再会

 俺こと白木秋人しらき あきとは21歳。某私立大学の4年生だ。

 成績も運動もいたって平凡、さして偏差値も高くない大学に、第2志望でなんとか合格したのが早3年前。はじめて田舎から出て、異なる環境に夢を馳せての生活だったが、たいして思い出に残る事柄もなく、なんとなく時間だけが過ぎていった。


 必須単位は全て修め、卒業が危ぶまれることこそないものの、ただ就職の内定だけが貰えてない。

 さほど遊びまくっていたわけでもないが、余裕ぶって選り好みしていた昨年の自分が恨めしい。

 まあ、自業自得なのは理解しているが、世情の壁は厚かった。


 そろそろ現実的に『就職浪人』の4文字が見え始めてきたこの頃、実家から一本の電話が入った。

 思い起こせば、上京以来、それが初電話というのも放任主義な両親らしい薄情さだが、丸3年以上、盆も正月もバイト三昧で、帰郷どころか連絡一つしなかったこちらもどっこいだろう。


 ともあれ、大学最後の夏の長期休暇に入る直前、久しぶりの実家からの電話は「もうすぐ夏休みだよな? どうせ暇だろ? 来月、祖父ちゃんの家に行ってくれ」という父の言葉だった。

 ちなみに脚色なしに、通話内容はこれだけだった。


 一方的に言われた後、これまた一方的に電話は切れた。返事どころか、「もしもし」すら言えてない。

 慌てて折り返すと、今度は母が出た。


 要約すると、祖父母宅の掃除及び荷物整理を依頼されたのだった。

 祖父母宅は、父の生家に当たる。もともと祖父母は隣県に居を構えており、父が結婚を機に家を出て引っ越した先が、今の実家だ。

 俺にとっては『爺ちゃんち』であり、幼い時分は家族ともども泊まりでお世話になったものだ。


 最近まで、祖父母ふたりで住んでいたのだが、高齢ということもあり、実家のほうで両親と同居することにしたそうだ。

 祖父母宅を売りに出す案もあったそうだが、とある事情から祖父母たち自身に反対されたため、見送られた。

 祖父母は既に実家に移り住んでいるそうだが、高齢者の引っ越しの慌しさも相まって、大半の家財もろもろが置き去りのままとの事らしい。


 そこで白羽の矢を立てられたのが、上京して近況報告ひとつない不肖の息子――この俺ということだった。

 まあ、実際はいい加減顔見せに帰れ!との無言の圧力でもあったのだろうが。


 正直、就活の期限も差し迫っている最中、面倒なことこの上なかったが、『仕送りを割り増しする』という母のありがたい言葉に、飛びついた。

 提示された額は、普段のバイトより割がよかった。


 先の就活も大事だが、今の生活も捨て置けない。帰郷も併せてせいぜい1週間もあれば足りる。その程度なら、就活にも影響しまいとの考えだ。(これがいけないのかもしれないけれど)

 既に家業の跡取りや内定が決まった、遊び仲間やサークルメンバーからの無責任な遊びの誘いを断るのにも好都合だろう。悪意がなかろうとも、いまだ内定0の就活者に対して、旅行の誘いはないだろう、旅行は。


