第10話 星の証人

「……三朝さん。あの、アケルナルって星、知ってますか? 」


 集合がかかり、皆で望遠鏡の方に移動しながら、航平は訊ねてみた。


「知ってるよ。へぇ、君、アケルナルを知ってるんか」


「見たこともないし、知ってるってほどやないんですけど……」


暗くて、全く表情は見えなかったが、三朝は多分笑っていた。


「僕もない。アケルナルは、南の島とかにいかんと、観えへん。エリダヌス座の一番明るい星で……」


「やっぱり、観えないんですか……」


 観えたからどう、というわけではない。その星は、あの場所ではないのだし、帰れるわけでも、いや、帰りたいわけでもない。自分でもよく解らないのだが、ただ、観てみたい気持ちがあった。かつてレフが眺めた、その星を。


「河の果て、という意味らしい。アラビア語やったかなあ……青白い星で、楕円形やねんて。割りと最近、観測で分かったみたいや」


(楕円形……レフの時代には分からなかったやろな。話したら、喜ぶやろな……)




 『土星を見つける』という簡単そうなミッションは、初心者の航平たちには意外に難しかった。星の海を前にすると、方角もよく分からなくなった。大海の真ん中に出ると、こんな感じなのだろうか。理科のテストなどに出ると、当たり前のように解っていた『北極星』も、見つけられない。浜村が北斗七星を教えてくれたので、やっと大まかな東西南北が判明した。(ほんまに、昔の人らにとって、星座って大事やったんやなあ……)


「方角を知るだけやなくて、暦のように、種まきの時期やとか、雨季が来るやとか、そういうのを知るためにも用いられてたんや」


「……私、神話を語り伝えたり、占いに使ったりするために作られたもんやと思ってました」


「北条さん、何座? 」


青谷はホントに分かりやすく食いつくから、面白くなってくる。


「え……乙女座」


「うわー! 似合いすぎやー! ちなみに俺は」


「ギョーザ」


「便座」


航平と浜村が即座に邪魔をすると、三朝が笑った。


「僕らの頃と変わらんのやなー。ちなみに僕は捻挫。はい、じゃあ、次に、土星を見つけてみよか。……これ使って」


三朝から手渡された星座早見盤を、南の空と見比べながら、一つずつ星を結んで、星座を見つけていく。少しずつ土星が近づいてくる感じは、何だか宝探しのようだった。


「……あっ! 入った! 」


望遠鏡を覗いていた浜村が、小さく叫んだ。一斉に3つの頭が寄せられる。


「俺もっ。見せて」


動かさないように、慎重に代わると、青谷は息を止めて覗き込んだ。


「ああ! ほんまや! 土星や」


次に北条が少し離れて覗こうとして、三朝にそっと肩を押された。


「そんなにびくびくしなくてええよ。ちゃんと観てみ」


「はい……あ、ありました! わあ……ちっちゃいです」


航平も息を殺して、小さなレンズに片目を近づけた。そこには、小さなクリーム色の天体があり、本当に、輪っかまで確認できた。今までイラストなどでさんざん見てきた姿だったが、実際に観て、なんとも言えない気持ちがわいてきた。


「ほんま……輪っかや……」


「可愛いなあ。なんでこんな素敵な形になったんやろ」


「自然の造形って、想像を越えるやろ。この気持ちが、たまらんねんなー」


三朝の言葉に、皆は頷いた。(ほんまにあるんや……ほんまに、あるんや!)航平は頭の中でそう繰り返していた。




 その後、サークルの人たちが、反射望遠鏡で、こと座の環状星雲を捉えて見せてくれた。それは本当に淡く、最初、参加した一般の人は、誰もよく見えなかった。『目を凝らしたって見えへんよ。こう、視界の隅でとらえるんや』と、サークルの人が教えてくれたが、青谷はどうしても上手く見ることができないようだった。航平は、七色のリングが見えたような気がした。でも確かめようとすれば、もうよく分からなくなった。


「うーん……見えたような、気のせいなような」


「そういうもんや。人の目では不確かなものも、それでも確かに存在するんや。僕は、知らないから、見えないからって、否定してたら、ほんまのことは分かり得ないと思てるよ。……って、さすがに難しいかなあ」


 それから、それぞれが好きなように、惑星を探したり、他の星雲や星団を見せてもらったりして過ごした。航平も楽しんでいたが、ふと、離れた所に、横になっている人影を見つけた。近寄ってみると、どうやら浜村だった。夏とはいえ、深夜は空気がひんやりとしていた。あんな風に寝転がると、背中が冷えそうだ。


「寒ないんか? 」


声をかけると、浜村は笑って、ぐん、と両手を広げた。


「厚着してるから平気。いまあたしは、地球に張り付いてんの」


「おう、まあ、張り付いとんな」


 航平も、真似をして、その場に大の字になってみる。目の前は、宇宙だ。こうしていると、本当に、何か凧のようなものに張り付いて、宇宙に飛ばされているような感覚になる。地球が自転しているのが分かる。意外なほど、速い。航平は思わず、大地に背中を押し付けた。


「……わりと、怖いな」


「うん。放り出されそうや」


 言葉も星の間に消えていきそうだった。宇宙は大きくて、果てがなさすぎて、自分はあまりに小さかった。


「……なんか情けなくなってくるな。自分が塵みたいや」


「うん。ここまで小さいと、もうどうでもようなってきたわ」


「そうやな……ほんまやな」


「な、不思議やな。今観てる星、ほんまは今、あらへんかもしれんのやもん」


(そうか……考えてみたら、一万光年言うことは、今俺が観てる光は、一万年前に星から放たれたんやな……)


「じゃあこの星空は、幻みたいなもんやろか? 」


浜村は『そうかもしれんね』と言った後、静かに手を空へ伸ばした。


「……そうかもしれんけど……確かに有ったんや。あたしはその証拠を観てるんや。そやから、こんな塵みたいな存在でも、あの星にとっては紛れもなく……」


「何してんやー? 」


いきなり地上に引き戻す、青谷の声。そして彼は『よっこいしょー』と言いながら、航平と浜村の間にごろん、と寝転んだ。それに続いて、やわらかな香りと共に北条が横たわる。4人は頭を中心に向けて、輪になった。


「地球を背負ってみてた」


「あー。ほんまやー。支配者になった気分や」


「え? アホヤはそう感じんの? 」


浜村は笑い出した。


「おう。気持ちええなあ。UFO見えへんかなー」


「……私、UFOは怖いな……」


「俺が北条を守る! 」


「がんばれやー」


(紛れもなく、その続きは、なんやったんやろな……)航平は深呼吸をして、遥かな星の瞬きに想いを馳せた。浜村は何か大切なことを伝えたかったのではないか……ふっと面影が過った。それはあの環状星雲のように、確かめようとすると消えてしまった。


 星の光は降り注ぐ。何万年の、何億年の時間の証言者の元へ。

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