森の妖精 1

 征司という叔父の名前が出たことで、察した春香はリコエッタを連れてパン屋へと戻っていった。


 妹の気配りに感謝しながらも、店内に謎のエルフとふたりきりで取り残されて、なにやら冷や汗が止まらない。


 これは単なる人見知りや、かの高名なエルフという異種族との初対面による緊張でもなく――なにか厄介ごとの匂いがぷんぷんする。

 デッドリーリートというエルフは、そんな雰囲気を醸し出していた。


「ちょっと見ない間に、この町も変わったよな~。なんかやたらと広くなってるし、人増えてるし。冒険者ギルドも場所移って、どこにあるかわかんねーし」


「へえ~。そうなんですね」


 なんだか自然と敬語になってしまう。

 決して敬意などから来たものではなく、どちらかというと腫れ物に触りたくない類の敬遠だ。


 デッドリーリートは店の商品を値踏みするように、店内を興味深げに見て回っていた。

 できればこのまま素直に退店してくれると、心情的にはありがたかったのだが――そのつもりは微塵もないようだった。


「ちょっとって、どのくらい前なんですか?」


 無言の重圧には耐え切れそうになかったので、当たり障りのない会話を続けることにした。


「ん~?」


 デッドリーリートは人差し指を顎下に添えて、天井を眺めている。


「10年くらい?」


「じゅっ――!?」


 叫びかけて絶句した。


 10年。俺のほぼ半生。

 デッドリーリートの見た目では、年齢がそれくらいだと言われて納得しそうなふうではある。


 世間一般的なファンタジー観では、エルフという種族は長命もしくは不老が常道だが、実際に目の当たりにすると信じられない感が先に立った。


「少し前に、セージが魔王をぶっ倒したろ? その後から音信不通だったもんで、捜してはいたんだよな。でも見つかんねーしよ。そしたら、この町が魔族に襲われたところに、セージが現われたっていうじゃねー? で、遠路はるばる来てみたってわけ」


「はあ。そうでしたか」


 デッドリーリートは時間をかけて店内を一周し終えた後、俺の正面で足を止めた。


「んで。おたくがセージのことを隠してるのは、なんで?」


 ずばり核心を突いてくる。


 デッドリーリートは「にひ」と笑っていた。


「あたいは町に着いてから、人捜しの魔法でセージを捜してたんだよね。そしたら、おたくが引っかかった。人違いではあったにしろ、無関係ではないよな? 魔法に反応したってことは、たぶん血縁だろ? セージの名前出したら、おたくと嬢ちゃんの片割れが変な顔をしたよな。なんか知られちゃまずそうな気配がしたもんで、もう片方が出てくまで待ってたんだよ。だから、もういいだろ。大人しく、おねーさんに話してみ。な?」


 見た目にそぐわず、鋭い洞察力だった。


(とぼけても……無駄だよね)


 勇者である叔父との関係は極秘だが、そもそもこのエルフは街の住人でもない。

 叔父と知人関係でもあるようだし、ほとんど見透かされている感もある。

 むしろ、リコエッタの前で暴露しなかったことに、感謝すべきかもしれない。


「はあ。そこまでバレてるなら、隠しても仕方なさそうですね。俺は白木秋人。征司の甥です」


「やー、ビンゴ! にゃは!」


 デッドリーリートは跳び上がって、指を鳴らした。


「さっそくだが連絡取れるか? なぁに、『デッドねえさんが会いたがってる』って言やあ一発だからよ! ほらほら!」


(ほらって催促されても……)


 と思いかけて、なぜか急に電波の繋がったスマホを思い出した。

 ものは試しにと、この間購入したばかりの叔父のスマホの番号を入力すると、本当に呼び出し音が鳴った。


「もしもし、叔父さん?」


『おー、秋人! どうした? ってか、おまえどこから電話してるんだ? 街に行ったんじゃなかったか?』


 電波が細いのか声が遠い気がするが、充分に会話可能なレベルだった。


「街の店にいるよ。理由はわからないけど、スマホが使えるようになって……あ、それはいいんだけど、今お店に叔父さんの知り合いって人――じゃなくて、人というかエルフな人が来てて」


『エルフ? そりゃあ、珍しいな』


「デッドリーリートって人なんだけど」


『…………』


「…………?」


 しばしの無言の間があったあと、


『げ』


 ただ一音で、すべてを代弁するような呟きが聞こえた。


(げ、ってなにー? げ、ってー!?)


「お、なになに、それ? 今話してるのって、もしかしてセージか? おーい、セージぃ!! 愛しのおねーちゃんが来たぞー! おーい!」


 背中から肩によじ登られ、デッドリーリートが俺の顔を押し退けて耳元で叫んだ。


『その声、まじで本物か……』


 スマホのスピーカーから諦観めいた声が漏れている。


 叔父にしては珍しい――というか、勇者で魔王な叔父をもってこう言わしめるとは、何者ですか、あなた。


「ち。声が遠い! 音、もっと大きくできねーの? 『精霊の水鏡』みたく、姿は映せねーの? なーなー」


 肩に乗られたまま、耳を引っ張られる。

 『精霊の水鏡』は意味がわからないが、姿が見たいならビデオ通話?


 切り替え操作をすると、スマホの画面上に叔父のライブ映像が映し出された。


「おー、今度こそ本物のセージだ! なんだ、おめー! ちょっと見ない間に老けたなー? 笑える!」


『ちょっとって、最後に会ったのはもう10年も前だろーが! それに老けたんじゃなく、精悍になったとか渋くなったとか、他に言いようはあるだろうが!? 10年もあれば少しは変わるわ! エルフのあんたは変わんねーだろうけどよ』


「そうだろ? どーよ、10年ぶりの色褪せない美貌を目の当たりにして?」


『相変わらずのガキっぽい見た目に笑える』


「なんだとー!? てめ、いい度胸だー!」


「やめてやめて! スマホが壊れる!」


 スマホに掴みかかろうとするデッドリーリートを、なんとか押し留める。


『ええい、耳元でうるさい! いいから、秋人に代われ! ビデオ通話は切っとけよ』


 肩からデッドリーリートを降ろして、言われた通りに音声通話に切り替えた。

 デッドリーリートは地団駄を踏んで、下でぎゃーぎゃー暴れていたが、とりあえずは無視する。


「叔父さんのところに案内しろって言われてたけど、どうしようか?」


 口元を手で覆ながら声を潜めて訊ねると、通話口からは盛大なため息が返ってきた。


『応じざるを得んだろうな。昔から言い出したら聞かない奴だ。仕方ないから連れてこい、こちらでも心構えをしておく。だが、くれぐれも用心しろよ。そいつは冒険者の仲間内では、”トラブルギフト”のふたつ名で有名な曲者だ。自由奔放、好奇心旺盛で、なにかと厄介ごとに首を突っ込むくせ、なんでか自分だけは難を逃れて、その始末は周りが引っ被るって寸法だ。間違いなく面倒ごとを運んでくるぞ』


 だからトラブルメーカーならぬ、トラブルギフト――贈り手のほうか。上手いことをいうものだ。


 なるほど、第一印象から感じていたのはそれだったらしい。

 あながち、自分の直感も捨てたものではないようだ。これっぽっちも嬉しくないが。


 ファンタジーの華。憧れのエルフ。

 そんな言葉が神代の向こうに遠ざかってゆくのを感じる今日この頃であった。

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