第6話



「私は疲れた。先に寝る」


 家の鍵を開けた瞬間に、ミランダはそう言い放って、とっとと奥に引っ込んでしまった。シャワーくらい浴びたらいいのにと思ったが、私自身もバスルームを使いたかったので、強くは止めなかった。お風呂から上がると、ユウがリビングのソファに毛布を置いているところだった。

「ミランダは僕の部屋のベッドで寝るってさ」

「そう、なんだ」

 私はテーブルの上に、例の封筒が置いてあるのに気がついた。ちょっとした手紙を入れるための普通のサイズのものだったが、よく見れば、何か便箋以外のものが入っているかのように膨らんでいる。封筒をじっと見ていると、ユウがやってきて、耳元に囁いた。

「疲れてるとこ、悪いんだけど。ミランダが寝てるうちに、彼女が封筒を出した後に何を話したのか、一応説明しておきたくて。きっとリアちゃんの方には、記憶がないよね?」

「うん。私なら大丈夫だよ」

「よかった。ミランダもきっと、もう一度話すのは辛いと思うから」

 どういうことだろう? 

 尋ねようとしてユウの方を見たが、彼は誤魔化すように笑っただけだった。


 テーブルに向かい合わせに座ると、彼は話し始めた。

「ミランダが親を亡くして秘密結社SSMに入った当時、幹部に一人年上の女性がいて、女同士親しくしてもらっていたそうだ。彼女はフェリス・ローレンスと言って、その当時から、常に黒い喪服姿を貫き通していたらしい」

「喪服?」

「ああ。元々はフェリスの夫の方が結社の一員だったんだけど、夫が死んでから、フェリスが跡を継ぐ形で結社に参加していたって話だよ」

「どうしてその人の夫は死んだの?」

「さあ。それはミランダも知らないらしいけど、フェリスが手をかけたと言う人もいたそうだ。彼女の家系は代々とても神経質なことで有名で、ヒステリーを起こしたら何をするかわからないと、裏で言われていたんだって」

「ヒステリー……」

「血筋っていうのは、全く恐ろしいよね」

 ユウはそう言って、テーブルの上に置かれた小さな陶器の人形たちを指でつついた。

「似たくないとこばかり似てしまうって話もあるけれど、本当のところどうなんだろう。そんなものに一生を支配されるのは、なんだかぞっとしない話だよ」

「話が逸れてるよ、ユウ」

「ああ。そうだね。それでそのフェリスが、ミランダにこんな手紙をよこしたんだ」

 彼は封筒を手に取ると、便箋だけを抜き取って、こちらに渡した。便箋には万年筆と思われるとても整った文字がずらりと並び、差出人の几帳面さがこれでもかと伝わってきた。

「親愛なるミランダ。あなたは安全な棺というものをご存じかしら?」

 手紙の文面は、そんな優雅な挨拶から始まっている。



 差出人たるフェリスが言うには、フェリスの家系には昔、安全な棺について研究した女性がいたらしい。彼女は棺職人であった夫と共に、独自の安全装置を考えたのだ。万が一、まだ生きている人間が棺に閉じ込められてしまった場合でも救出ができるよう、その当時からすでに、棺の内部から管などを通して鐘や花火を鳴らす仕組みが考えられていた。

 もちろん、彼女と彼女の夫の物語は事実であって小説ではないので、山もなければどうというオチもなく、彼女の手記にはただ研究の日々がつらつらと綴られているだけだったらしい。だからフェリスはその手記から印象的な場面だけを抜き出して、時候の挨拶がわりにしていた。

「ユウは何かに閉じ込められたことある?」

 便箋をめくりながら、ふと、そんなことを聞いてみる。

「えっと、それは……比喩的な意味でってこと?」

「なんでも」

 ユウは少し戸惑っているようだったが、やがてテーブルに肩肘をつきながら答えた。

「あるよ。比喩的な意味じゃなく、昔、ホテルの一室に閉じ込められたことがある。数日くらいね。もう随分と昔のことだけど」

「そう」

「どうして急にそんなことを聞くの?」

「なんでもないよ。ただ、私もそうだったから」

 はは、と彼は明るく笑う。

「別に驚かないよ。君はそういう家に生まれた子だって、初めから知ってたし。でもまあ、さすがにホテルにってことはないよね?」

「それはないよ。でも」

 彼の笑みにつられて、私も笑う。

「生きたまま棺に長く閉じ込められていたら、きっと、実は自分はもう死んでいるじゃないかって気になって、そのうち本当に死んでしまうのかもね」

「殺し屋にはどうもピンとこない話だな。でも、そうだね。まだ息があるのに生き埋めにされる無念っていうのは、計り知れないだろう。世の中には色々な死に方があるけれど、生き埋めっていうのはまあ、控えめに言ってもむごい。だからこそ人間は、生き埋めにされても助けてもらえるよう、棺に色々工夫をしてきたのかもね」

 私は頷き、2枚目の便箋に目を移した。

 棺作りに生涯を捧げた先祖夫婦の小話を終えたフェリスは、本題に入り、秘密結社の掟についての話を始めていた。自分たちの秘密結社の鉄の掟は「決して他者に秘密を作らないこと」であるはずなのに、あなたはひょっとしたらそれを破っているのではないかと、彼女はミランダをそれとなく詰っていた。文調はあくまで控えめで淑やかなままではあったが、ペン先の払い方や文字の間隔のとり方に、ヒステリックな空気がわずかに漂っている。

「手紙が届く前、フェリスたちはミランダの家でお茶会をしたらしい。そしてそのあと、シノがいなくなった」

「え……シノが?」

「ああ。屋敷から自力で脱走したとは思えない、とミランダは言ってる。シノには外部に助けてくれる人もいないし、体力も身体能力も十分じゃない。出入口には監視カメラがあったけれど、彼が出ていく様子は映っていない。ただ、付き添いで来ていたフェリスの執事が、お茶会にはそぐわない大きなスーツケースを持って出ていくところは録画されている」

 ぞく、と思わず背筋に悪寒が走った。

 決して楽しい話ではないだろうと思いながら話を聞いていたのに、どうしていきなりそんな話になったのかと、気づいてみれば私はひどく困惑していた。手紙の筆記体が、まるで御伽の国の女王様が王子様に向けて綴ったものであるかのように、あまりに優しくたおやかであったせいかもしれない。一気に現実に引き戻された私は、自分の心臓がどきどきと不吉に高鳴っているのに気づく。

「そしてその手紙には、これが同封されてた」

 ユウは、小さな小箱をこちらに差し出した。

 受け取って開くと、そこにはまるでギロチンで切られたように断面の美しい、人間の人差し指が入っていた。


 

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