第20話



 館は水を打ったように静かだった。あるいは、私の訓練された耳が、不必要な音を遮断することに慣れすぎてしまったせいかもしれない。鍵盤の音、弦を弾く音、そんなもの以外は全て遮断して生きてきた。音楽学校でも友達の一人もできなかった。競争の激しいあの空間では、皆、裏では互いの足を引っ張り合い、表でだけ平和な雰囲気を装っていた。でも私にはどうでもよかった。私には、心洗われるような美しい調べだけがあればよかった。


「ここ……は、違うかあ」


 アヤセが開けた扉は、大広間のものだった。そこは昔、フェリスとピアノを弾いた記憶がある、私にも思い出深い場所だった。しかし、そこにあったはずのグランドピアノを含め、家具は一式なくなっていた。ただひたすらにだだっ広いだけの広間の中、ふと窓辺に目をやると、置き忘れたのだろうか、伏せられた写真たてが一つだけ残されていた。

 写真たてに近寄って、持ち上げて見ると、そこにはフェリスの写真があった。フェリスがまだ喪服を纏っていない頃のもので、おそらくは緑の萌える春の庭、清潔な薄いイエローのブラウスを着て微笑む彼女の隣には、見知らぬ少女が笑っていた。

「へえ。よく似てるう」

 口笛を吹きながら、アヤセはその写真を私の肩越しに覗き込んだ。

「フェリスって女、娘がいたんだ?」

「私は知らない。会ったこともない」

「じゃあ、娘じゃないとか? 親戚とかかなあ。それにしては親子っぽいけどね」

 少女はフェリスと同じブロンドで、柔らかなその髪は肩まで伸びていた。笑顔はどこか無邪気であどけなく、甘えるようにフェリスに寄りかかっている。

「音楽学校に入ってからは、忙しくて、あまり会っていなかったから」

「ふーん」

 アヤセは興味なさそうだった。

「ま、今はそれより、リアちゃんとこ行かないと。行くよ」

 私たちは写真たてを再び伏せ、大広間を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る