第16話



「胸は痛まないのかい、ミランダ嬢」



 目の前のテレビのリモコンをカチャカチャといじりながら、どうでも良さそうに柊木が言う。私は彼の入れてくれたコーヒーをすすって、頷いた。

「私はシノさえ無事に取り戻せればそれでいい」

「それは賢い選択で」

 私はコーヒーカップをテーブルの上に置いた。

 フェリスの別荘の中の、リアのいる大広間とは別の部屋で、私と柊木は椅子に座ってモニターを見ていた。映っているのはテレビ番組ではなく、リアのいる部屋の映像と、ユウという殺し屋を監禁している部屋の映像だった。リアはひどく痛めつけられており、ユウは両手両足を縛られて床に座らされ、武装した男二人に銃口を向けられている。殺し屋の方はあとで尋問をする予定だ、と柊木は言っていた。

「リアはこのまま殺されるのか?」

「このまま無抵抗ならね。もし助けを求めれば、彼女はロナルドって変態のところにやられて一生飼い殺しさ。どっちにしろ、終わっている。彼女の人生に、はじめから自由なんてなかったんだよ」

「そうか」

 はじめからそういう手はずだった。彼女たちを駅まで誘き寄せるまでが私の役目であり、そこからはフェリスの使いがこの屋敷まで二人を運び、あっというまに拘束・監禁してしまった。シノはもう私の家に送り返されているらしく、さっきテレビ通話でそれを確認した。彼の指はやはり一本なくなっていた。私はすぐにでも帰りたい気持ちだったが、柊木に「最期まで見届けてほしい」と言われここにいる。

「ところで聞いてもいいかい」

 早く終わってほしい、と願う私に、柊木がこちらに向きなおる。

「どうしてあなたは、シノを……自分とはなんの関係もない病気の少年を買ったりした?」

 無言で睨みつけると、彼は降伏するようにゆっくり両手を挙げた。

「興味本位で聞いただけ。申し訳ない。許して」

「……シノは病気じゃなかったんだよ」

「え?」

「シノは、別に、なんの病気でもなかったんだ。私の親が死んでしばらく経った頃、『難病の子を救うためにご寄付を』とかなんとか言って、どこかの財団の奴がうちに来てな。ずっと家にこもりがちだったし、使用人にも勧められて、気まぐれについていったんだ。そして病院に行って、その病気の子供達に会わせられた。その中にいたのがシノだった」

 私はその当時を思い出し、少しだけ、背筋に寒気を覚える。

 まるで実験用モルモットの飼育室とでも言えばいいのか、白くて無機質な空間に、病める子らとその親は集まっていた。死人のようにどの顔にも表情はなかった。肌に触れる空気はじっとりと生暖かく、物音の一つさえない。心臓が血管に血を送り出し、内臓が体液を滲ませてぬめりと動く、生命活動を行うひそやかな音だけが、聞こえない音を部屋中に響かせていた。

「シノだけは目が違ってた」

 そう、その身体以外全てが死んだ部屋の中で、ベッドに寝たきりの少年と目が合ったのを、覚えている。それがシノだった。

「何が、と言われると難しいが、こっちをやたら見てくるその疲れた目の中には、静かだがぎらついた光みたいなものがあった。それもまた思いつきだったが、私は人を雇ってその子を調べさせた。そうしたら、奴の体にはなんら異常がないってことがわかったんだ」

「異常がない?」

「ああ。代理ミュンヒハウゼン症候群というらしいな。周囲の関心を引きたいがためだけに、自分の子供の命までも利用してしまうという心の病だ。シノの親はしばしば医者の目を盗み、シノの点滴に異物を混ぜていた。医療関係者に紛れ込んで調査していた奴の報告によると、それは主に自宅で繁殖させた細菌やカビ、あるいは劇薬を死なない程度まで薄めたものだったそうだよ」

 柊木はなるほど、というように顎に手を当てた。

「へーえ……だからかわいそうに思って、引き取った?」

「まさか。単純に面白そうだったからだ。ここで死ぬしか他にないこいつが、もし生き永らえたらどう生きるのか、それを見たくなったんだよ」

「じゃ、あの髪とカラコンは趣味?」

「まあ、私はベートーベンが好きだし、あの眼には何かしら覆いをしておきたかったんだ。落ち着かなくてな」

「ふーん? そう」

 モニターに再び目を移した柊木が、あ、と小さく声をあげる。見れば、リアが壁に吹き飛ばされ、はずみで頭を強く打ち、気を失うところだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る