異世界の朝
差し込む日差しの温かさに誘われ、瞼をゆっくりと持ち上げた。
普段の万年床とは違う、柔らかで真っ白なシーツの肌触り。
胸元にはさらにふかふかで柔らかな感触がし、抱き締めてみるとお日様の匂いがする。
少しずつ覚醒していく意識の中、俺はぼんやりと天井を見上げた。
古ぼけた木造の天井は、見慣れないがなんだか懐かしい感じがした。
鼻腔をくすぐる食べ物の香りと、窓辺からの小鳥の声。
平和だなぁ、と意味もなく安堵した途端、意識は再び沈み出した。
(もこもこ……気持ちいい……もこもこ)
極上の感触をさらに得ようと、抱き締めたもこもこに頬ずりをする。
しばらくそうしていると、なぜかそれがごそごそと身動ぎした。
「…………?」
不可解に思って目を開けると、至近距離に小さな顔があった。
ピンク色の髪に獣耳、半開きの眼を眠そうにこすりながら、その幼女は大きく欠伸をした。
「おふぁよー、にーたん」
一瞬、思考が追いつかなかったが、一緒に寝ていた相手をようやく思い出し、慌てて返事をした。
「あ、おはよ。リオちゃん」
叔父の征司とその妻リィズさんの娘にして、俺の歳の離れた従姉妹。獣人族の少女。
(ここは異世界でした)
昨日の記憶を反芻し、一息吐く。
あの宴会でしこたま飲まされた割には、さほどアルコールが残っている感覚はない。
生来、強くはないのだが、こちらのエールがそういうものなのか、それとも最後にリィズさんが出してくれた、あの小さな果実のおかげなのか。おそらくは後者だろうが。
「ままも、おあよー」
「はい、おはよう」
にこやかに微笑みながら、リィズさんがトレーに朝食を載せてやってきた。
香ばしい匂いのするパンが入ったバスケットと、湯気立つホットミルクの入った木製のコップ。先ほど、霞がかった意識下で感じた香りはこれだったらしい。
「おはようございます、リィズさん」
「おはようございます。アキト様、こちらへどうぞ」
ベッド脇のテーブルに勧められる。
「えっと、様は止めてもらえますか? 秋人でいいです。様付けなんて、生まれてからされたことないから、なにか変な感じがして……すみません」
こめかみを掻きながら頭を下げると、リィズは小さく噴き出した。
「あ、ごめんなさい。あの人と初めて会ったときを思い出しまして。セージ様ったらおんなじ仕草でおんなじことを言ったものだから、おかしくて。血の繋がりって不思議ですね」
「そうなんですか?」
「もう15年も昔のことですけれど」
トレーをテーブルの上に置き、リィズさんは懐かしそうに呟いた。
15年前というと、叔父がこの異世界にきた時期である。
「ええ。セージ様と最初に出会ったこちらの住人はわたしです。あのときはびっくりしました。誰も住めないはずの森のほうから、血だらけの男の子が出てきて――出てくるなり、ぱたっと倒れてしまって。もう、どうしたものかと右往左往してしまって。ふふっ」
「なんというか、叔父さんらしいですね」
「ええ、まったく」
大人ふたりで笑い合っていると、朝食を前に痺れを切らしたリオちゃんが、ほっぺたをぷくーっと膨らませた。
「にーたん、はやく! ここ、ここ!」
椅子をばんばん叩く。
俺が腰を下ろすと、すかさずその上にリオちゃんが座った。
えへー、と満足げな笑みを浮かべて、一心不乱にパンに噛り付きはじめた。
「あら。ずいぶん懐かれてしまいましたね」
「そうみたいですね。はは」
そういえば昨夜も、当然一人で床に付いたはずである。
寝ている間にリオちゃんが潜り込んできたということだろう。別段、子供から慕われる経験はなかったのだが。
「きっと、セージ様とおんなじ匂いがするからですね」
「匂い? そうなんですか?」
すんすんと自分の匂いを嗅いでみるが、よくわからない。
そもそも自分の匂いなんて意識したことがなかった。
「あ、変な意味ではなくて、気になされたのならごめんなさい。わたしたち獣人は、嗅覚が鋭いので、人間ではわからない匂いも感じ取れますので、そのせいです」
「そー、にーたん。ぱぱとおんなじ! きゃはっ! はい、あーん」
鼻先にパンが差し出される。
ベリー系らしいジャムをふんだんに――というか、リオちゃんの手にまでべっとりと付いた状態で差し出されたパンを、どうやらあーんして食べるのは決定事項らしい。期待でぴこぴこと獣耳が動いている。
リィズさんに目を向けると、苦笑してからこっそり『ごめんなさい』と合掌していた。
気恥ずかしさを抑え、俺は小さな姫様の望むまま、朝食を摂ることに専念した。
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