第6話 アケルナル
『当たり前といえば、当たり前かもね。死んだんだから』と、無理に納得してみたところで、なんの慰めにもならなかった。
「ほんとはね、オレの船を探すつもりだったんだ。誰にも見つけてもらえなくても、オレの居場所はあそこしかなかったからね。でも、どこを探したって船はないってことを知っちゃったんだ。だって、そこは、オレがいた時代から、100年以上も未来だったんだよ」
「未来⁉ーータイムスリップってやつ⁉ーーですか? 」
航平はその手の話が大好きだった。彼に同情していたのだが、つい反応してしまった。
「……ここに来てはじめて、いい顔したのに、なんか悪いんだけど、そういうカッコいい感じよりは、こう、排水口に吸い込まれて、知らない海に吐き出されたっていう方が断然近いからね」
表現一つでこんなにもがっかりするものなのかと、航平が肩を落としたのも構わず、彼は語り続けた。
時間が流れるということ、総てのものに、始まりと終わりがあるということ。その摂理から切り離された彼は、『終わりの無いこと』に絶望した。何もかも無意味となり、いつしか感情も手放した。けれど、そんな虚ろな存在にも、ついに救いが訪れた。あまりにも突然の奇跡に、目が眩んだようになって、その瞬間のことはあまり覚えていない、と彼は言った。
「ーーやっとオレを見つけて、掬い上げてくれたヤツがいたんだ。……まあ、ほんとはここじゃなかったら、もっと良かったけど、最初のときと違って、ヤツがーーポーがいたから、ましになったよね」
「ポー? 」
「ポーは姿がない。……て言うか、多分オレたちに認識できるようなカタチを持ってないんだ。いや、分かりにくいかな」
「今までで一番分からん」
「じゃあまあ、いいや。見えないってことだよ。でもちゃんと存在していて、会話もできる。声が聴こえるっていうより、ヤツの言葉は、頭に直接入り込んでくるんだよね。ま、そのうち会えるだろうから、分かるよ」
ポーという存在について話し始めると、彼はとたんに元気になった。
「ポーはいろんなことを教えてくれた。何故オレやオマエが、ここにいるのかってこととかね。……まあ簡単にいうと、オレたちはもともと、この空間に『生じた』存在なんだよね。だから時間の流れから外れると、ここに戻ってくるんだ」
あまりにも途方もない話だった。いくら考えても、解るわけ無い、と航平は思った。たとえば、命は何処から来るのか、とか、宇宙の広がりのその外側はどんな空間なのか、とか、それを説明されても、『へえ、そうなのか』としか受け止めようがないのと同じだ。真実は、理解の範囲とは関係なく存在して当然なのだ。(とりあえず、帰ることだけ考えよう……)
「ひとつだけ先に教えてほしいんやけど……俺は、帰れるんですか? 帰ったらやっぱし、誰にも見えへんのですか? 」
「帰れるよ。姿も、オマエなら問題なく、見えるよね 」
あっさり言われて、航平は拍子抜けしてしまった。夢から覚めるようには簡単にいかないって、確かに言っていたが。
「ただし、オレが手伝ってやったら、だよ。オレはオマエがいた時代と場所を、正確に知ってるからね。とにかくこのエリダヌスはーーこの河のことね。エリダヌスは、あらゆる時間が流れているからね。少しでもずれたら絶対に思うところにいけないよ」
「エリダヌス!ほんまに⁉ 」
昔、プラネタリウムに行ったとき、耳にした言葉だ。たしか、大きいけれど、明るい星の少ない星座だ。天の川のように、河らしくは見えない。そもそも、他の星座は、神様だったり英雄だったりするのに、河ってなんなん? とか思った。むしろだからこそ覚えていたとも言える。ともかく、ようやく自分も知っている名前が出てきたので、嬉しかった。
「あー……いろいろごめん。オレが名前つけたの。ちょっとでも親しみがわくかなーって思って……」
「……なんや……」
「いやいや、えーと、でも、オマエ、エリダヌス座を知ってるの? 」
「ちょっとだけ。けどたしか、地味な感じの星座やったような……」
航平の記憶はあやふやだったが、それでも彼は嬉しくなったようで、身を乗り出しながら、早口で喋りだした。
