第22話 ニコラの瞳

 目の前にいるのは、三朝のはずだ。それなのに、彼がニコラと名乗った瞬間から、航平には理知的な青い瞳の、薄い色の髪を背中で束ねた青年が見えるのだった。おかしい。起きたまま夢を見ているのだろうか。


 彼は茫然自失の航平を見て、小さく笑うと、おにぎりのラップを剥いた。現実と非現実がごちゃ混ぜになっているようだ。


「いただきます。……あー、やっぱりおいしいわー」


「えーと……三朝さん。……何から訊いたらええんか……」


「そうやな。君の様子を見てたら、まだ君は自分が何者なんか分かってへんのやな、って思たんや。だから、僕から話した。きっと誰かに話したくて、訊きたくて、でも誰にも分かってもらえへんって、独りで困ってたんやよね? 」


航平は思わず、泣きそうになった。(そうか……ニコラがこんなやつやから、レフもあんなに……)


「僕があの夢を見たのは、小さい頃のことや。印象的やったから、頭の隅で覚えてたんやけど、詳しいことは全然わからんかった。……夏に、君と会うて、アケルナルの話して、その時なんか、頭の中がざわざわしたんやけと、やっぱり分からんかった」


 大きなおにぎりを口一杯に頬張った『外国人』は、耳慣れた方言で話続ける。目をそらすと、そこにいるのは紛れもなく三朝洋一郎だ。彼の周りにある居心地の良い空気は、きっとずっと変わらないのだろう。


「あ、しまった。スープ残しとくべきやった……うん、それでそれから、僕は先月、南の島に行ったんや。大学の方のサークルの、合宿やったんやけどね。アケルナルを見たんやよ。その時や……身に覚えのない記憶が甦ってくる感覚って、どう説明したらええんやろ。あんまり一気に流れ込んできて、こう、自分の表と裏がひっくり返されるみたいな……ちょっとしばらくはおかしかったわ。最近やっと、今の自分に繋がってることやと整理できたとこや」


「……それはちょっと分かります。……俺も、夢の中で、全く知らんやつに会うて、そいつは俺のこと知ってて、お前はもともとこっちの存在やとか言われて、訳がわからへんかった……」


「レフってやつは、昔から勢いだけで突き進むようなとこあって。ごめんな。……おにぎり、ごちそうさんでした。お礼、言うといてな。……でも、レフはええやつなんやよ。人のために、夢中になれるやつや。考えが足らんとこはアレやけど、でも僕は、考え過ぎて動かれへん性質やから。そんなとこ、三朝洋一郎になっても変わらへんの、おかしいねえ」


 会うたびにけったいな姿になっているレフを思い出すと、自然と航平の口元は綻んだ。多少強引なところはあるが、不器用なりに、航平に難解なアケルナルの世界を教えようとしてくれている。今だって、独りで、いつ戻るかも分からない自分を待っているのだ。


「レフは、ニコラ……さんと、マッカ船長を助けたいんやと言ってました。できれば、あの嵐から船ごと助けたいって」


「いきなりそんな、個人的なことに巻き込まれて、君にはえらい迷惑やったね。ほんま、申し訳ない……ただ、僕も船長も、普通の人間や。君らとは違う、時間の中で存在するしかない、人間や。それはたとえ君の力をもってしても、変えられへんってことだけ、分かっててな? レフはほんまに……かわいそうやけど」


少し、声が震えていた。三朝は星空を見上げた。物寂しい秋の星座は、慰めるように小さな光の露を落として、膚にひんやりと染み込んだ。


「あの、さっき三朝さん、俺のこと、ポーって……でもレフは俺をポーとは思ってないし、俺ももちろん覚えてないし、何の力もないし……」


「君、今、僕の姿、見えてる? 青い目の」


「えっ。あっ、はい、さっき急に……三朝さんがニコラさんに……」


三朝は頷いた。


「それは君が僕に会ったことがあるっていう証拠や。レフはポーの姿を見たことがないし、まさか君になってるとは思ってもみないやろうからね。でも、君はポー……ポアルテッサポウやと名乗っていたし、奇跡のような力も目覚めてた。ただ、分からへんことがある。……君は何故、何のために、この世界に転生したんか、いうことや。本来の、自分の世界を捨ててまで、何故……」


また、航平の身体の中を、どくどくと脈打つものが駆け巡った。『ポアルテッサポウ』呪文のような言葉が、頭の中で反響する。


 その時、


「三朝さーん! 食べ終わりましたー? 」


向こうから、青谷の明るい声がした。三朝は立ち上がり、応えた。


「食べたー。今行くわー」


そして航平を振り返り、手を差し出した。


「とりあえず、君が転生した僕を探して、出会いに来てくれた訳は、僕に手伝えることがあるからや。そやから、君が思い出すまで、いくらでも訊いてくれたらええんやよ。僕は君にほんまに感謝しているんやから。……さ、いこか。皆待ってる。ええ写真、撮ろ」


航平はその手を握って立ち上がり、そのまま両手を重ねた。


「……すいません……ほんま、嬉しいです……ほんま、不安やったから」


「大丈夫や。……なんやったら、おにぎりのお礼やと思って」


「ていうか、三朝さん、ニコラのままやったら、皆『誰や』ってなりますけど」


三朝は長い髪をかきあげた。


「ああ、認識って、人それぞれで違うんやよ。皆には今まで通りの三朝さんに見えてる。……そうや、君、コネコやっとる? 良かったらいつでも連絡取れるようにネコの交換を……」


「すんません、俺、スマホもってへんで……」


「あー、あれ、実はガラケーでも出来るよ。スタンプとか使えへんけど」


「ほんまですか? なんやー。今まで損してた」


「後で設定したるわ。ちょっとした技があるんや」


 ニコラは、生まれ変わっても頭のデキが良いらしい。それにしても、最新SNSと、19世紀の船乗りニコラ……この妙な取り合わせに、なんだかいつまでもニヤニヤが止まらなかった。

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