第8話


「俺は置いて行ってくれ。あんな厄介な女に関わりたくない」



 ふわあ、とユウがあくびをした。陽の光が窓から差し込む早朝、自室のベッドに腰掛けた俺は、また家を抜け出していないかと様子を見に来た彼に、そんな相談をもちかけていた。リアは多少気に入っているようだったが、ミランダとかいう女はどう考えても危険すぎる。

 そう思って言ったのだが、ユウはやはり首をかしげるばかりだった。

「どうして? ていうか最近、君の方はやけに反抗的だね。なんで?」

「なんでって、落ち着かないんだよ。今の生活っていうか、何もかもが。イライラする」

「穏やかでいい暮らしだと思うけどなあ。リアちゃんも気に入ってるじゃないか、絵画教室とか、買い物とかさ。君は、リアちゃんが幸福でいたら満足なんだろ?」

 そういうことを言ってるんじゃないんだよ。

 俺は前髪をくしゃりと握って、深くうなだれた。

「いくら幸せでも、こんな異常な生活、どうせ続くわけない」

「臆病だな。僕らに拾われなかったら、今頃君は、日本のあのちっぽけな家の中でどうなっていたかわからないのに。もっと今を楽しめよ」

 楽しめるものか。俺はリアの中の、副人格に過ぎないのに。

 うなだれてため息をついていると、ユウが俺の隣に座り、頭を撫でた。

「ま、君の気持ちはわからないでもないんだ、僕は。恵まれた日常をぐちゃぐちゃに壊してやりたくなる気持ちはもっともだ。呑気なものだよ。あんな地獄を生きていた自分に比べて、周りの奴らは、当然のように幸せなんだから。やりきれない気持ちになるのも無理ないさ」

 彼の諭す声を聞いているうちに、不思議と落ち着いてきて、同時に少し悲しくなった。今の環境が、昔とは比べ物にならないほど恵まれていることなんてわかっている。けれどそれをどうしても受け入れられず、素直に適応できない自分が悲しかった。俺はユウに尋ねた。

「どうしてそう、なんでも器用にできるんだ? 殺し屋なのに、まるでカウンセラーみたいだな」

「年の功ってやつ」

 年って。まだ二十歳かそこらじゃないか。

 そんな風に思いながら、俺は目を閉じ、まどろみの中へと意識を手放す。

 

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