第12話




「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」



 誰かの呟いたそんな言葉で、私は目を覚ました。すでに場所は列車の中ではなかったけれど、さほど驚きもなかった。

「確かソクラテスが、こんなことを言っていたかしら。知っていて? それにしてもあんまりよね。無知が罪なのはともかく、知っていたところで虚しいだけだ、なんて。欲深いことだわ」

 私は椅子にベルトで拘束されていた。椅子の足が高いために、私の靴底は床につかず、ぷらぷらと宙ぶらりんになっていた。服や靴は列車に乗った時のままだったが、首の後ろのあたりが鈍く痛かった。その痛みで、少しだけ記憶が戻る。

 目的の駅に着き、列車から降りてホームに立ったその瞬間、後ろから誰かに襲われた。どうやらそこから記憶がない。

「何かを知ろうともしない人間に比べれば、知ろうと努力する人間の方が、よほど偉いと思うわ。褒め称えられるべきだと思うのよ、私はね。貴方はどう? 知ろうと努力をしている? たとえ行き着く先が空虚であれど」

「……」

 私は暗闇の中に目を凝らした。

 声の反響の具合からして部屋の中にいるようだったが、真っ暗で、何も見えない。女性の声はするが、物音の聞こえてくる方向を見るので精一杯で、声の主は見えない。まるで夜色のベールで守られているかのように、彼女は悠々と言葉を紡ぐ。

「だって英雄になんて、なれるわけがないもの。私たちは一般人で、ソクラテスみたいな天才とはわけが違う。私たちはただ凡庸に日々を生きて、恋をして、やがて結婚して子供を育てる、普通の女でしかない。英知がどうとか、英雄になって誰かを救うなんて、とてもじゃないけどやっていられないわ。そうでしょう? 凡人には知ることがせいぜいだわ」

 飲み物が喉が通るような音がした。彼女が何かを飲んだのだろう。

「ねえ。秘密はよくないわよね。どんなにもっともらしい理由があっても、それは相手に対する不義、無礼、侮辱に当たるわ。だから、教えてあげる。私はフェリス。夫はエドワードといって、交通事故で四肢がバラバラになって死んだ」

 すると突然照明がつき、目の前が眩い白に染まる。反射的に目をきつく閉じ、そのあとうっすらと開く。そこにはワイングラスを持った喪服の女性と、水色の髪をツインテールに結んだパーカー姿の少女、そして暗いカーキの服を着た、病的なまでに痩身の男が立っていた。

「貴方はどちらがお好みかしら。金属の牛に閉じ込められて、外側からじわじわと炙り殺されるのと、廻り蠢く刃物で一思いに命を断たれるのと」

 私はそれを聞いて目を閉じた。どうせ私に選択権などないのだろう。たとえそれが、自分の生死に関わることであれど。

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