第10話
「お前は絵が好きなのか?」
ドイツ行きの列車に乗り、窓に頭をつけて髪で顔を隠して、眠ったふりをしていると、隣のミランダが小声でそう話しかけてきた。向かいに座っているユウは、さっき見たときは本を読んでいたので、こちらの会話には参加してこないと思われた。彼女は、私が起きていようが眠っていようが構わないらしかった。さっき駅で買っていたミネラルウォーターを開け、口に含んだのだろう、ボトルの中で水が上下に動く重だるい音がしたあと、ミラの声が再び聞こえた。
「芸術は好きだ。それに命を捧げようとする人間もな。私は人間なんてみんなくたばればいいと思っているが、口を閉じて絵筆を動かすだけの人間や、楽器を弾くことに集中している人間は、まだ見るに耐える」
私は顔にかかる髪を手で払い、ミランダの方を見た。
「どうしていつも、男の人みたいに喋るの?」
「さあ。母に怒られたからかな。私がなよなよした女言葉を使ったり、弱音を吐いたりすると、いつもあの人は機嫌を悪くした。でもいいさ。どんな言葉遣いをしたとしても、それで心臓が止まる訳じゃない」
「ミラが私のお母さんだったらよかった」
「お前は死にたがりだな」
私はそこまで話すと、ふとユウの方を見た。彼は読書に熱中しているようで、こちらの話に加わる気配はやはりなかった。私は別に、ユウにここで助け舟を出して欲しかったわけでもなかったのだけど、なぜか向かいの彼がここで会話に入ってくるような気がして、そんな目線を送っただけだった。
「どうかしたのか」
「ううん。ただいつも、ここで誰かが会話に入ってきたような気がしたの」
「誰が。家族か?」
「きっとそう。気持ちの悪い人だった。にやけた顔で、目をじっと見てくる。私たちが穏やかに話していると、まるでそうしなきゃいけない決まりでもあるみたいに、いつも話を遮った」
「無礼な奴だ。舌を切り取ってやりたい」
「もう、舌も体も、ないけど」
そう言って、また窓に頭をつけた。ひどく眠かった。ミランダはため息をついて、今度はユウに話を振った。
「敵の要塞へ土産つきで飛び込んで行くようなものなのに、ずいぶん楽しそうだな、殺し屋。狂ってるとしか思えない」
静かに本を伏せる音の後、彼は言った。
「『私たちが皆狂っていることを思い出せば、神秘は消え失せ、人生は説明がつく』。トウェインの言葉だ」
「知らないな。きっと発狂していたんだろ、そいつは」
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