妖精と出会いました 2

 ようやく客足が落ち着いたところで、春香がバスケット片手に、リコエッタを伴ってシラキ屋にやって来た。


 店に入ってきた瞬間、えも言われぬ甘い香りが店内に広がる。


「どう? 見てた、にいちゃん? ついに完成した、わたしとリコの新作パン! すごい繁盛ぶりだったと思わない?」


「いや~、あたしも売りながら、お腹が鳴っちゃいそうになるくらいだったもん。これは、やばいね!」


 春香が開けたバスケットの中には、一斤の芳しい焼きたてパンが鎮座していた。


「蜂蜜の香り? これってハニートースト?」


「にいちゃん、正解! といっても、アレンジした特製だけどね。こっちでは蜂蜜って希少らしいのよね、知ってた?」


「ハルカには大助かりだわ。あたしも以前から絶対にパンに合うと思ってたんだけど、なかなか手に入るものでもないしねー。今回はその蜂蜜を贅沢に使って、まずは生地に練り込み、中にも包み込み、最後に焼いた上からもたっぷりかけて、蜂蜜づくしで仕上げてみました」


 実家からの帰りがけのスーパーで、春香がなにをこそこそ大量に購入してるかと思っていたら、このためだったとは。


「もち、採算は度外視です!」


「「ねー」」


 息がぴったり合って、なんだかすごく楽しそう。

 出会って日が浅いのに、ここまで仲良くなれるというのも、よほど波長が合うのだろう。

 10年来の幼馴染のようでもある。


「休憩がてら、アキトにもサービスね」


 リコエッタがパンを山型に沿って千切ると、ふんわり蜂蜜の香りが増した。

 ふたりの受け売りではないが、贅沢な蜂蜜づくしで食欲を刺激されて、実に美味しそうだ。


「じゃあ、俺は珈琲の準備でもしようかな」


「あたし、カフェオレで」


「あ、にいちゃん! ミルク多めの砂糖少なめでよろしく!」


「へいへい」


 適当に返事しながら、珈琲の準備のためにカウンターへ足を向けると――


 ピロン♪


 軽い電子音が2重に鳴った。

 音源は、俺と春香のふたりが持つスマホからだった。


「あれ、にいちゃん? なんでかいきなりオンラインになったんだけど。メッセージ受信した」


「本当だ。こっちはメールの着信だな。おかしいな、電波が届くはずはないんだけど」


「近くで新しいWi-Fiができたり?」


「こっちで? ありえないだろ」


 ふたりで首を傾げる。


 置いてけぼりのリコエッタは、疑問符顔でとりあえずパンを齧っていた。


「うん、我ながら美味しい。上出来ね」


「ほんとだ、こりゃうめー。うわ、これ蜂蜜じゃん!? 『森の恵み』がこんなにたっぷり~。マジか! マジなのか!? けしからん! んぐんぐ」


 リコエッタの独白に返したのは、俺でも春香でもなく――いつの間にか店内にいた第三者だった。


 ボロボロのフードにマント姿の、一見すると旅人ふうの見知らぬ人物が、一心不乱にパンに貪りついていた。


 なんというか……小柄というより、とにかく小さい。

 雰囲気から子供ではないようだが、身長が130センチあるかないか。

 立っているのに、隣で椅子に座っているリコエッタよりも確実に頭の位置が低い。


 長いマントの下で見え隠れする手足、剥き出しの腰周りも、なにもかもが細い。

 痩身矮躯という言葉がぴったり当て嵌りそうな風体だった。


 皆で唖然としている中、その人物は我関せずと3人分のパンを食べ尽くし、最後に未練がましく両手の指についた蜂蜜を舐めとっていた。


「……リコエッタの知り合い?」


 訊ねたが、リコエッタはふるふると首を左右に振るばかりだった。


 完食して満足したのか、その人物はあらためて周囲を見回し――突然、俺目がけて飛びついてきた。


「おわわっ!?」


 反射的に避けようとしたが避け切れず、次の瞬間には視界が覆われていた。

 かなりの身長差があるはずなのに、意に介さない跳躍力で肩に飛び乗られ、真正面から頭に抱きつかれてしまっていた。


「ん~♪」


 不自然な体勢ながら、頭に乱暴に頬ずりされているようだった。

 驚くほど体重が軽いため、首で支えきれないこともなく大丈夫だが、顔面が素肌の腹に押しつけられていて、どうにも息苦しい。


「ようやく見っけたぜ、セージ!」


(セージ? 征司って……叔父さん?)


 飛び出した名前に、どきりとする。


 必死に引き剥がそうとうーうー唸っていると、その人物はようやく戒めを解いてくれた。


 鼻先10センチの至近距離で目が合う。

 少年――いや、おそらく少女。


「んお? ありゃ、おめーしばらく見ない間に……なんか縮んでないか? ってか、そんな貧弱そうなナリだったっけ? …………おんやぁ? もしかして、別人だったり?」


 貧弱で悪かったな、という文句は飲み込んで、首に巻きついた少女の身体ごと頷いた。


「あ~……そっか、そっか。人違いか~」


 バツが悪そうな声音で呟くと、その少女は登った木から降りるように、俺の身体を逆に伝って床に降り立った。


 こほんっと、ひとつ咳払い。


 少女がフードを脱ぐと、その下に収められていた癖っ毛の長い金髪が溢れ出してきた。

 金髪に金目――そして、右側の先端が欠けている尖った耳。

 悪戯っ子そのままの勝気な表情で、少女は告げた。


「勘違いして悪かったな。あたいは冒険者のデッドリーリート。見ての通りのエルフさね。にひ」


 細い、薄い、小さい。

 空想していたのとはだいぶ違うが、ファンタジーの定番――森の妖精エルフとの邂逅だった。

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