文学研究会は予定を立てたい!

 空はすっかり夏らしい綿あめのような雲を浮かべて、どこまでも透き通る青色を見せていた。


 ラックにかけられたセーラーに描かれたボールペンの黒い線――どこかのタイミングでついてしまったのであろう――を見て、真理はふっと笑う。なぜ笑えたのかは、自分でもよく分からなかった。

 そして薄紫の寝巻からセーラーに着替えて外に出る。肌を撫でる風には熱があった。

 今日は夏休み初日、登校日ではない。それでもわざわざ学校へ向かう理由は一つしかない。


「おはよう」


 部室の扉を開ける間際、制汗剤を隠すようにバッグに押し込んで、真理は先着人に声を掛けた。


「城崎か、おはよう」


 挨拶を返したのはテレビを見ながら何か悩まし気に首をひねる颯斗だ。いつも見られる寝ぐせは無かったのが意外であった。

 早速文庫本を開いて読書モードに入る真理。

 しかし颯斗は気にする素振りも見せず、慣れたように真理に話しかける。のは、さていつの日だったか。


「せっかく夏休みだっていうのに早速登校なんてな。ラインでよかったのに」


「それじゃあ伝わるものも伝わらないわよ」


 あなたの、間抜け面とか、気だるげな声とか。


「意外だな。お前てっきりこういうのめんどくさがるかと思ってた」


 颯斗の灰色の目が真理の顔を写して……すぐさまテレビ画面に戻る。


「変わったのよ、いろいろ……」


 真理は言葉を続けようとして、やめる。

 言うか、言わないか。婉曲を知らない真理にとっては、そのストップひとつかけるのにも命がけだった。


 タレントたちの騒ぎ声が、静寂だけが取り柄の部室に響く。

 颯斗は視線をテレビと城崎との間を行ったり来たりさせている。

 一方の城崎はただじっと読書に熱中している。文字と彼以外に注意を払うものがないからだ。

 それは極めてのんびりとした時間だった。

 ただ、二人の、文学研究会の目的は時間の消費だけではない。

 文研にとって正しいとされる時間が流れ始めるのは、真理が文庫本の二百ページあたりを読み終えたころだった。


「ごめんね~遅れちゃって~!」

「いやぁ、ごめんごめん」


 乃々と純とが汗を拭いながら入室。室温が数度上昇したかに思える熱気が真理と颯斗を包んだ。


「別に気にしないですよ。ここは快適ですから」


 しかし、熱気なんて知るものかと、クーラーに当たりながら優雅に紅茶をすする颯斗の説得力は抜群だった。

 二人はスクールバッグを適当なところで下ろすと、せかせかと席に着く。

 颯斗とその右に座る純。

 真理とその左に座る乃々。

 文研フルメンバー(例外含む)の恒例のポジションだ。

 もちろん緩い活動でお馴染みの文学研究会が夏休みに集まって行う活動なんてない。文字を書くだけなら家でも出来る。というか大抵のことならSNS上で済ませられるのにもかかわらずこうして集まっているのには理由があった。


「純君大丈夫なの? サッカー部の練習あるでしょ」


「いえ、今日は休みですし、何といったって今日は夏休みの旅行について話し合うんですもんね! 部外者な僕がお呼ばれされたんですから行かないわけにはいきませんって!」


  純が心底嬉しそうに話す。事実、先週颯斗から文研の旅行に誘われた時、純は自室で思い切りベッドに飛び込み、勢い余って壁をぶち抜いたという過去があった。

 とまぁ目を輝かせた純が言う通り、今日四人が集まったのは夏休みに予定していた旅行の具体的なプラン作成だった。

 

「部外者だなんて言わないでいいのよ~。お姉ちゃん、ハヤト君と同じくらい純君も心配してるんだからっ!」


 純はひとり苦笑した。理由は分からなかった。


「まぁ俺も心配してるわけじゃないが、それなりに構ってもらってるし部外者だなんて思ってないぞ。それにお前がいないと色々困るしな」


 颯斗はテレビを見ながら言う。それは一種の照れ隠しのようにうつった。


「そりゃどうも」


 純もお返しとでもいいように、そっけなく答えた。


「私はなんとも思ってないけれど」


 また、言ってしまった。相手が純だとついストッパーが緩むのだ。


「もうフラれちゃったぜ……」


 純はしょんぼりと肩を落とす。

 フォローをしようと手を伸ばすが、乃々の椅子がガタリと鳴って思わず手を引いてしまう。

 それは中学から幾度となく繰り広げてきた光景だった。


「よしっ! じゃ早速行きたいところを出していきましょう!」


 乃々はそう言って勢いよく立ち上がると、ホコリをかぶったホワイトボードを引っ張り出してきた。かかった時間は一分。カメのごときスピードであった。


「はい! それじゃあどんどん出していきましょう! 海外以外なら部費でなんとかなると思うからどんどん言ってね~」


 乃々がペンのキャップを取ると同時、純が勢いよく挙手をした。その真っ直ぐさ、定規のごとく。


「僕はビーチがあるところがいいと思います!」


「俺も同じく!」


 ……二人の男子高生は美少女の水着姿を拝みたいという下心で一致シンクロしていた。


「私はどこでもいいです」


 真理は本を読みながら言った。

 場所なんてどうでもいい、そんな意志の表れだ。

 

「私たちとならどこでもいいってことよね? もう可愛いんだからっ! むぎゅ~」


 乃々は嬉しさが上限突破したのか、大きな胸を揺らしながらのそのそと真理に近づき、背後からむぎゅっと抱き着いた。


「せ、先輩……! ってそこの二人はなにを見比べてるのよっ!」


 自分にはない柔らかさ。

 抱き着かれた羞恥と馬鹿にされた怒りで顔を赤くして叫ぶ真理。

 男子二人はギクッと肩を震わせると、そっぽを向いて口笛を吹き始める。まさにシンクロナイズド口笛。


 ……二人は今「おっぱい見比べてたなんて言えない」という思考で一致していた。

 男子高校生なんてこんなものである。


 真理成分をたっぷり補給した乃々は再び白板の前に立ち意見を求める。


「海よねぇ……具体的にどこっていうのはある?」


「海があるならいいです!」


「右に同じく!」


 花より団子、団子より水着。それは男の脳に埋め込まれた方程式。


「う~ん、そうねぇ。ここから近くてきれいなビーチといえば静岡とかになるけど……あ、思い出したわ! 少し待ってて!」


 そう言い残して、乃々はスマホ片手に部室を出る。

 イマイチ状況を把握できていない三人は顔を見合わせた。


 そして数分後、満面の笑みを浮かべた乃々は三人に告げたのだ。


 四人の過ごすビーチの名、動き出す青春の、その舞台を。

 




 



 

 

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