初夏
俺は低気圧に弱い。
ゴールデンウィークから一か月もすれば本州にいれば避けられないある時期が訪れる。
テレビをつければ――いつのまにか部室に設営してあった――半円と三角が交互に連なるあの凶兆の横で、お天気お姉さんが俺の憂鬱も知らずにニコニコと解説をする日々。
そう! 梅雨である‼
曇天や雨自体好きになれないが別にそれは些細な問題だ。時として風情に思えるだけマシな方。
だが低気圧お前だけは許さない。
肩やら腰やら関節がおんぼろロボットのようにギシギシ痛むのだ。しかも見えないし、風情の欠片もないし。我ら人類にとっていいことが一つもないのだ。
かといって殺すことも出来ない。低気圧って最強なのでは(発見)。
謎に充実していく部室内で、机に伏せって画面の向こうの低気圧に向かい恨み言をぶつぶつと呟いていると、向こうで扉が開く音がした。
「おう……遅かったな……」
「陰気臭さに磨きがかかってるわね。ただでさえ梅雨時で重いのに勘弁してほしいわ」
「それは東進する低気圧波動君にいってくれ。腰が痛くてもう立てん……」
大きめの本を胸に抱えている城崎。絵面はいいんだけどいかんせん親の敵を見るような顔だったので癒し効果は皆無であった。
「こういうのって女子に多いんじゃないのか?」
「”気象病”のこと? 聞く人が聞けば普通にセクハラよ」
こいつ以外にそう言われれば急いで土下座をしてただろうが……。
出会ってから約二か月。そのくらいの仲にはなっていた。
親しき中にも礼儀あり理論を導入するならば確実に悪化しているけど。
「お前は大丈夫そうだな……あぁだるい……。よかったじゃんか、お望み通り静かな空間の出来上がりだぞ」
「そんなに調子悪いのならさっさと帰りなさいよ。いるだけで邪魔よ」
「無理身体が動かない」
割と比喩ではなかった。
「……なら仕方ないわね。あなたには実験台になってもらいましょう」
「実験台?」
城崎の顔がにやりと歪む。術にかかった船乗りを連れ攫うセイレーンを想起させた。
「先輩に頼まれてたのよ、よんでおいてって。その代わりに部の予算増やすように圧力かけてあげると言われたわ」
「公権力の濫用やめい!」
白浜姉ちゃん意外とやばい人だったりしてな。まぁ留年脅しかけてるだけでも相当だけど。
城崎は抱えていた本の表紙をこちらに向けた。これを読んでおけと言われたのか。
「……『簡単! 快感! 魅惑のマッサージ術』? え、なに、マッサージしてくれんの」
おいおいおい。キス以上セッ〇ス未満といわれるあのマッサージを、俺に? まじハピチャン(誤用)。
「特別よ? 初めてだから何が起こるか分からないけれど、勘弁しなさい」
一切恥ずかしがる様子も無いのはさすがである。俺にも一応ついてるんだけどなぁ。
「むしろハプニングしてもらったほうがありがたいんだけど」
「下手したら死んじゃうけどいいの?」
「どんなマッサージ⁉」
……まぁね、でもね、分かってるんだ。
どうせすっごい下手なんだろ? ただ痛いだけの拷問になるんだろどうせ。知ってるもん。
こんな俺に与えられたボディタッチチャンスなんてこんなもんだ。俺は見え透いたチャンスに飛びつくようなアホじゃない。
思い出せ俺、ガチャの虹演出を。期待させるだけさせて大抵すり抜けるあのクソ仕様を。
「それじゃあそうね。まず専用のマットを敷いて――」
「いつの間にそんなものを」
「けんりょく? ってすごいのね」
「おい目を逸らすんじゃない!」
そのうち警察がおしかけてくるんじゃないのかとヒヤヒヤしております。
サラサラ生地のマットの上に裸――ではなくもちろんシャツを着たままうつ伏せに寝転がる。
「ちょっと確認してくるから待ってて」
そう言っていったん部室を出る城崎。
瞼を閉じて数分。男子高校生らしく、この後どっかの世界線で行われるであろうエッチ展開を想像していると城崎が戻ってきた。バニー姿が似合いそうだな、と思ってたことは秘めておこう。
「……ん、なんか
そりゃあ襲い来るであろう激痛に耐える準備をしてるからな。
あー怖い。なんだかんだのワンチャンを期待してオッケーを出したさっきの俺を殴ってやりたいぞっ。
「それじゃあ行くわよ」
「イタいイタいイタいッ⁉」
「……バカにしてるの?」
「すまん。先走った」
うつ伏せになっているから見えないが、きっと城崎は人殺しの目をしているに違いない。
バカにしたつもりはないんだ、許してくれ。
「はぁ……もっとリラックスして――そう……」
低気圧と緊張からゴリゴリに固くなった腰に城崎の手が触れる。非常に柔らかいタッチ。彼女の声にも力が入って大分色っぽい。
「し、素人からしても分かるくらいに凝ってるわね……そのまま石にでもなってしまえば面白いのに」
「面白か……ねぇよ……」
「ふふっ……キモチ……いいのね……?」
ツッコミに力が入らない。
それは痛みからではなく、快感で力が抜けていってしまうから。
背骨から指二本ほど離れたところを、丁度いい力加減でぐりぐりと指を押し込まれる。まるでプロのごとき手さばき。
腰に身に着けた重しが落ちていくような、それは今まで味わったことのない心地よさだった。
え、こいつマッサージの才能もあんの? もう手が届かないよあんたには。
激痛に備えていた身体はやがて緩んでいき、いつのまにか全てを城崎のやわっこい手に委ねていた。
「……どうなのよ、少しはリアクションしたらどう?」
「一生傍にいてほしい」
「……気色悪い」
ツボをギュッと押し込まれ激痛がはしる。しかしそれもまた腰に効く……。
彼女の美しい手が俺の背面を撫でる。それだけで十分だったのにこの効用とは恐れ入る。マッサージ店開業できるんじゃないか?