 電話の最後を締めくくった「地元ならいくらでも仕事あるから安心しなさい」との母の言葉が温かかった。

 疎遠にしていたバツの悪さも相まって、親には一切内緒にしていたため、情報源は妹だろうが、親の愛情が嬉しかった。お土産は母の好きな生和菓子系にしよう。


 そして電話をもらって5日後――


 新幹線と電車を乗り継ぎ4時間、バス2時間、徒歩1時間をかけて、俺は祖父母宅の前にいた。

 早朝6時に出発したのに、太陽はすっかり中天を越えている。覚悟はしていたが、移動だけでも半端ない。


 祖父母宅は、記憶に残るそのままの姿だった。

 純日本風な平屋の一軒家。昔ながらの造りのため、敷地面積は広い。祖父母ふたりでは広すぎるくらいだろう。

 周囲は田園が広がっており、お隣さんでも数百メートルは先になる。


 最後に訪れたのは、もう15年ほど昔になるか。

 幼い頃はもっと巨大な屋敷に思えたのだが、成長したらこんなものだろう。


 郵送されてきた鍵を使って、玄関の引き戸を開ける。

 若干、開け方に癖のある戸だが、年月が経っても覚えているものだ。すんなりと開けられた。


 玄関をくぐると、懐かしい風景が飛び込んできた。

 石造りの玄関に、手作りの靴箱、奥に続く土間、板葺きの廊下、畳敷きの居間、傘電球の照明――時間が止まったように変わらない風景に、幼い記憶を刺激される。


 ただ、祖父母が引っ越してまだ一月余りのはずだが、人の営みが消えた家が傷みやすいのは本当らしい。

 見た目はそのままでも、埃っぽさと空気の淀みは感じられた。


「よーし、さっそくやりますか!」


 まずは家中の障子やガラス戸を開け放ち、まずは空気を入れ替える。

 昔の家屋は、やたらと間仕切りの戸も多い。それだけでも30分ほどの時間を要した。


 ついでに残された家財や荷物も確認したのだが、さすがに老夫婦だけの暮らしとあって、思ったほどの量はなかった。

 目に付くのは梱包用のダンボールやテープが散在しているくらいで、これならば整理には予定ほどの時間も掛かからなさそう。


 一通り見て回って、気づいたことがあった。

 質素な家財の並ぶ殺風景な部屋の中で、ある一室だけ異なる様式の部屋がある。

 生活感がある――生活感があった部屋というべきか。和式の家屋の中、そこだけ入り口が洋式のドアにリフォームされた部屋だった。


 8畳間の一室には、型遅れのオーディオ機器、壁には昔のロックバンドのポスター、時期外れのコタツの上には調律途中のアコギ、床には平積みされたCDや古めかしい雑誌が置き去りにされ、ロフトのパイプベッドには脱ぎっ放しのジーンズが引っ掛かっている。

 マンガが大量に突っ込まれた本棚の上には、対照的に車や戦艦の模型が整然と並び、床にはダンベルが無造作に転がっている。


 なんというか……いかにも思春期の少年の自室、といった感じだ。


「……そうか、ここは征司叔父さんの……」


 白木征司せいじは父の弟――俺の叔父に当たる人だった。そして、15年前に行方知れずとなっている。


 白木家ではタブー扱いとなっているが、失踪当時の叔父は17歳、高校2年生の冬。

 学校から早引けする姿を最後に、なんの前触れもなく家族の前から姿を消した。


 髪を金髪に染め、ヤンチャもしていた叔父は、当時から無断外泊などはよくあったが、それでも両親である祖父母に対して芯から心配をかける人物でもなかった。

 人徳もあり、周囲には常に人が集まるような人物で、たまに遊びに来る自分たち甥や姪にしてみれば、よく遊んでくれる気のいい兄貴分だった印象が強い。


 それだけに、家族の受けた衝撃は強かった。

 田舎とはいえ、事件や事故に巻き込まれた可能性は否定できなかったが、数ヶ月経ってもなんの進展もないことから、警察からは単なる家出として処理される結果となった。


 それが15年前のこと。

 そのときの家族を包んだ尋常ならざる雰囲気に、当時の俺は6歳という幼子ながらに恐怖を覚え、あれほど楽しみにしていた祖父母宅の訪問も嫌がるようになってしまった。


 最後の記憶はなんだったか。きっとあのときだ。裏山で出くわした野犬をドロップキックで撃退したとき。


「無茶苦茶だったな、あの人」


 おぼろげな記憶に笑みが浮かぶ。

 素行はともかく、成績もよかったと聞いている。運動神経も逸脱しており、仲間の中心にいて――当時の叔父の歳を大きく越えてしまったが、今の自分ではあの人に遠く及ばない。


