異世界の夜

 巨大な丸太を輪切りにした円卓には、所狭しと珍しい料理が並んでいた。

 大半は素材を生かした薄味の料理で、以前に知人のお祝いの席で食べた和食の膳に近いものがある。


 普段から、レンチン以外で温かいものといえばカップ麺くらいしかない俺にとって、立ち昇る湯気さえも美味だった。

 なにやらわからない肉の塊に齧り付き、濃厚な果汁ジュースで流し込む。

 酒も勧められたが、ビールを水で割ったようなエールには抵抗があったため、丁重にお断りした。


 叔父曰く、日本のビールのほうが美味いのは美味いが、飲み慣れてくるとこっちの味が癖になるらしい。

 とりあえず、日本にいた頃はまだ未成年だったはずだが、そこは指摘しないのが優しさだろう。


 異世界の叔父宅に招待され、その晩は歓迎会が催された。

 ひとつ間違いなくわかったことは、叔父の妻のリィズさんが、かなりの料理上手であったということだ。


 テーブルの対面で飲み食いする叔父は、アルコールの力も相まってとてもご機嫌で、飲み干したエールは大杯ですでに10を超えている。


 台所で料理を続けるリィズさんの後姿では、スカートの裾から伸びたピンク色の長い尻尾が楽しげに揺れていた。


「いい女だろ、リィズは?」


 にやりと笑いかける叔父に、俺は素直に頷いた。


「たしかに。料理は美味いし、美人だし」


「やらんぞ!」


「いやいや、俺の叔母さんってことになるんでしょう?」


「そう! そして、俺のさいこーの嫁だ!」


 叫んでまたエールを一気にあおる。


「セージ様、声が大き過ぎですよ。はい、お代わり」


 新たなエールの杯と料理皿を受け渡し、リィズさんは台所に戻っていった。

 照れたふうもなくすまし顔だったが、尻尾の揺れ幅が増していた。


 リィズさんは異世界では獣人族と呼ばれる亜人らしい。

 生態や生活習慣は人間とほぼ変わらないが、身体能力に優れ、外見的には身体を覆う体毛と、野生を残す尻尾と耳が大きく異なる。

 本来は顔つきももっと獣面に近いそうだが、リィズさんは半獣人――人間のハーフとのことで、顔も見た目は人間に近かった。


 とすると、その娘のリオ嬢は、クォーターということだ。

 その彼女は、散々に叔父とはしゃぎ回った後、今では父親の膝の上で力尽きて眠ってしまっている。


「なんか……もこもこ」


 最初、ピンクの毛玉に見えたのはあながち間違いでもなかったらしい。

 耳から尻尾まで丸まって眠る従姉妹どのは、毛糸の玉を髣髴させなくもない。


 父親の眼差しで娘を見つめ、叔父はその髪をそっと撫でていた。

 くすぐったそうに身をよじる様子が、とても愛らしい。


「可愛いだろう?」


「そうだね」


「俺の宝物だ」


「見てたらわかる。あの征司叔父さんがデレデレだし」


「自覚はある! 改める気はない! はっはっ!」


 叔父は笑いと共にエールを飲み干した。


「だが……秋人に理解があって助かったよ。もし、俺のリオを見て、ちょっとでもペット扱いなんてしてたら――」


 だんっ!と杯がテーブルに叩きつけられた。


「……俺はおまえを殺していたかもしれん……」


「いや、怖いよ」


 眼が本気だった。

 もしかして助かったって、俺の命のほうなの?


「とまあ、冗談はさておき。俺が昼間に言ったこと、覚えてるか?」


「――炙り明太チーズ味は――アリ?」


「そこ拾ってくるか。じゃなくって。今後のことだよ」


 叔父の言いたいことはわかる。

 信じてもらえるかは別として、叔父は異世界で暮らし、所帯を持ち、子供までもうけた。世代的なものか、俺はそれを割とすんなり受け入れたが、叔父の兄である父はどうだろう?

 さらに上の世代の祖父母――ふたりの両親は? 生きているとわかれば喜ぶだろう。ただ、その後は?


 いつの間にか、リィズさんも叔父の隣の席に腰掛けており、神妙な面持ちをしていた。


「俺の生活基盤はここだ。正直言って、戻るつもりはない。ふたりと一緒なら――という考え方もあるが、ふたりにとって住みやすい世界になるとは、とても思えない」


「……だろうね」


 口をもごもごさせて幸せそうに寝息を立てているリオちゃんを見て、二の句が継げなかった。

 どうなるか――ほんの少し考えただけでも、決して楽しくない予想図になることは、想像に難くない。


「本音を言うと、今日、あの場所にいたのが秋人でよかったぜ。これまで15年、俺は肉親に不義理をしてきた。これまでは還れなかったから仕方ないで済ませてきたが、良いのか悪いのか還れる手段を見つけちまった。だから、まずは還ろうと思った。還って――死んだと思われているならそれでよし。会わないでおけばいい。会ったら会ったであらためて詫び入れて、出て行こうと思ってた。思ってたんだが……」


 すっと叔父の目が細められた。


「ああいうの見ちまうとな」


 ああいうのとは、きっと叔父の部屋のことだろう。

 当時そのままで、掃除も欠かされていないその部屋を見なかったことにするほど、叔父は冷めた人間ではなかった。


「わたしは、セージ様はきちんと親御様にお話ししたほうがいいと思います。わたしは永遠に出来なくなってしまいましたから……親子が離れるのは不幸なものです。そのためなら、わたしは――わたしたちは――」


「あ~、またそれを蒸し返す! ダメ、却下、っていうか、俺が無理だから! 絶対、無理! あー! ほら、引くな、秋人! だいたい、こんな辛気臭い話にするつもりはなかったんだよ! 会うことは会うつもりだし、話すことは話す! でも、それは今じゃねぇ! 今度だ今度! 以上、終わり!」


 この叔父は堂々と問題を先送りにした。ザ・日本人。


「それもこれも、おまえが素面なのがいけない! 飲めるんだろ!? 飲め! 飲めなくても飲め! とりあえず飲め!」


「うごっく!?」


 強制的に杯が俺の口に突っ込まれ、エールが流し込まれた。

 リィズさんが隣で目を丸くしていたが、叔父は構わない。


(まあいいか)


 諦め半分自棄半分で、俺は慣れないエールを今度は自分から流し込み、歓迎会はそのまま宴会に移行した。

 騒ぎで目を覚ましたリオ嬢に叱られるまで、どんちゃん騒ぎは続いた。

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