第8話 天体観測会
「起きぃっっちゅっとるやろがあぁ! 」
まるで、大量の空き缶をぶちまけたような騒々しい声に、流石に目を覚ますと、見慣れた部屋だった。『当たり前』が、じわじわと喜びに変わる。何度だって喜べる。昨夜眠るとき、もしかしたら夢を見ることがきっかけとなって、アケルナルに行くのでは、と不安だったのだが、大丈夫だったようだ。
「ええかげんにしいやー! 」
母の容赦ない蹴りが、尻にクリーンヒットした。これはもう確実に、次に帰って来るときの『道標』は、この痛みとなるだろう。(ヤバい。これが嫌さに帰りたくなくなるとか、ありそうでヤバい)
尻が痛いので、自転車をこぐのも一苦労だった。何とか学校近くまで来ると、後ろから青谷が声をかけた。
「よーっす」
「ちーっす」
「また蹴られたんか」
「または蹴られてへん。ケツ」
「そらそうや。股やったらオヤスミやった。それはそうと」
青谷は自転車を降りて、校門をくぐりながらにんまりした。
「今日は楽しい美術やで」
青谷は別に、美術が得意なわけではない。航平も偉そうなことは言えないが、落書きレベルが精一杯だ。しかし彼は、今年になってから、美術の授業が大好きになった。理由は、美術の時間限定の、班割にある。お察しの通り、青谷のお気に入りの女子と一緒なのだ。
「あ、鉛筆忘れた」
「浜村に借りや。アイツ何本でも持っとる」
班員の一人、浜村由良は美術部の部長だ。肩につくくらいの髪を、下の方で二つ結びにしている。背が小さくておとなしいが、性格はなかなか男らしい。二人が全く意識せずに話せる、数少ない女子のひとりだった。
もう一人は、北条彩花という。1年生の夏に転校してきた女子で、由良に誘われて美術部に入った。ゆったりとひとつに束ねられた長い髪は、光が当たると深い紫色に見えるほどで、くっきりとした目鼻立ちと白い肌を際立たせていた。容姿が目立つ代わりに、いやむしろそのせいなのか、いつも控えめで、声もか細い。いまだに親しく話したことがないのだが、青谷に言わせれば『性格の良さまで見た目に表れてる』んだそうだ。
6人一組の班で、あとの二人は、最初はちょっとばかり派手目の女子たちだったのだが、航平たち地味系男子より、イケメンのいる班に行きたがり、勝手にトレードしてしまったので、常に寝ている男と、常に筋トレしている男が来た。二人とも本当は面白いいいやつなので、何の文句もないが。
2時間目のチャイムが鳴ると、青谷はスキップしそうな足取りで、美術室に向かう。正直、早く終わってくれないと、浮かれた青谷が煩くてかなわない。航平は頭を掻き掻き、のんびりと後を追った。
「浜村、鉛筆貸して」
席に着くなり、航平は手を差し出した。先に来ていた浜村は、またか、という顔で見上げた。そしていくぶん乱暴に、芯の太い茶色の鉛筆を手のひらに置いた。
「はい。もうそれあげるから。もう次は貸さへんから」
「わかったわかった。ありがとうな」
(もうちょっと愛想良かったら、ええやつなんやけどなあ) いやいや、この場合、愛想まで求められる筋合いは全くない。浜村は十分親切だろう。
「そうや、バカサ、土曜日の夜、暇? 」
「何? 今週? 何時頃? 」
「えっ? なになに? 夜デートはちょっとあかんのとちゃうか」
浮かれポンチの青谷が、突然会話に乱入する。北条が相手をしてくれないからだ。
「アホヤも暇やったら来たらええけど……」
そう言いながら、浜村はスケッチブックの間から、こっそりと水色のプリントを取り出して見せた。『天体観測会のお誘い』と、手書きの文字が踊っている。
「俺無理や。今『豆苗』公開中やろ。土曜はテレビで1と2やりよるから、観んと」
青谷は即答したが、航平は少しの間考えていた。
「……エリダヌス……」
「うん? 」
「いや、エリダヌス座は見れるんかな、って……」
「あー、エリダヌス座は秋から冬やわ。今は見れへん。ていうか、バカサ、星に興味あったん? 」
浜村が意外そうに言う。まあ、確かに、今までの航平なら、青谷と同じような反応をしていた。
「見られへんのか……ちゅか、お前、天体に詳しいんか? 」
「あたしより詳しい人は一杯おるから、あれやけど、昔から好きやよ。これな、大人の人らのサークルが開いてるんやけど、うちの親が、友達と一緒やったら行ってもええって言うん。ーー前回は誰も行ってくれへんで、参加できんかった」
浜村は余程参加したいのだろう。いつになく熱心に話していた。
「バカサやったら、女子じゃないけど、うちの親もよう知ってるから、大丈夫やと思うん。……あかん? 」
「いや……いこかな」
『ほんまに⁉ 』と思わず声をあげて、浜村は先生に注意を受けた。小さい体を一層縮めて、でも、彼女の目は今まで見たこともないほど輝いていた。(こいつのキラキラスイッチはこんなとこにあったんか……)
「バ……若桜君が行くなら……わっ私も……」
何だか知らないが、急に北条が話に入ってきた。(今、何気にバカサ言いかけよったよな……) 航平はそっちの方が気になったらしい。
「え。彩花、お父さん、大丈夫なん? 」
「訊いてみる。……由良、電話したら、説明してくれる? 」
「それはええけど……」
「俺も行く! 」
青谷も飛び込んできた。浜村は呆気にとられながらも、頬をほんのりと紅くして嬉しそうに笑った。
「1と2はええの? 」
「考えてみたらもう何べんも見たわ。俺も星好きやもん」
「初耳や」
「初耳やわ」
そんなわけで、土曜日は天体観測会となったのだった。それぞれが、それぞれの事情でわくわくしていた。
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