第22話




「部屋の鍵を用意しないとね、そろそろ」



 ユウの声がした。俺はロビーのソファから身を起こした。いつのまにか眠っていたらしい。読んでいた新聞記事が、床に落ちていたので、拾った。眠っている最中に頭か腕かで潰してしまったのか、見出しの部分に折り目がついてしまっていた。

『米ホテルでの監禁事件 犯人は日本人女性か』


「どこの鍵を?」


 ユウは少し疲弊していた。他人を寄せ付けない黒いコートを着て、壁に寄りかかって腕組みをし、いつものように悠然とした態度ではあったが、その目はどこか泣きそうだった。

「どこって。君の部屋さ」

「俺の?」

「念願だったろう?」

 その言葉に、面食らった。確かに俺は長いこと自分の部屋を望んでいたが、こんなにも突然、あっさりと要求が通ってしまうと、驚かない方がおかしいだろう。

「それは、そうだが。でもどうして今、なんだ……?」

 ユウは軽く頭を振り、口元に形だけの微笑みを浮かべた。

「僕は、少し、疲れてしまって」

「疲れた?」

「ああ。だから少し休みたいんだ。君に部屋に入ってもらって、他のみんなを僕の代わりに制御する役割を担ってもらいたい」

「それは構わないが、どうして俺なんだ? また人を増やせばいいじゃないか。エリアスの時みたいに」

「僕と君の仲だからこそ、頼めることなんだ。わかるだろ?」

 俺は少し迷って、首を横に振った。


「なあ、無理だよ。部屋は喉から手が出るほど欲しいが、それでも、俺は外には出られない」


 ユウは笑みを消し、無表情になった。それは今まで見た中で、もっとも冷酷な表情だった。

「わかった。これはね、君への最後通牒でもあったんだ。君はもう要らない。消そうと思えばいつでもできたが、それでも今まで生かしておいたのは、ただの情け以外の何ものでもない。この体はもうほとんど僕のものだが、君は唯一、ここの古株だ。そんな人をむざむざ消してしまうのは、後味が悪いし、勿体無いからね」

 ロビーの光り輝く照明に照らされながら、ユウは両手を大きく広げた。

「全てが終わったら、僕は君を殺し、ここを改装してゲストを招く。とっておきのスイートルームに住んでもらう予定だ。僕の……いや、僕らの長年の悲願が叶う日が、ようやく来るんだよ。君にその場に立ち会ってもらえないのは残念だけれど、せっかくはるばるやってこられたVIPのお客様に、ロビーで寝そべる不審者を見せるなんて許されない。そうだろ?」

「偉くなったもんだな、ユウ」

 俺はユウを睨みつけた。

「ただの住人が、今じゃ支配人気取りか。ここには支配人なんて存在しないのに」

「そうだ。ここには支配人も従業員も清掃員もシェフも、誰もいない。でも、いないなら、それは僕がやってもいいだろう? 誰がやったっていい。でも君はやろうとしない。だから僕がやるんじゃないか」

 彼の靴音がロビーに響く。俺のいるソファのすぐそばまでやって来たユウは、ナイフの切っ先をこちらに向けた。笑みを貼り付けたまま、その瞳から涙が溢れた。


「ねえ、人はどうせいつか死ぬ。なら、君の死だって、別に珍しいことじゃない。いつか必ず来る死なら、それをせいぜい有効に活用するべきだろう? 僕は、それをするだけだ。ただ無意味に死にゆくしかない命なら、僕は使う。いつか訪れる、孤独で冷たい死のその間際まで」


 

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6.ファラリスの安全な棺 名取 @sweepblack3

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