「就職浪人しそうな俺とはね! って……たはは」


 現状を思い出し、自虐と涙が零れる。


 叔父の部屋が当時そのままに保存されているのは、祖父母の意向だろう。

 この家を売却するのに反対したのも、きっと叔父が帰ってくると信じて……


「今更しんみりしても仕方ないか……続きしよ」


 そっとドアを閉じる。ここは下手に触らないほうがいいだろう。


 その後は、散らばったゴミを集めたり、荷物を纏めたり。

 2時間もすると、予定していた作業は一段落した。


 夏の日差しはまだまだ高いが、急いで済ませる必要もない。

 問題は掃除だ。これだけの広さだと、それなりに時間を要する。

 家中を探して見つけた掃除道具は、吸引力の弱い掃除機とハタキと干からびた雑巾くらいだった。

 当方の戦力はかなり乏しい。ロボット掃除機――とまでは言わないが、せめてコロコロでもあれば助かる。


 事前に最低限の用意くらいはしておくべきだった。

 最寄のホームセンターでも片道で徒歩45分。この暑い最中、今から往復するのはだる過ぎた。


 実家からは、終わるまで何日でも寝泊りしていい許可は得ている。

 完了の様子をスマホで送れと言われている以上、妥協もできない。


(掃除道具は明日にでも暑くなる前に買ってくればいいか。あ、庭の用具はあるのかな? 除草剤は日数が掛かるし、鎌とか買うと高い? 必要経費にしてくれるかなぁ。明日のことは明日考えるとして……今日はここまでだな)


 とりあえず見切りをつけ、持参していたリュックを投げ出す。


 さすがに近所にコンビニはないだろうと、食料の類は買い込んできた。

 こんな田舎でもスマホはそれなりに通信速度が出ており問題ない。


 簡易ソファ代わりにと、押入れから布団を取り出し、床に丸めて置いた。

 仕舞いっ放しの布団は若干湿り気があったが、気になるほどではなかった。


 畳に腰を下ろし、寝転がろうとしたその瞬間――


 スパァン! と小気味よい音を立てて、閉めたばかりの押入れが開いた。しかも内側から。


「おうおう! 懐かしいなぁ! はっはっはっ!」


 豪快な笑い声と共に、押入れの暗がりから片足が飛び出してきた。

 爪先、脛、膝、太腿の順に登場した部位には、全てに無骨な金属片。次いで現れた腕にも、手甲、肘当、肩当と完備。

 下半身、上半身も同様な金属に覆われており、脇の隙間から覗くじゃらじゃら音を立てているのは、鎖帷子というやつか。


「はひぃ!?」


 喉の奥から、自分のものとは思えない空気音が聞こえた。

 見上げる姿勢と見下ろす姿勢。唯一、鎧男の剥き出しとなっている頭部がこちらに向けられる。


「おい、そこの小僧。誰? おまえ?」


 ついでに向けられたのは刃物の切っ先だった。

 その時点で、俺の頭は真っ白になった。


「…………」


「…………?」


「…………」


「……あっ、これか? わりぃわりぃ。こんなもん、突きつけられてちゃ、そりゃあ話せないよな?」


 はっはっはっ!とまた豪快に笑うと、鎧男は刃物を下ろした。

 そこで初めて全貌が見れたのだが、男が手にしていたのは、いわゆる諸刃の剣だった。剣と言われて真っ先に思い描けるあの形状の剣だ。全身金属鎧姿と非常にマッチする出で立ち。

 ファンタジー好きとしては大いに興味を抱く姿だが、この状況ではなにも嬉しくない。


「…………」


「……うん?」


 なおも返事もできない俺に、鎧男は怪訝な視線を落とすと、今度は困ったようにこめかみを掻いた。


「あー、あれ? もしかして、今は俺んちじゃなかったり?」


(……俺んち?)


 真っ白だった脳裏に、その単語が引っ掛かった。


「15年くらいは経ってるもんな。部屋の見た目はまんまだけど、その可能性もあるか……」


(……15年?)


 また引っ掛かる。


 恐怖も忘れ、鎧男の顔をまじまじと見る。

 少年ではない、金髪でもない、肌も浅黒い、目つきも鋭い、雰囲気も怖い――でも。


「征司おじちゃん……?」


 記憶に残る表情が一致する。


「たしかに俺は征司だが……おじちゃん? おじちゃん……? お? お? おお!? お前、秋人か!? もしかして!」


 15年ぶりの叔父との異質な再会だった。

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