第25話 もたらされたもの

 ポーの傍らには、フルカが残した実験記録がある。フルカの専門は『座標軸操作』で、異なる次元空間を作り出す技術だ。それは時空嵐の発生メカニズムを解明するために必要とされていた。


 多分、他の人が見たら、無味乾燥なデータの羅列だ。しかしポーにとっては、懐かしい自分達の足跡だった。几帳面な彼女は、どんな小さな変化も見逃さず、きちんと記録していた。チームではその全てを活かすことは出来なかったが、ここでなら可能だ。


 混沌の球体は、幾度となく失敗に見舞われた。ある時は何をどう間違えたのか、中心に向かって歪み、危うく崩壊するところだった。またある時は、せっかくある程度の安定までこぎ着けたのに、フルカのデータを読み間違えた為に、全て消滅してしまった。それでもポーは、根気強く実験を繰り返した。元々そう簡単に道が見えてくるはずはないと思っていたし、不思議と苦労とも忍耐とも感じることはなかった。


 どのくらいかかっただろう。時間の感覚が私達とは違うとはいえ、決して短い期間ではなかった。その間に、ポーがチームのリーダーに昇進したり、アルマカルナスより効果は落ちるものの、比較的一般化しやすい物質『フルカアルマ』(因みに命名者はポー)が発見されたりした。


 その頃ようやく、球体の中に、異なる座標軸を持つ5層の空間が安定した。ポーは、時空嵐は不安定な異なる次元が干渉することで発生するのではないか、という仮説を検証しようとしていた。やっと辿り着いたスタートラインだ。


 一番外側の5層目は、ポー達の世界よりも高次元でなければならなかったが、座標軸の構成など全く不明なので、フルカの予測を参考に、あの異空間から落ちてくるという、『天の滝』の霧を満たした。4層目はポー達の世界と同じ条件であり、それより下層は低い次元だ。乳白色の霧の中で、それぞれの空間は自然に変化していく。内部の詳細な観察が出来るように、管状の通路も作った。


 しばらくすると、不思議な現象が起こった。4層目と3層目の間に、分離したような空間が生じた。恐らく不安定な座標が、安定する側に引き寄せられたのだろう。その中間の次元こそ、時空嵐の発生を確認できるのではないか、とポーは期待した。


 そこは美しい、静寂の空間だった。4層目は雲のように浮かび、3層目は時間軸の影響を強く受けて、球体に沿って流れを作っていた。透き通ったその底に、2層目と1層目が見える。研究者として、冷静にデータをとる一方で、ポーは、その空間に実体なく漂う心地よさを味わっていた。


 そしてついに、それは現れた。兆しは、5層目に在った。規則性のない動きをする霧の、それぞれの持つ座標が、瞬間的に『ぶつかった』ように見えた。するとそれは4層目の座標軸に干渉して、高速で回転し始め、細く鋭い渦となり、下層を貫いた。時空嵐だ。ポーはあらゆる現象を見逃すまいと、記録は装置に任せて通路に飛び込んだ。


「……天の滝……」


彼らの生命の循環を司るそれを、もしも閉じる方法があったとしても、出来るわけがない。やはり発生を食い止めることは不可能かもしれない。


「威力を弱める……あるいは発生区を限定的に……」


走りながら考える。渦の先はあの空間に達した。


あらゆるものが巻き込まれ、時間の流れも竜巻のように吸い上げられた。上の層よりもはるかに影響が大きく、球体の底が抜けるかもしれないと感じたポーは、咄嗟に袖元に入れて持ち歩いていたアルマカルナスの原石を、竜巻の中へ投げ入れた。やはり精製していないアルマカルナスはなんの効果もなく、たちまち砕けてしまった。このままでは、ポーのいる通路も飲み込まれてしまう。考える間もなく、両方の袖元やら懐やらを探って、実験に使った残りの物質や、何かの紙片まで投げ入れた。そして最後に、首から下げていた、大切なフルカアルマを手放した。消滅すること自体は、それほど恐怖を感じなかった。ただ、装置が記録しているはずのデータを確認して、誰かに引き継がなければ、という想いだけだった。


 フルカアルマも、一瞬で砕け散った。


「だめか……! 」


全てが無駄になるーーと覚悟したその時、時空嵐の中に微細な粒子のようなものが見えた。回転が弱まっているようだ。ポーは呼吸も忘れて、目の前の光景に見入った。しばらくすると、竜巻はほどけ、層がゆっくりと分かれ始めた。ただ、無茶苦茶にかき混ぜられた為に、透き通っていた流れは濁流になり、異なる座標が入り乱れる空間に、いくつも閃光が走った。以前、アルマカルナスのシェルターの中から観察した時空嵐は、周囲のものを巻き込んで消滅させ、最後はまるで自身をも飲み込んだかのように、突然消えた。こんな凄まじい光景を残したことはなかった。ポーの脳に、装置以上に詳細な記録が刻まれた。


 空間が落ち着くまで、かなり長くかかった。ポーは研究所に、実験の経過とまとめる前のデータを送ると、その場を動かず観察を続けた。研究所は助手を寄越すと言ってきたが、まだ何が起こるかわからないので、他の者を危険に晒せないと、辞退した。


 実は、他の者を立ち入らせるのを躊躇した理由は、他にもある。空間にアルマカルナスとフルカアルマの結合でできた物質が降り積もり、時間の流れの中に陸地のようなものが現れた。流れは河のようになり、陸地の間を抜けて球体の縁を巡っていた。その中に、時空嵐がもたらした、5層目の霧が取り込まれると、七色の光をまとった小さな粒子が生じた。調べてみると、それは明らかに種子の中に在るものーー生命体だった。それらは非常に短命で、流れに取り込まれてはすぐにまた霧となって陸地へと漂うことを繰り返す。繰り返しながらも、河の中で急速に進化していく。その一瞬を引き継ぎながら。眺めているうちに、愛しさを感じるようになったポーは、この空間と河を、再び実験場にしようとは思えなくなったのだ。


 ポーは時空嵐の研究は続けていたが、今やこの空間は癒しを求めて訪れる場所になっていた。虹の粒子が霧散することなく河へと戻って行けるように、アルマカルナスで塔を作った。ポーは自然にできた河の中洲に腰を下ろして、塔を眺めるのが好きだった。塔は、種子を産むフルカの姿をしていた。

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