俺は先輩との絡みが少ない。

 今日も今日とて灰色の空に糸ひく雨。

 しかしそんな色味の無い日常に華を添えるものこそ美少女である。

 いつ見ても先輩のお日さまのような明るい長髪とその身にまとうゆるふわな空気は俺を癒してくれる……のだが、ふと思ったことがあった。


「そういえば俺と先輩の二人っきりって珍しいですよね」


 椅子に腰かける先輩に話しかける。


「大抵は真理ちゃんいるし、たまに純クンも来るものね~。お姉ちゃん、人には言えない悩みとか聞いちゃうわよ~!」


 セーラーの袖をまくり、やる気アピールをする先輩。


「いや、そういうわけじゃないんですけど……学年も違いますし、普段は何やってんかなって」


 それは純粋な疑問であった。

 城崎みたいに過去に繋がりがあったわけでもないし、授業が一緒なわけでもない。部活だって基本三人だから白浜先輩個人に関する情報があまり入ってこないのだ。

 先輩が聞きたがり、っていうのもあるんだけど。


「そんなにお姉ちゃんのことが気になるのかしらぁ」


 何を思ったのか、両腕を胸に寄せて蠱惑的なポーズをとる先輩。お胸が制服から弾きだされないかとヒヤヒヤするくらいのボリューム感である。例えるなら北京ダック。

 ごめん意味わかんないな。伊東動揺してる。


「ど、どうしたんですか先輩」


「最近お姉ちゃん感出せてないからアピールしようと思って」


「お姉ちゃんとビッチは間違えちゃいけませんよ……」


「紙一重?」


「でもない!」


 やはりどこか抜けている先輩である。


「でもぉ、別に皆と変わらないと思うわよ? 部活して、部活して、塾に行って、アルバイトして――ってそんな感じ」


「先輩どんなアルバイトしてるんですか?」


 両親がお偉いさんだからてっきりそういうのやってないと思ってた。やはり親御さんがしっかりしていると社会経験だとかで一通りはやらせるものなのだろうか。


「あのね~壁越しにお客様が愚痴って、それに相づちを打ちながら慰めるっていうバイト」


「それ風営法大丈夫ですか!?」


 アウトでしょ。風紀委員聞いたら白目剥くレベルで。


「壁越しだから声だけの会話だし何もないよ~」


 先輩は手をひらひらと振って否定する。いつもの朗らかな笑顔が怖く感じた。

 

「……俺はまだ世間に対する知識が足りないのかもな……」


「結構楽しいわよ? 私と話すとみんな笑顔で帰っていくもの。やりがいはあるわ~」


「へぇ……?」


 あれ、なんか今凄い怖い話を聞いた気がするぞ……!