「オレはさ、船乗りだったから、星はちょっと詳しいんだよね。星は航海の目印だからね。ここに星空があったらなあ……エリダヌス座はね、地味だからこそ、大河を想い描かせるんだよね。深く静かで、ゆったり大きな波がとうとうとうねり行く。伝説ではその河は、罪をおかして天から落とされた若者の亡骸を、優しく受け止めてやって、母親の嘆きの涙も琥珀に変えて水底に沈めてやったんだよ。オレ、この話、好きなんだよね。大きい河って、ホントにそういう懐の大きさを感じるよね。――そしてね、この島にも名付けたんだ。アケルナルって。エリダヌス座の1等星だ。迷わずに戻って来れるようにって、つけた」
彼は照れくさそうに頭を掻きながら、笑ったように見えた。
「……ほんまは、戻りたいんは、ここやなくて、マッカ船長とこやのに? 」
「……まあね」
小さく呟いて、彼は立ち上がった。
「それは次でいいや。オマエはまだ慣れてないのに、オレが焦りすぎていろいろやらせたから、混乱して忘れちゃうんだ。だから、次でいいよね。先に帰してやる。オマエが帰りたい所に」
意外な言葉に、航平は彼を見つめた。
「ほら。来るがいい」
「……ええんですか? 俺はまたここに来るとは限らへんと思うし……」
彼の後について歩き出しながら、帰りたい想いとは裏腹に、なにやら申し訳ないような気持ちになって言った。
「来るよね。現に2回とも戻ってきた」
「2回⁉ 全然知らん!」
「その度に、全く理解しようとしないオマエに、一から説明したんだよね」
川沿いに、下流の方へ向かっていた。足元の草は、短いわりに弾力があって、一歩を前に押し出すように感じた。見渡すと、あれほど空虚に感じた景色にも、微かに表情があるようだった。淡い色が重なりあうところは、彼方の山入端に似ていた。
「また忘れてるかも分からん」
「まあ、その時はまた話すよ。……ほら、あそこ」
彼が足を止めて、腕で川面を指した。立っている岸から数メートル程のところに、釣りで使う浮きのようなものがある。良く見ると、それは水面に触れていなかった。
多分、あそこに飛び込むのだろうが、あんなところまで飛べそうにないし、どうしたものかと考えていると、彼はしゃがみこんで、草の間に隠れていた小さな棒のようなものを探り出した。そしてそれに、何かの粉末を振りかけた。すると棒は、たちまちのうちに巨大な柱になった。最初に見た、あの灰色の物体と同じものだった。
航平が呆気にとられていると、彼はちょっと見せびらかすように、ちぎった草をくるくると巻き、それにも粉末を振った。するとそれは、雑な作りではあるが、大きなリールのようなものになった。
「これは結晶なんだよ。エリダヌスの。ポーがくれたんだ。アケルナルの草や地面にこいつをかけると、変化して、こういう素材を作れるんだよね。あとね、それだけじゃないんだ。例えば……ほんとなら、まだ時間軸の座標を持っているオマエと、持っていないオレとは、会うことも話すことも出来ないんだけど、これのお陰で出来てる。何でかって、それは説明が難しいから、ポーに訊くがいい。さて、出来上がり。これでオマエを吊り上げて、あそこに落としてやる。あと、これが大事なんだけど、落ちたら、戻りたい時間の、できるだけ具体的な感覚を思い出すんだ。臭いでも、音でもいい。そうすりゃそこに引き付けられて、『継ぎ目なく』戻れるよ。わかった? 」
彼は言いながら、柱のてっぺん辺りを通って下りてきている半透明の糸を、航平の体にしっかりと結わえた。この柱のようなものは、要するに釣竿とかクレーンと同じ役割なのだ。彼がリールをきりきりと巻くと、航平は徐々に宙に浮いた。ゆっくり、川面の上へと動かされていく。足下にうねる波が、だんだん硬く冷たいもののように見えてきて、恐怖が這い上がってくる。けれど、それでも帰りたい。煩くて、試験があって、友達がいて、昨日と明日がある世界へ、帰りたい。
航平は、覚悟を決めて、大きく息を吸い込んだ。……と、大事なことに気がついた。
「ちょっと……ちょっと、名前……あなたの名前、きいてへん! 」
「レフだよ」
答えが聞こえたと同時に、糸が切られた。(やっぱり、アイツはレフやったんや……じゃあ俺はレフの記憶に入ったんかな? )しかし今はそれどころではない。航平は慌てて、直近の具体的な感覚を探した。思い付いたのは、あの飴のベタベタだった。
水音もせず、抵抗も感じないまま、エリダヌスの中に沈みながら、航平は必死であのときの指先の感覚を辿った。
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