第18話


 異変が起こっていたのは、ユウの部屋だけではなかった。


「うわ」


 聞こえるはずのない声がまた、モニター越しに聞こえた。頭を強打したはずのリアは、突然パッチリと目を開いて血の混じったつばを吐き捨て、すでに顔色の悪い顔を、さらにぐにゃりと歪ませた。

「うわうわうっざ、気持ち悪い。お前、自分のこと大好きかよ」


「な……」

 流石にまずいと思ったのか、柊木は椅子から立ち上がる。

「なんかまずいな。様子がおかしい。フェリスのところに行ってくるよ。ミランダ、貴方は?」

「私はここにいる」

「そうかい」

 彼がいなくなったあとも、私はじっとモニターを見ていた。ユウは見張りの二人をあっさりと伸してしまうと、彼らの装備をあさって鍵を探すこともせず、ロックのかかった部屋のドアを力ずくでこじ開けようとしている。みしみしと金属のねじ曲がる音がする。

 リアの部屋では、オリビアがとっさに、ウサギのように後ろに跳ねて距離を取っているところだった。リアは言うまでもなくボロボロに負傷していて、なぶり殺す立場である彼女にとってはそこまで警戒する状況でもないはずなのに、声はわずかに震えていた。

「驚いたわ。あなた、まだおしゃべりする気力が残ってたの?」

「気持ち悪い。もうお前は喋るな。空気が腐る」

「へえ。じゃあ、これでどう?」

 オリビアは冷徹な表情で、リアの頬を鞭で打った。彼女は一瞬痛みに震え、堪えるように喘いだあと、口の端を曲げて微笑んだ。

「だって俺は、自分が自分のこと好きか嫌いかとか、世界の果てまでどうでもいいと思ってるからね。生きていくには、そんなもんどうだっていい。気持ち悪いんだよ、あんたら」

「必要なのは、じゃあ、何?」

「うるせえよ。そんなに生きたきゃ、心臓と脳みそ動いてりゃいいだろ、かったるい」

 ふう、と煙草の煙を吐くように、息をつく。

「まあ、どのみちお前の心臓も脳も筋肉も、どうせすぐ動かなくなるわけだが」

 その瞬間、ぐじゅと、果実が潰れるような音がした。

 はじめ何が起きたのかわからなかった。が、リアが返り血のついた澄まし顔で、ゆっくりと血まみれの二本指を立てた手を引いた時、ようやくわかった。眼球を突いたのだ。奇襲を掛けたはずのオリビアが絶叫して床に倒れる。

「おお、痛そうだ」

 耳をつんざく悲鳴の響く中で狂ったように笑いながら、目が覚めた人が目覚まし時計に手を伸ばす時のような自然さで、彼女は指の血を払うと床に放り捨てられたチェーンソーを手に取った。再び唸り出した音は、オリビアが使っていた時よりもなぜか高らかで、ファンファーレのように幸福感に満ちて、そしてどこか清らかだった。

「死ね。死ね。シンプルに死ね。信条も美醜も、皆焼いて食ってやる」

 彼女ははたから見ていても楽しそうだった。別に、幼子が玩具をもらった時のよう、というわけではない。咲いた花が風に揺れてひらりと花弁を散らすように、それはごくごく自然な喜びかただった。怒りの炎に焼かれながら、しかし彼女はまるで美味しい食事を家族みんなで囲んでいるその真っ最中であるかのように、心の底から楽しそうに微笑んでいた。

「ビデオも回ってねえんじゃ、どうもやる気が出ねえ。なあリサ」

 彼女はチェーンソーを顔近くまで寄せ、持ち手の部分に軽いキスをした。

「ああああああ」

 潰れた目でどうにかワゴンの上の銃を掴み、射撃を繰り返すオリビアに、その弾をどうということもなくひらりひらりと避けながら、幸せそうに彼女は語りかけた。

「ねえ、俺はさ。リサがいれば幸せだよ。リサが笑ってくれりゃ、もう他には何にもいらないんだ。お前はそういうのあるか? いや、ねえよな。お前には、自分だけなんだ。自分だけ、自分だけ、自分だけ。どこまでいっても、それっきり。周りにいくら仲間がいて、いくら口で高尚なこと言って褒めようが、お前の頭の中は自分で満杯。まるで養豚場の豚の一匹だ」

 そこで、オリビアは弾切れを起こした。

「どうして、どうして、どうして……」

「死ぬ間際だってのにわりと余裕だなぁ。もっとみっともなく叫んだりしなよ。俺はそっちの方が好みだからさ」

「だって、こんな、おかしい、だってあなたのどこに、そんな体力が残って……」

「しらね」

 言って、リアはチェーンソーでオリビアの右腕を切り落とした。手袋がすっぱ抜けるようにして空中に飛んでいった腕から、マシンピストルが床にゴトンと落ちる。断面から血が噴き出す。耳を塞ぎたくなるような絶叫が轟いたが、リアは顔色一つ変えず、むしろどこか感心したような表情で首をかしげ、血を吹く彼女を眺めていた。

「此の期に及んですげえな、お前は。まだ自分が解体する側だと思ってるとか。気持ち悪いって。あのな。俺は別に殺した方が強いとか殺された方が弱いとか、考えたことはないよ。死んだら死ぬし、殺したら殺せる。ただそれだけのことなんだ。誰でもそうだし、永遠にそうだ」

 できの悪い生徒に困り果てた教師のように、そこでリアは物憂げにため息をつき、チェーンソーを肩に担いだ。

「でもお前はさ、殺せる自分は少なくとも死人よりは上、とか思ってんだろ。そこがダメなんだよ。お前。解体する側がそんなメンタルじゃ、解体される側がかわいそうだろ? 腐ってもプロだぞ。人にバカにされながらバラされて、気分がいい人間がいると思うか? ん? ま、こっちに喧嘩売ってきたクズ野郎に安らかに死なれるのはムカつくから、それは例外としてもだ」

「だ、って、どうせ殺す、のに……」

「どうせ殺すんだから見下してもいいって? なんだよそれ。人としてダメだろ。明るく楽しくいこうぜ。どうせろくでもない世の中なんだからさ」

 オリビアはもう何も言わなかった。恐怖と驚愕と混乱で何も言えなかった、の方が近いのかもしれない。しかしそれをリアは、なんと解釈したのか、首をひねって決まり悪そうに頭を掻いた。少し喋りすぎたと思ったのかもしれない。咳払いを一つし、チェーンソーを構え直した。

「まあ以上のような理由で、あなたは永遠に解体される側、ということでね」

 へへ、と嬉しそうに振り上げて唇を舐め、彼女はもったいつけずに振り下ろす。







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