俺は逃げられない!!

「あら~おかえりなさ~い」


「お姉ちゃんただいま」


 まるで我が家のような安心感。

 怖い怖い先輩方おにいさんとのお話の後に見る白浜先輩の姿はまさに理想のお姉ちゃんだ。


「遅かったねぇ、何してたの?」


「ちょっと部活の勧誘受けてたんですよ。もちろん断りましたけどね」


「あら、よかったの? うちは兼部歓迎よ?」


 もちろんそれは知っている。事実先輩が兼部していると聞いていたし。


「いえいえ、単純に高校はゆっくりしたいなぁと思いまして」


 そう返すと、先輩は何故か立ち上がってニコニコ笑顔で俺の方へ向かってくる。


「あの、なん――もふ」


 ですか?

 その言葉は発せられることなく霧散した。

 なぜなら、そう。

 俺の顔は今、先輩の豊かな胸に抱かれて埋まっているからである。


「うぇ⁉ あんえうあえんあい(なんですか先輩)⁉」

「だって、すっごく疲れた顔してたから、ゆっくりさせてあげたいなって思って~」


 うぉおすげぇ柔らけぇし甘いいい香りがする!

 童貞にとって未知のふわふわ新触感が俺の顔を包んで離さない。

 今の俺まじパネェ卍卍

 

 ほんとうのさいわいは、今ここにあった。

 帰ったらネット掲示板にでも書いてマウントとってやろう。


「どう? 男の子ってこういうので安心するんでしょう?」


 安心二割興奮八割といったところでしょうか(当社比)。


「……先輩。貞操的に問題ないんですかそれ」


 相も変わらず椅子で本に読みふけっていた城崎も、この状況を見て思うモノがあったのだろう。冷たさ三割増しのボイスで先輩に問いかけた。


「うーん、我が家ではお馴染みなんだけどな~。もしかして世間一般じゃダメなことなの?」


「あー……いえ。駄目というわけではないですけど。少々おつむが緩いと見られるかもしれません」


 さしもの城崎もこのゆるふわお姉ちゃんへの対応には苦戦しているらしい。

 そりゃそうだ。あたたかな湯舟に浸かってしまえば誰もが武装を解いてしまうのだから。

 先輩を湯舟に例えたのなら、そうさな、今俺は絶賛のぼせ中なのかもしれない。

 具体的に言えばそう、


「……えんあいいいあえいあいえう(先輩息が出来ないです)」


「ん~それはよくないわねぇ……道理でお家以外でむぎゅーしてる人が見当たらないのね~」


 厚い脂肪は俺の声を見事にシャットアウトしているらしい。

 名残惜しくも、女性の胸に抱かれて窒息死なんていう理由で俺はツイッターのトレンドにのぼりたくはないので腕に力を入れてこの場から脱出を――。


「ん、もう暴れちゃだめよっ♡」


 ぎゅぎゅ。

 はからずも、俺はさらに深層へと潜ることになった。


 や゛わ゛ら゛か゛い゛け゛ど゛く゛る゛し゛い゛‼


 潜れば潜るほど圧力が高くなるのは当然の摂理で、幸福感と死への恐怖で俺の精神は軽くパニック状態であった。

 牧神パンもこんなことで自らが由来となった単語を使われるとは思って無かったろう。


「ま、でもここで見てるのは真理ちゃんしかいないし、別にいいんじゃないかしら~」


「先輩がよければいいんですけどね、伊東君が窒息死しても」


「窒息死? あらっ! ごめんなさいハヤト君!」


 視界に光が戻ると同時に乳圧しあわせから解放される。

 

 ……今後の俺の人生において、「この時死んでおけばよかった」と思うことが数多あるなんてことは、知る由も無かった。


「だいじょうぶ? ハヤトくん」


「ま、まぁ……おかげで幸福と不幸の釣り合いを体感出来ました……」


 悪気もいやらしい意味も無く、ただ俺を元気づけようとしてやってくれたわけで、当然怒る気にはならなかった。


「先輩の胸の中で死ねたら幸せだったのに勿体ないわね」


 そう皮肉っぽく言った城崎の胸は、うん。


「わんちゃんお前の胸でも死ねるから気にするなって」


 笑顔でサムズアップ。


「死にたいの、ねぇ死にたいのかしらあなたっ!」


 顔をゆで蛸のように赤くさせて叫ぶ城崎。

 出会って二週間ちょっと。初めて彼女の女子ヒロインらしいところを見られたのだった。

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