第9話



「飛行機の方が早いのになぁ」


 ミランダがやって来て数日後、私たち3人は最寄りの鉄道駅にやって来た。真っ黒なコートをひらめかせながらぼやくユウの足を、無言のミランダがヒールで踏みつけた。

「いった! 何するんだよ、大事な戦力が負傷したらどうするの」

「お前だけ飛行機でもよかったんだぞ」

「やだよ。リアちゃんと離れたくないもん」

「何がもんだ、気色の悪い」

 二人がチケットを買っている間、近くのベンチに座って待っていると、雑踏の中から、他に目立った話し声もしないのに、誰か知らない女の人の声でふふふと笑うのが聞こえてきた。そんなはずはないのに、その人がなぜかこちらを見て笑っているように思えて、ふと目を伏せると、同じ声が言った。

「恋って素晴らしいよね。そう思わない?」

 そしてそれと同時に、首を、後ろから両手で掴まれる。


「え……」

 突然のことで、驚いて振り返ることのできない私に、見知らぬ女性はまた後ろから囁いた。

「会いたいの。私の恋人は、いつも私を不安にさせる。でももう生きてないのかもしれない。一度しか会ったことがないから」

 話している声は雑踏に紛れてあまり聞き取れなかったし、意味もよくわからなかった。今にも私の首を締めあげんばかりに置かれた、煌びやかなネイルを施された両手の指、そればかりが気になって仕方ない。

「私はね、あの人と同じになりたいんだ。好きな人と、できるだけ多くを分かち合いたい、多くを一緒に感じたい」

「私には、よく、わからない……」

「確かに恋っていうのは不思議ね。相手がいなければ始まらないのに、相手に自分の存在が知られていなくてもなり立つんだから」

「……」

 さっきからこの人は、どうしてこんなことを言ってくるのだろうと考えて、もしかしたらこれが世間話というものなのだろうかと、そんなことを思いながら私はじっと黙って動かずにいた。どう答えたものかわからなかった。恋愛なんていうものは、私にはあまりに現実感がなく、彼女の口から出た話はすべて、私のいる世界とは遠い世界の物語に聞こえた。

 首の裏、温かい皮膚の下に走る、とりわけ太く脈打つ血管を、彼女の爪がほんの少しつつく。

「でもこの世界に存在している限りね、人は、そういうものからは逃げられない。あなたが望もうと望むまいと、それは追ってくる。それだけは覚えておいてね、お姉さん」

 するりと蛇が獲物を離すように、手が解かれる。



 やがてチケットを持って戻って来た二人に、「顔色が悪い」と言われたので、私は「なんでもないよ」と答える。なんであれ、あれがなんだったかなんて、考えたくなかった。私は何も知りたくない。



 


 

 

 

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