第17話
「オリビアはまあ、相手が意識を失ってからが本番だから」
柊木はリモコンの音量を上げながら言う。モニター画面にはリアのいる部屋を出て行くロナルドとフェリスの姿、そしてオリビアという名の水色の髪の少女が、気絶した彼女のそばに手押しワゴンを運んでくるところが映っている。
「どういうことだ、柊木」
「どういうことって、ほら。いたぶるのさ」
柊木が顎でモニターを示す。オリビアの運んできたワゴンには、鞭やピストルやナイフなど、あらゆる武器が積まれてあった。もともと持っていたチェーンソーはどうやら小道具の一つに過ぎないようで、彼女はチェーンソーをあっけなく床に放ると、鼻歌交じりにピストルや鞭を手にとって、吟味している。
「意識がないのに、いたぶって楽しいのか?」
「さあ。でも彼女言ってたよ、『私は非力だから、人を楽しませるビデオを撮るのなら、相手をぎりぎりまで弱らせてからじゃないとね』って」
「非力か」
非力とは一体なんなんだろう、と私は思う。「自分は非力」と、自分の口から簡単に言える人間が、果たして本当に非力であることなんてあるのだろうか。リアは確かに二重人格で、行動や発言がかなりエキセントリックではあったが、彼女のことは嫌いではなかったので、せめて安らかに逝ってほしいと願っていたけれど、それは、どうやら無理かもしれない。
「こうして見ると、多重人格ってなんなんだろう、って思わないかい?」
拘束されたまま項垂れて、みじんも動かないユウのいる部屋を眺めていると、横から柊木が声をかけてきた。
「別に何も思わないが。探偵は色々なことを考えるものだな」
「まあ、職業柄ね。ここのところ俺は、二重人格や乖離性人格障害について調査したり勉強したりしていたんだが、そうやって彼らのことを学ぶうちに、逆にどうして俺たちは人格を一つに保っていられるんだろう、って思えてきたんだ」
「それで?」
「俺たちのような普通の人間に比べて、彼らはきっと『自分』ってものがとことん希薄なんだと思う。誰しも『自分の存在を他者に示したい』『自分が可愛い』って欲やエゴが多少はあるもんだ。でも、彼らは己の心、己の人格を切り分けてでも他者を重んじようとする。無意識的にか意識的にかは知らないが」
私はモニターの中で、悲惨な目に今まさに遭っている彼らを見る。皮肉なことに、なぜだか彼らは、そうしているのがとても自然だった。まるでその状態で生まれてきて、今までずっとそうしてきたかのように。
「愛されたくてやっているんだ、きっと」
柊木が気怠げに言う。
「飢えているからこそ、自らを切り刻んでまで、愛を望む。それで愛されることはほとんどないっていうのに。むしろそこまでする必死さと執念は人を遠ざける。人生の始まりの段階で愛されなかった人間は、結局、その飢餓感とやり場のない憎しみのせいで、最期まで愛されずに終わるんだよ」
がちっ。
まるでこちらの会話が聞こえていたかのようにタイミングよく、手錠の鎖が鳴る音がした。ユウの方だった。マシンガンで武装した方の男が、「なんだ」と彼に銃口を向ける。
「動くなと言ったはずだ」
ユウは手錠を鳴らしはしたものの、以前深く俯いており、表情は髪に隠れて見えなかった。彼はそのままぽつりと呟いた。
「煙草」
「なんだって?」
「煙草、吸わせて。どうせ僕を生かしてるのは、あとで尋問をするためなんでしょ。リアちゃんのほうを処理した後で。それまで、とてもじゃないけど暇すぎるよ。一服したって構わないだろ?」
見張りの男がカメラ越しにこちらを見る。柊木はリモコンのボタンを押し、テーブルの上にあったマイクに向かって指示を出した。
「吸わせてやれ。ただし、不審な動きがあったらすぐに撃て。急所は外せよ」
見張りは頷き、ポケットからシガレットケースを取り出した。煙草を一本手に取り、ライターで火をつけると、ユウの口元に持っていった。
「……」
大人しく煙草をくわえるユウを見ながら、おや、と思う。そういえばこいつは煙草を吸うのか? 見た限りあの家に灰皿はなかったし、こいつは私と初めて会ったとき、吐き出した煙草の煙に(不意に吸い込んだせいとはいえ)、ひどく咽せていたような気がする。
「あー、おいし」
ユウが煙を美味そうに深く吸って吐き出し、ゆったりと呟くのが聞こえる。
「ユウは許してくれないからなあ。煙草。匂いがつくと仕事に障るって言ってさ」
「何を言って……」
バキンッ。
何かの折れる物凄い音がしたが、もう、そんなことはその場の誰も気にしていなかった。ただ私の目を奪ったのは、まるで当たり前のように椅子から立ち上がり、くわえ煙草で男に頭突きを食らわせる、もはやユウ・F・ブランシェットではない何かが浮かべる、おぞましいまでの笑みだった。
私は横目で柊木の方を見やった。彼の顔もやはり軽く青ざめ、引きつっている。
「すまない、愛がなんだって?」
「……悪いね。下らない考察は忘れてくれ」
カメラを背にして狂ったようにけたたましく笑いながら、見張りの男の腕をひねりあげる「それ」を、柊木は笑みを浮かべながら、かすかに震える指で指した。
「あれはただの化け物だ」
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