第16話 ひと房の髪
あのラムネの酸味と、口一杯の泡の感じを道標にして、航平は戻るつもりでいた。少し覚悟が必要なほど、強烈と言えば、それだった。けれど、螺旋がほどける瞬間に、浜村の姿が思い浮かんだ。おそらく、レフとの約束があったせいだろう。お菓子をキャッチし損ねた浜村の、肩の上で跳ねた黒髪のひと房が、妙に鮮やかによみがえった。
「ラムネ? 懐かしっ。ありがとう」
最初に目に入ったのは、浜村の控え目な笑顔だった。口角が小さく持ち上がっただけの、でも、瞳がちゃんと嬉しいと伝えている、彼女独特の……
チリンチリン、とベルを二つならして、浜村は背を向けた。
「あっ……ちょっと……浜村、待ってや」
航平は慌てて呼び止めた。明らかに前と違う展開だが、仕方ない。覚えているうちに、伝えなければ。
浜村は片足をついて振り返った。二つ結びの黒髪が、尻尾のようにぴょこん、と跳ねる。
「うん? 」
「がっ……外国人の、男の顔って、描けへんか? 」
「外国人? 」
青谷と浜村が同時にきょとんとした。
「何や? バカサ、外国人に知り合いおったっけ? 」
「まあ、写真とかあれば……」
浜村は、自転車に跨がった格好のまま、爪先で地面を押して近づいてきた。
「写真はないんやけど……説明だけじゃ、無理か? 」
「目撃証言だけで、犯人の似顔絵描く、あれか? 」
青谷が口を挟む。
「いや、犯人ちゃうけど……ええと、何て言うたらええか……とっ友達なんやけど、似顔絵がどうしても欲しくて……」
アケルナルの話をしたって、きっと理解してもらえないだろうし、と思うと、なかなか上手く言えない。
浜村は、航平の真剣な目を見つめていたかと思うと、おもむろに背負っていたリュックを下ろし、中から厚い本を引っ張り出した。
「……これ」
「なんや? 『洋画ベスト200』? 」
青谷が覗き込んだ。航平も、受け取りながら表紙を見る。観たことのある映画のワンシーンが、所狭しと配されていた。
「俳優が沢山載ってて。外国人の顔を描く練習に使ってんの」
ページを開くと、美しい女優や整いすぎの男優の写真だらけだ。
「いや、あの、こんなイケメンにはとても似てへんけど」
「そんなん分かってるわ。でもどうせ、バカサの説明なんか、『目が二つあって鼻が高くて』みたいなんやろ。そんなんじゃ描けへんもん。顔の輪郭とか、目とか、口とか、パーツに分けて、似てる感じ探して。何とか合体させてみるから」
「モンタージュやな! 」
「なるほどな……福笑いみたいになってまうかも知れんけどな」
「それ、貸すから。……はい、付箋も貸したげる」
こういうことには気が利くらしく、浜村は小さな付箋の束もつけてくれた。
「すまんな。……勉強、邪魔にならん程度でええから」
「何か知らんけど、困ってんのやったら、ええよ」
浜村は言うと、じゃ、と手を上げて、爽やかに去っていった。
航平と青谷は、ボリ、ポリと一粒ずつラムネを噛みながら、家路を辿る。
「……男前やな」
「そうやな。男前や」
「北条にも頼んでみたらどや? 」
「いや別に、浜村がやってくれるんやったら、そんでええのやけど」
「いや、浜村は男前やから、男を描くときっとゴリマッチョになるで。ええんか?ほんまにそれでええんか? 」
正直に言うと、レフのマッチョバージョンでもかまわない。本人だって、船乗りっぽい方がより嬉しいだろうし。でもここは、青谷の気持ちも汲んでおく。
「分かった分かった、北条にも頼んでみるわ。……ああ、悪いけど、アホヤ頼んでくれるか? 俺、浜村に頼んだ手前、他のやつに頼んだら何や悪いからな」
航平のセリフは明らかに取って付けたようだったが、青谷は気にしない。
「そっそうかあ? そら、困ってんのやったら、ええよぅ? 」
浜村の言葉をそっくり真似して、青谷はにやけながらふんぞり返った。
「北条やったら、少女漫画みたいなイケメン描いてくれるわ。よっしゃ、俺に任してもらおか」
そっちの方が気色悪いが、まあ青谷が嬉しいなら、いいだろう。
「そしたら俺、何とか似てるパーツ見つけてくるから。それを二人に頼む、言うことで、ええな? 」
「おう、浜村の気ぃ悪うせんようにするから、任しとけ」
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