身体はすこぶる気持ちがいい。美少女にマッサージされているという充実感もある。
が、しかし。俺の心の中にある一つの
……これ、オチどうすればいいんだろう。
通常ならそう、万能少女でもマッサージは苦手で激痛の果てに逃げ出す、とか誰かが乱入してきて誤解されるだとかそんなオチがつく。
しかし今の状況、城崎はすこぶる腕がいいので前者はなく、後者のオチもあり得ない。ここは人があまり立ち入らぬ場所だし、頼りの先輩も今日は茶道部に出向いているから。
オチがないのはいいことだ。だがそれでは落ち着かないのだ。漫画、アニメ、ゲーム、ドラマ、それぞれ秀逸なオチのあるものを嗜んできたからこそ、ぼんやりとした終わりでは虫の居所が悪いのだ。
よっしゃ、ここはイチかバチかやってみるか! お色気展開を!
「なぁ、もうちょっと強くしてくんないか?」
「いいけど……こう?」
手が力みで震えているのが分かった。女子には少々きつい指示なのはわかっている。
今のままの体勢ならな。
「も、もうちょっとかな?」
「じゃあちょっと待って、馬乗りになるけどいいわよね」
「おうとも」
ふははは! 作戦成功!
横から手を伸ばすよりも馬乗りになって直下に手を添えた方が力が入りやすいのは人体構造学的に当然の帰結!
それに加えて、今の彼女は当然制服を着ている。女子服はもちろんスカート。
想像してほしい。
スカートをうまく敷ける椅子ではなく、凸凹と不安定な俺の身体に馬乗りなるということの意味を。
城崎のヒップ・オン・俺のヒップ。つまり俺に伝わるのは薄い布越しのお尻の感触。俺のズボンは確実に美少女のパンティーに触れるのだ!
パンツ増殖の原理に照らせば、パンツに触れたものはすべてパンツになるので俺のズボンは城崎の穿いたパンツということになる。これぞお色気展開。ティーン大喜び間違いなし!
「じ、じゃあ、行くわよ……んっ……!」
もはや嬌声じみた声だった。
流石の城崎も抵抗があるのか、彼女の語気は弱め。顔を羞恥に真っ赤にしているに違いない。
ぷにっ。
それはなんとも形容しがたい感触だった。
やわっこくて、それでいてまとまりがあって、温かくて重くて――重くて……。
「って重い重い重い⁉ 腰が折れるからはやくどけぇ‼」
牛でも乗っかってんのかという重さに耐えきれず、のしかかる身体を振り払って城崎を見た。
――はずだった。
「いやぁごめんごめん。思い切り乗っていいって言われたから」
――中年の見知らぬおっさんが、風船のように膨らんだお腹をさすっていた。
「あんただれ⁉」
「
「カタカナ多いわ! な、なななんだ、どういうことだ城崎ッ!」
「中年太りのおっさんがあんたに馬乗りになってたこと?」
とぼけるように城崎は首を傾げた。
「おいやめろ思い出さないようにしてんだから……」
「重いだけに? ふひひ、面白いね君ィ」
このおっさん窓から突き落としてやろうかなぁおい。
「どうも何も、私は最初から青木さんをよんでいただけよ。先輩あの
「うむうむ」
それじゃあ城崎は最初からマッサージなんてしていなかったというのか。
指の異常な柔らかさはこのおっさんの脂肪だったわけかこんちくしょーめ!
「なんかそれはそれで薄い本の匂いがするな」
中年のおっさんが、巨乳女子高生にマッサージとか普通にアウトでは?
「安心してくだされ!
「ぜんっぜんフォローになってねぇよッ‼」
そこらのヒロインより属性多いぞこのおっさん。
「この先生日本で一番の腕なのよ、調べればトップに記事が出てるくらいにはね」
「照れるでござるぅ」
「いちいちウザいわ!」
おっさんの赤面のどこに需要があるってんだ。
にしても腕は本当らしく、
なんか普通にツッコんじゃったの失礼だったかな。
「いいツッコみですなぁ。患者さんのキレのある動きをみるだけで拙者は満足というもの。それでは拙者は迷える患者さんを探して参るので、これにて」
「すいません、わざわざお手数おかけして」
お前のドッキリのためにな。
「いえいえ。こちらこそ申し訳ない」
「何がです?」
城崎が不思議そうに首を傾げる。
「拙者、未だ未熟の身。心の凝りを癒すことは
「……っ!」
そう言い残して、おっさ――師匠は扉の向こうに消えた。
……めっちゃカッケー。
何かを極めたおっさんはやっぱりカッコいい。そう再確認したとある梅雨の日であった。
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