月十夜 掌編集
長門拓
第一夜 生まれたての月の話
生まれたてのように明るい月が、水平線から顔を
ベガとアルタイルの光が星空に光った。大気にはまだ夏の気配が立ち込めている。
「眠っていなかったら、きっと気付かなかった」
彼は、まどろみから覚めた人のまなざしで、空と海が交わる辺りに視線をやった。
「僕の船を導いていてくれたのは、君だったんだね」
月はこっくりと、頷いた。
耳には波の音が絶えず鳴り続けている。ふと振り返ると、彼の
「こんなに美しい世界を、あなたは初めて見たのですね」
彼女がそう言った。その時、月が空からいなくなってることは、それほど不思議なことではなかった。彼女はさらに続けた。
「こんなにも世界は美しいのに、なぜ人は争いあうのでしょうか」
「わからない」
彼は答えた。「もうあの世界に、僕の帰る場所はないんだ」
船が地球の上を少しずつ滑って行く
「夜が深くなればなるほど、あなたは元の世界に戻れなくなります。今なら、引き返すことが出来るはずです」
「でも、こんなに暗い場所から、無理に船を戻したらどうなるかわからないよ」
「心配はいりません。この船をずっと私は導いてきました。この船のことなら、誰よりも私がよく知っています。あなたがそう願ってくれれば、それだけで、船はあなたの思うとおりに進むのです」
「ここにいる君はどうなる?」
彼女は答えなかった。
「君が君でなくなってしまうなら、そんなことを僕は望まない。どこだって構わない。ずっと一緒にいてほしいんだ。僕は、君のことが……」
「それ以上言ってはいけません。それに、それはあなたの本当の心ですか?」
彼女は振り返らずに言った。
「あなたは戻らなければならないのです。心配はいりません。どんな姿になったとしても、私はいつもあなたを――」
その時、闇が音もなくはじけたような気がした。
永遠にも思える長い年月が過ぎた後、彼は元の通りに安楽椅子の上に寝そべったまま、船は安楽椅子の上の彼を乗せたまま、地球の上を音も無く、少しずつ滑っている。世界が目覚める前に、彼は戻らなければならない。
心配ない。月はいつも彼を見ている。
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