俺は距離感が分からない!
黒板に書き連ねられた数式たちが弧を描いて
今日も今日とて身になっているのか分からない学校生活が終わった。
まぁ身になるのか否かは己の努力次第で、こんな日々の感想は結局のところ怠惰への言い訳でしかないわけだが。
桜の散った春に残されたのは肌触りの良い気温だけで、その快適な環境下では何かを頑張ろうという気になれない。だから当分はこんな言い訳を続けることになるのだろう。
と、そんな無気力な俺の目の前で
「うっしゃー! ボールとお友達になるぞー!」
燃えたぎるサッカー少年が両腕をあげて
「お友達を蹴り続ける気分ってどうなんだよ、熱海」
「そりゃあ最高だよ。俺の思い通りにボールを蹴りたい、ボールは俺に蹴られたい。まさに理想の関係じゃん?」
「ボールはドMだな」
「じゃなきゃあんな蹴りやすいカタチに生まれてないだろ」
「確かに」
熱海博士の論理に対抗する術が無かったので、議論はそこでお開きとなった。くだらないとか言うなよ。人類の発明ってのはくだらない会話と置き場のない熱意から生まれるんだよ、多分。
「で、伊東は例の部に行くのかい?」
金髪がさらりとこちらになびく。まるで千切りキャベツのようだった。
「え、あぁ。暇だしな」
「ただ暇という理由で来ないでほしいんだけど」
「……相変わらず鋭い横槍だな」
荷支度を終えたのか、スクールバッグを肩にかけて立ち上がった城崎にギロリと睨まれていた。
隣同士の俺と城崎の距離は確かに近い。
なのでときたまこいつは俺らの会話に参加してくることがある。まぁ大抵俺が城崎か部活の話をするときなんだけど。
すると熱海がすっと立ち上がり、吐き気のする爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「相変わらず可愛いね、付き合ってくれない?」
「七回生まれ直してくれたら考えなくもなくも無いわ」
「くぅ~相変わらずのクールだね~!」
そして熱海が調子に乗って声を掛け見事に撃沈する。
ここ二週間でそれがパターンになっていた。
まったく、サッカーは結構上手いのにこういう軽いところがあるからモテないんだろう。
「で、結局今日は来るのね」
「マジで嫌なら行かないけど」
「……別にいてもいなくても変わらないし、好きにすれば」
赤面するでもなく、平静に言い放った。
「それはありがたい」
皮肉ではなく、純粋にそう思った。
「いいなぁ~僕も行きたいな~」
「別にいいぞ。ひとり砂漠に取り残される気分が味わえるぜ」
俺の実感の籠った言葉は熱海の戦意を喪失させるに十分な威力をもっていたらしく、基本にへらとしている熱海が憐みの視線を送ってくるほどだった。
俺どんな顔して言ってたんだろうな。
「……そうか、では頑張り給えよ」
熱海はそう言い残して足早に教室は去った。
教室を出る間際にこちらにウインクを寄越した彼を見て、城崎はつぶやいた。
「……あれは行き過ぎだけど、多少なりとも熱海君の調子の良さを見習ったらどう? 多少は華がでるんじゃない?」
「二つ言いたい。まずお前がアイツに華を感じてたことが以外だった。そして二つ目は俺とあいつだからバランスが取れてんだ。バカがもう一人増えたら収集つかないぞ」
「はぁ……そうね。あなたを改めようとした私が間違いだったわ」
そう言って細い肩をすくめる城崎。
「あなたみたいな人間を少しでも気にかけた私を殴ってやりたい」
「もっとご自愛してください」
「あー過去に戻りたいわ」
「そんなにかよ……ちょっと傷つくぞ」
タイムマシンとしてもそんな理由で利用されちゃ困るだろうな。
過去に戻りたい
「傷つきたいから私といるんじゃないの?」
「んなわけないだろ」
「なら傷付いてもいいくらいに私に惚れてるとか」
ピンクの唇に人差し指をあてて、蠱惑的に見えるその姿。目元のなみだボクロには魅了の魔法がかかっているのか、と疑うほどにチャーミングだった。
……それなのになぜ君の周りには俺しかいないんだ。
人は中身が大事、そんな虚ろな言葉が実をつけた気がした。
「……ほんと、よく言えるよなそういうこと」
ここ数日の付き合いで判明した彼女についての事実。
こいつは相当な自信家だということ。
例えば、
男子A「すげぇ城崎さんめちゃくちゃ頭いいじゃん」
城崎「このくらい中学の履修範囲内でしょう」
男子A「……そうだね」
女子A「城崎さんほんとに綺麗だね」
城崎「どうもありがとう」
女子B「モデルとかになれるんじゃない?」
城崎「そうね、ありがとう」
女子AB「…………」
城崎真理は謙遜というものを知らなかった。
確かにスーパーハイスペックJKなので誰も否定は出来ない。事実圧倒的美少女を前に俺の体温は急上昇中だ。
ただ嫌味な自惚れ屋というわけでもないので、周囲の人間は何も言えずに数歩退く。まさに彼女はドーナツ穴のような存在としてクラスに定着しようとしていた。
そしてそれが当然だと言うように彼女は状況を受け入れているようだった。むしろそう願っていたかのように、華麗な手際でもって彼女はひとりになっていたのだ。
「……嘘はついてはいけない」
意識を心中から外界に移したとき、城崎は虚空を見つめて言った。ひどく乾燥した声音だった。
「へ?」
急に何を言い出したのかと、俺は城崎を見た。
「周りに合わせて思っても無いことを言え」
「…………」
「この矛盾を指摘する人間って、私は見たことがないわ」
「――――!」
心臓に杭が打たれたかのようだった。
紅い瞳は俺らがどこかに忘れてしまった純粋さゆえの鋭さを宿して俺を見つめる。
その瞬間クラスの喧騒は消し飛んだ。
彼女の言葉が、俺の台詞に対する答えだったことを理解するには数秒の時を要した。
「……こんなことを言ってもどうにもならないんだけどね」
城崎はそう呟いて、寂しげに笑う。
今の彼女には露に濡れた夕顔が似合うなと、そんな間の抜けたことを考えていた。
「伊東君いる? 三年の先輩が呼んでるよ?」
ほぼ初対面に等しい級友から声がかかった。
俺に伝言出来るんなら城崎にも話しかけてやってくれよ、と口にすることは出来なかった。
「なに、あなた二個上に友達でもいるの?」
「んなわけ。先に部室行っててくれ。俺もすぐ行くから」
「最初からあなたと一緒に向かうだなんていってないっ」
「こういうときくらいノッてくれてもいいだろ?」
「冗談言ってないで早く行ってきなさいよ」
「分かったよ、じゃあな」
「……厄介ごとになったらすぐ逃げるのよ」
「りょーかい」
こういう時は変に勘がいいんだよな城崎のやつ。
その察しの良さを思いやりのベクトルに変換できない不器用な少女を背に、俺は先輩の下へと向かった。
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