第19話 ナハトムジーク

 フリルとレースに彩られた部屋で、北条は微かな唸り声をたてた。抱え込んだ大きなウサギのぬいぐるみは、窮屈そうにひしゃげている。


 手書きのメモと本を囲んで、3人が楽しそうにしていたから、思わず自分も、と割り込んでしまった。(図々しいって思われたかな……鬱陶しいって思わなかったかな……)




 都会の有名私立校から、父の急な転勤に従って、この田舎町の公立中学校に転校してきたのは、一年生の春のことだ。最初、彼女は見知らぬ土地と、色々な家庭の子が集まる学校環境に、大きな不安を感じて、外に出ることも出来なかった。彼女の両親は、一人娘である彼女を、かなり甘やかして育ててきたが、この時は、彼女が自分の弱さを克服する機会にするべきだ、と心を決めて、待つことにした。およそ一か月、彼女と両親にとって初めての、試練の日々が続いた。


 梅雨空のある日、新しいクラスメイトだという少女が、家を訪ねてきた。学級委員の浜村だった。びくびくしながら顔を合わせたのだが、浜村の素朴な、落ち着いた雰囲気に、緊張はすぐに和らいだ。


 多分、何度か訪れていた担任の先生に頼まれて来たのだろうが、浜村は『学校に来て欲しい』とも、『みんな待っているから』とも言わなかった。ただ、もうすぐ地元では七夕の賑やかな祭りがあるとか、海が近いので、『学級活動』の時間に皆で釣りをするだとか、そんな子供にとって心惹かれる行事を教えてくれたのだった。聞いているうちに、気持ちが解れてきた彼女は、親にも言えなかった本音を、打ち明けることができた。『転校の挨拶もせずに、長いこと休んでしまったので、行くのが怖い』ーー浜村は頷くと、真面目にこう言った。『まだ知らんのやから、心配なんは当たり前やけど、ほんまは皆アホやから、長いこと休んでたとか、覚えてへん。そやから、ずっとここに居りました、いう顔してたらええんやよ』


 久しぶりに外に出る気になれたのは、それから少しして、七夕の祭りに誘われた時だった。浜村と二人、可愛らしい浴衣を着てみると、自然と心が浮き立った。初めて見る、提灯で照らされる漁港も、オレンジの灯りに飾られた浜通りも、磯の香りも、何もかもが新鮮だった。


 屋台の間を流れる雑踏の中で、偶然に出会ったのが、航平と青谷だった。二人は甚平の袖を肩まで捲り上げ、ヨーヨーだとか色の変わるライトだとか、いろんなおもちゃを腕にぶら下げ、串焼きのイカをくわえていた。浜村は挨拶もせずに、『なに満喫してんのん』と言った。男子とまともに口を利いたこともない北条には、驚きだった。どうしていいかわからずに、おどおどしていると、浜村が『バカサとアホヤ』だと二人を紹介した。思わず、くすりと笑ってしまったが、二人は気にも止めず、初対面であることも忘れたように、『イカ、食うか? 』と訊いてきた。こういう脈絡のない会話も経験がない。それでも、何だか楽しかった。青谷がずっと浜村と話しているので、自然と航平が北条の相手をすることになる。彼は浜村に対するのとまったく同じ調子で、気さくに話しかけてくれた。『漁協のテントにわたあめの機械があるんや』と、皆を連れていき、古ぼけた機械で上手にわたあめを巻いてくれた。少し焦げたザラメの香りは、いつの間にか、甘い、優しい記憶になっていた。


 たったそれだけのこと。それだけなのに、彼女の中に小さな勇気が灯った。学校は、浜村の言った通り、拍子抜けするほど当たり前に、彼女を受け入れてくれた。それからは、怖かったものが、一つずつ減っていった。


 初めて浜村に、航平への想いを打ち明けたとき、『どこがええのん? 』と驚かれた。正直、今でもはっきりと言葉にできない。分かるのは、自分の気持ちだけだ。話せると楽しい、一緒に居られたら嬉しい、だからきっとこれは……




 ピコーン


 スマホが鳴って、我に返る。皆で使っている『コネコ』というSNSだ。(ちなみに航平はスマホを使っていないので、入っていない)


「……由良だ」


『勉強中やったらゴメン』


『ううん、大丈夫』


『バカサが肝心なこと忘れてたゆうて』


『なあに? 』


『なんか、最終的に、立体にしたいんやて』


『え? 』


『なんやよう分からんわ。銅像でも作れっちゅうんか』


『え? それは無理かも』


『かもやない、無理や。まあ、できても粘土やね』


『……彫刻? 』


『とりあえず、下絵ってことで描いてみよかなー』


『私もそうするー』


 北条は、スマホを置くと、気を取り直して鉛筆を握った。そして、やっぱり、浜村も描いてくれることになって良かったと思った。

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