第14話 背中の面影

 結晶づくりは何度か繰り返された。『一人でやってるとすぐ飽きるんだよね』とレフは言った。それは無理もない話だし、何か作るためにはこれが必要になるし、何より手を動かしながらの方が、会話もしやすかったので、航平ものんびりと手伝いを続けていた。


 河は彼方から流れてきて、留まることなく何処へか去り行く。眺めていると、意識がぼんやりしてきて、アケルナルが河を遡っているような錯覚に陥る。


「……そういえば、星の方のアケルナルな、楕円形やねんて」


「へえ! 偶然とはいえ、何か繋がりを感じるよね。オレってすごくない? 」


「そう言うと思ったわ。……話変わるけど、俺がおらん間、ポーは来たんか? 」


「いや、来てないよ。まあ、元々そんなに頻繁には現れないんだよね。でもそうだなあ……そういえば長いかもね。ウンダに会う前からだもんね」


レフはあまり気にしていないふうにそう言って、器をゆらゆらと揺らした。


「あんな、俺は航平。ウンダやない」


「呼びにくいよ。コヘ」


「コウヘイ。コーヘー」


言いながら、指で宙に、伸ばす音を書いて見せる。しかしレフは全然こっちを見ていない。よく考えてみれば、『伸ばす音』なんて、明らかに日本語の文字だ。外国人のレフに解るわけがない。


「あれ。気いつかへんかったけど、何でレフは日本語話せるんや? 」


「日本語なんて話せないよ。ウンダ……コヘが……いや違うな。多分オレもコヘも、言葉が通じないかもしれないなんて、忘れてたろ? だから、当たり前のように通じているんだ。コヘにはまだ慣れないだろうけど、アケルナルには、名付けて『弱気ブレーキ』っていうのがあってね……」


「あれか? できないって思ったらできないってやつ」


「そうそう。オレも覚えがあるんだけど、前の世界だと、よほど自信がない限り、『もしかしたら失敗するかも』とか『出来なかったらどうしよう』とか普通に思っちゃうよね。でも、そう思いながらでも、出来たりさ」


「誰でもそうやわ。俺なんか絶対できるとか思えるもんのほうが少なかったわ」


うんうん、と二人は頷き合った。


「ここでは、『思い込み』とか『意思』とかが現実に働きかける力が強いんだよね。良くも悪くもね」


 出来た結晶を瓶に入れると、ちょうどいっぱいになった。レフは慎重に蓋を閉めると、立ち上がった。


「さてと……本音を言えば、今すぐにでも『セステナ号』に協力させたいところなんだけど、ポーも居ないし、無闇にやっても無駄だって分かったことだし、コヘにもっと色々見せることにしようかな。おいで」


誘われるままに、立ち上がり、後について歩き出した。レフが焦らないでいてくれるのは、有り難かった。さっきの話の通りなら、歴史を変えてしまうかもしれないという不安がある限りは、飛び込むことができないんじゃないかと思う。いや、航平だってマッカ船長を助けたいと思っている。あの暗闇の、切迫した状況で垣間見た姿しか知らないはずなのに、記憶に焼き付いたモノクロの画が、胸の奥を痺れさせる。温かくて、大きい、背中だった。


 物心つく頃にはもう、知っていたと思う。よその家にはあるけれど、航平の家には無いもの。おもちゃ、大きいテレビ、車、そしてお父さん。何度も、どうしてうちにはないの? と訊いた覚えがあるが、母は決まって『必要あらへんから』と答えた。欲しくてたまらなかった時期を過ぎると、諦めというよりはどうでもよくなった。


 『生きるんだ! 』と、彼は叫んだ。嵐の轟音も、遠ざかる距離もものともせず、その強い想いは真っ直ぐに航平を貫いた。『お父さん』というのは、彼のような存在だろうか? 溢れてくるものは、海のような香りがした。


 だから、レフの気持ちは理解できる。レフはもっとずっと多くの時間を共に過ごして来たのだから、尚更だろう。力になれるものなら、なりたい。船長を助けることは、この奇妙な友人のためだけでなく、自分の望みでもあるから。


 急に黙りこんだ航平に、レフは敢えて話しかけなかった。二人は弾力のある草を踏んで歩いた。それは不確かな世界に確かさを与える、反応だった。

 しばらくすると、レフは足を止めた。


「ほら、あそこを見ていてごらん」


その腕が指す方を見ると、ぼやけた向こう岸と、河面の間に、うっすらと虹がかかっている。虹は小さいが、思わず声が漏れるほど美しかった。


「うわ……! 」


航平の目が生き生きとしたのを見て、レフは満足げに頷いた。


「なかなかだよね。あれはね、死んだ人の魂が、河の中に戻っていってるんだよ。もっとも、河の中に留まることは出来ないから、直ぐにまた、岸に戻ってくるんだけど」


よく目を凝らすと、確かに虹は二方向の流れをもっているようだった。死んだ人の魂などと聞くと、少し恐ろしく感じるが、目の前の虹はそれを忘れさせる。


「ああいう虹が、たまにかかるんだ。なんだろうね。解らないけど、あの粒はまだ、記憶を持っているのかもね。河の中の生きている人と、想いが引き合って、あんなことが起きるんじゃないかな、ってオレは考えてる。でね、オレは世界中行ったから知ってるけど、ああいうとき河の中では、死者を迎える祭りが行われているんだよね」


「死者を迎える……ああ、そういえば、お彼岸とか、墓参りしよる」


「生きてる人にも、何か分かるのかもね。あとね、ポーからきいたんだけど、あっちの岸には『フルカの樹』っていう、ものすごく大きな樹が在るらしくてね。あっちに行った粒は、その樹に吸収されて、樹の中の時間の流れで座標軸を与えられて、エリダヌスの流れに張り出している根から、河の中に戻されるんだとさ」


「……樹の中を循環する水の流れに似てるな。俺の知ってるんとは逆向きやけど」


「まあ、オレも見た訳じゃないしね。でも、そういう命の循環を司るものは、それぞれの世界にあるらしいよ。ポーの世界では、それは、天から落ちる滝らしい。もしかしたら『樹』だって、オレたちの思う木とは全然違うかもしれない」


「ふーん……」


「……で、そもそも何故オレが、あの粒が死んだ人の魂だって思ったかっていうと」


レフは小さくため息をついた。


「見えたんだ。あんなに小さな粒で、見えるわけないのにね。でも、確かに見たんだよ」


「……何を? 」


レフの声は、別人のように細くなり、震えていた。


「……船長だった」

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