「でも部活兼部してそんなバイトして塾も――なんて大変じゃないですか」


「お姉ちゃんは皆のお手本にならないといけないの。そのための努力なら惜しまないわよ~!」


 先輩の瞳が人類を包む愛で燃えていた。

 俺は手持ちの扇子でパタパタを先輩を仰ぎながら会話を続ける。


「先輩はどうしてそんなに”お姉ちゃん”にこだわるんですか?」


「お姉ちゃんって呼ばれるのがね、好きなの」


「……それだけですか?」


「まぁそうねぇ。はこれだけかしら」


 先輩を照らす太陽が重い灰色の雲に隠れたように、絶やされることのない微笑に陰りが差した。

 これは他人が簡単に立ち入ってはならない話なのだと、その時悟った。


「……もしかして先輩、俺にお姉ちゃんって呼ばせようとしてます?」


「あら、バレちゃった?」


「そりゃあ呼ばれるのが好きって言われれば誰でもそう考えますって」


「ふふっ、やっぱり優しいのねハヤト君は」


 再び先輩の笑顔の花が咲いた。

 やっぱり先輩はこっちの方が良い……なんてことは俺の口からは言えないかな。


「そんなことないですよ。俺はいたって普通です」


「こらっ! そこは素直に受け止めていいのっ」


 先輩の頬がぷくりと膨れる。


「あはは、俺より優しい人に優しいと言われても説得力ないですって」


 俺は笑い混じりに言った。しかし、


「少なくとも私の周りには、散々言われてもそののそばにいられるような人はハヤトくんしかいないよ」


 城崎のことだと分かるのに1秒もかからなかった。


「それはあいつが可愛いからですよ。それに――」


 そこで喉にストッパーがかかる。あの約束のことを他人言えるわけがない。


「……真理ちゃんに頼まれたから、って言うんでしょ?」


 ハッと先輩を見る。「大丈夫、分かってるわよ」と言うように、安らかなまなざしで俺を見つめていた。


「知ってたんですか……」


「あら、やっぱりそうなのね! あの娘面倒くさがりだから心配してたのよ〜」


 ブラフだったのか……!恐ろしいお姉ちゃんだ……。

 バレては仕方がないと、今までの経緯を説明すると、先輩はやれやれと肩を竦めた。


「……でもやっぱり、ハヤトくんは優しいわよ〜。普通なら付き合ってられないよ、あんなに素直過ぎるコには」


「先輩はずっと一緒にいるじゃないですか。なんで先輩が友達にならないのか不思議でしょうがないくらいです」


 俺がそう言うと、先輩は困った顔をした。


「真理ちゃんは私の可愛い後輩よ? でもね、後輩は後輩なの。それ以上踏み入った関係にはなれない。お互いそれが分かっているのよ」


 正直、意味が分からなかった。

 でも心のどこかで、そうだろうな、と納得する俺がいた。

 先輩を例えるならば、誰かの真正面に向けられた大きな一つの矢印だ。

 そして城崎は向けられた矢印とは真反対をさす矢印。

 お互いに向けられた矢印はそのまま向かい合って、惹きつけ合うけれど、でも、ベクトル計算的には、相殺されて、ゼロになる。

 どうあがいても、二人が二人である限り、前に進むことが出来ない。

 これはあくまで俺の中の曖昧なイメージだ。これが真実かなんて誰にも分からないんだけど、少なくとも俺の中ではこうだった。

 でもそんなこと言えるわけはなく、俺は適当に話をそらす。

 

「……俺が優しいかは別としても、たしかにアイツと関わるのは体力いりますよね……先輩の体力はもっと有意義なことに使うべきです」


 あいつの場合、嘘でも意地でもない純粋な悪口が飛んでくるからな。しかもその悪口が的確というからダメージは大きい。日頃から自分を卑下している俺じゃなき耐えられないかもしれない。

 でも、


「……でも、あいつは何も間違えてないんですよ」


 蘇る春の日の記憶。

 あいつとの距離感を測りかねていたあの頃


(この矛盾を指摘する人間って、私は見たことがないわ)


 誠実であれと、ある人は言った。

 同調しろと、人間達しゃかいは言った。

 そのどちらも守ろうとして、崩れ落ちた奴がいた。それがきっと、城崎なのだろう。

 あいつはただ自分の気持ちに素直なだけだ。身体だけが大きくなってしまった子ども。俺らが置き忘れていった宝物を、その胸にずっと抱えている。


「……だから、なんか見ててやらないとなって思ったんです」


 俺があいつと一緒にいる理由はなんてことない、極めて自分勝手な理由だった。今まであいつといる理由なんて考えたこともなかったから、自分でも意外な気持ちだった。

 先輩は微笑んで、


「ふふっ、よかったわ。これからも真理ちゃんの隣にいてあげてね」


「友達になれって言われましたから」


 そう言って、俺は笑った。


 結局お姉ちゃんのことあまり知れなかったな……。

 でも、


「これからお姉ちゃん先輩って呼んでいいですか?」


「先輩はなくてもいいのにぃ」


「先輩は先輩ですから」


「……そうね、ありがとう」


 俺に向けられた大きな矢印は、俺の歩くべき道を示してくれていた。


 

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