。航平も嬉しくなってしまった。


「俺の友達が協力してくれたんや。ほら、ちゃんと目も茶色やろ? ちょっとかわいらし過ぎるかもしれんけど、でもニコラさんも……そうや! 」


航平は、手紙を差し出した。レフのワイヤーの手に、それを握らせてやる。


「……何? 手紙? 」


「うん、誰からやと思う? きっとひっくり返るで」


レフはぬいぐるみを抱えたまま、手紙を開いた。


「……ご来店は何回目ですか? 」


「ちゃう、裏、裏見て」


怪訝な顔(多分)で、レフは紙を裏返した。そして、予想通り、いや、ひっくり返りはしなかったが、その場にへなへなと座り込むと、ぬいぐるみに突っ伏してしまった。尖った肩が、がくがくと震えていた。


 航平はその横に腰を下ろして、じっと待った。見えない涙が止まるまで、いくらでも待つつもりだった。何百年ぶりの、再会なのだから。


 しばらくして、レフは顔をあげ、何度も何度も、短い手紙を読んでいた。それから、それを航平に見せた。


『親愛なるレフ·マッカ』三朝は美しい筆記体で綴っていた。何語かも分からないが、航平の頭はそれをちゃんと読むことができた。


『親愛なるレフ·マッカ 久しぶりだね。最後に君と別れてから、随分時が流れた。僕は今、航平と同じ時代に生きているよ。最近、ニコラだった頃のことを思い出したんだ。そして、航平から君のことを聞いて、会いたくて堪らなくなったよ。レフ、アケルナルで独りでいる君のことを思うと、胸が締め付けられるけれど、これからは航平が、僕と君とを繋いでくれるだろう。書きたいことはたくさんあるけれど、もう紙がないから、今度はちゃんとした手紙を書くよ。またね。君に会える日を信じているよ。 君の兄弟ニコラ·マッカ』


「……コヘ、ニコラに会えたんだね? ……すごいな、すごい奇跡だ……」


「まあ……ポーがそう仕組んだ訳やけど……」


「ポーが? 」


「レフ、話さなければならないことが、沢山あるんや。まだ俺も知らんこともあるし、上手く伝えられんかもしれんけど……」


「うん。……うん、分かった。ゆっくり、話せばいいよ。ああ、それから、オレもニコラに手紙を書きたいんだけど、渡してくれるかい? 」


 航平が頷くと、レフはありがとう、と言って、それからいそいそと棒人間を脱ぎ捨てた。中身のレフは、完全に透明だったが、レンズのように、縁のところだけ周囲が歪んで見えるので、そこに居ることだけは分かる。


「……何だよ、あんまり見るなよ。いくら男同士でもさあ……」


「あほか、その状態で恥ずかしがる方がハズカシイわ」


 と、ぬいぐるみが急にぴょこん、と跳ねた。なかなか可愛らしい動きだ。思わず笑ってしまう。


「うん、オリジナルの半分くらいの大きさになっちゃったけど、うん、これはなかなかいいよ。動きやすいし、何よりほら、ここ見て」


レフは胸元に縫い付けられた、大きなポケットを指差した。北条が作った胴体は、一見いろいろとアンバランスだったが、ちゃんと短い指もあったし、青いオーバーオールは本当の服のように凝った作りになっていたのだ。


「ポケットが嬉しいんか」


「そりゃそうでしょ。コヘはものを知らない奴だ。機関士はポケットがなきゃ、仕事にならないよね。ほら、ここにね……」


レフは棒人間の胴体から、ごそごそと例の肖像画を取り出すと、ポケットにしまいこんだ。大きさが合っていない気がしたが、不思議なことに、すんなりと収まった。それから、ニコラの手紙も、そこに大切にしまう。


「ニコラと一緒にいる感じがするよ。いいね。本当に、ありがとう。ちゃんと友達にもお礼言うがいい」


「分かった分かった」


「ところで、オレ、コヘはいつも通り、河から上がって来ると思って、そこで待っていたんだよ。なのに、今回は陸に現れた。どうしたんだ? 」


「うん、多分……まあ、それも含めて、話すから。そやな、レフのラボに行かへん? あそこ、落ち着くし」


「そうだね、そうしよう。こっちだよ」


 歩く度に、レフの毛糸の髪が跳ねる。心なしか、うきうきとした後ろ姿に、航平も自然と笑顔になっていた。

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