第5話



 家の前まで来た時、アパートの前に人影が見えた。ユウだとわかった私は、ミランダから離れて早足で駆け出した。でも彼の顔が見える距離まで来た時に、ぎくりと足が止まってしまった。彼は怒っていた。彼の周囲にだけピリピリとした空気が漂って、溢れる怒りをひた隠すように口をキュッと引き結んでいるのが、なおのこと恐ろしい。私が謝ろうと口を開く前に、ユウはこちらに鋭い目を向け、静かに聞いてきた。

「いつから?」

「え?」

「いつから、切り替わってたの?」

 きっと人格のことだろう。私は正直に答えた。

「えっと、ミランダさんが封筒を出したときから、記憶が飛んで……」

 謎の不甲斐なさについ俯くと、ユウは私の前に来て、仁王立ちで言った。

「ずいぶん小賢しくなったね、もう一人の君の方は。まんまと出し抜かれたよ。あの子は、まだ僕が信用できないのかな。こんなにリアちゃんのこと大切にしてるのに、まだ足りない? そんな我が儘な子だったっけ?」

 返す言葉も思い浮かばなかった。怒れるユウの言葉にひたすらしょげ返る私の前に、おもむろにミランダが割って入った。

「おい、待て。これは二重人格なんだろう? なら、こっちの何も覚えていない方のリアに当たったって、仕方がないだろ」

「部外者に何がわかるんです?」

 ユウはぞっとするほどの冷たい声で言った。

「人格がバラバラになってもいない人に、僕らの何がわかるんですか」

「それは……」

「それにあなただって、人にどうこう言えた立場じゃないでしょ。一体今までに幾つの組織を潰して、何人を殺してきたんですか? 組織の方針だからって、あなたは思考停止して、言われるがまま悪逆非道を重ねてきたんでしょう。そんな人に、僕たちの問題に口を挟む権利はありません」

「しかし……体も冷えているし、怯えているじゃないか」

 そう言われても、殺し屋の険しい表情は変わらなかった。ミランダはため息をつくと、膝を曲げて、私の耳にそっと囁いた。私は頷くと、勢い任せにユウに抱きついた。

「ユウ、ごめんなさい」

 謝ったが、返答はない。このくらいでは彼の怒りは静まりそうもないらしい。いつもは優しいこの人が、本気で怒ると、ここまでになるとは知らなかった。私は軽く深呼吸をし、ミランダに言われた通りのセリフを続けて言った。

「私のこと、ユウの好きにして。いっぱいお仕置きして?」

「……!?」

 次の瞬間、ヒッと息を飲んでユウが私から飛びのいて離れ、ひとしきり謎の動きで慌てた後、息巻いてミランダに詰め寄った。

「みっ、み、み、未成年の女の子に何てこと言わせるんですか!?」

「はてなんのことやら。どんなお仕置きを妄想して興奮してるんだ、このむっつりスケベめ。どうせお前だって夜な夜なリアの……」

「変な邪推しないでください、スケベはそっちでしょ!? うちのリアちゃんを汚さないでください!」

「汚したいくせに」

「あんたほんとに最低ですね」

 ともかく、とミラは咳払いをした。

「スリルがあっていいと、そう言ってたのはお前じゃないか。落ち着けよ。この子が無事に戻ってきたんだから、まずそれを喜んでやれ」

「……」

 ユウはしばらく納得しかねる表情をしていたが、結局反論を諦めたようで、「話の続きは部屋でしよう」と言ってきた。まだ怒っているのか、目を合わせてはくれなかったものの、その顔はもう初めほどは怖くなくて、少しホッとした。ただミランダに対してはまだ敵意があるらしく、建物に入る時、ぼそっと呟くのが聞こえた。

「さすが、人をペット扱いし慣れてる人の言うことは違うな」

「なんだ、やっぱり羨ましかったのか?」

「誰が」

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