遊ぶ話

 ここの経営はどうなっているんだろう、と時々思う。なにせ依頼が来ないと仕事が無いくせに、その依頼がとんと来ない事務所なのだ。だというのに給料はちゃんと支払われるし、従業員も所長を除いたうえで4人いる。事務員のフジタさんと、オレを含め3人の所員だ。

 3人居ても出てくるのはせいぜい文殊の知恵くらいで依頼なんて湧いてこない。なので今のところのオレの「仕事」といえば毎日神妙な顔でデスクに座り、毎日午後三時頃に所長が持ってくる差し入れおやつを頂戴するくらいのもの。

 だからといって、ただ座っているだけでもない。依頼が無くても勤務時間、とは所長の弁。お遊びは厳禁とのことだ。


「──先輩」

 控えめな声の主に意識と顔を向ける。

「先輩のそれって何やってるんです?」

 後輩の目線はオレの手許てもとのノートPCと古くさい帳簿とに当たっている。

「アナログデータをデジタルデータに置き換えてる」

「その帳簿の中身をパソコンに書き起こしてるってことですか」

「そう。二ヶ月くらいやってるけどまだ半分程度の進捗かな」

「うわぁ……」

 わざとらしく仰け反るのが視界の端に見えた。が、すぐに身体をこちらに寄せて再び話し始める。

「いや、この時間って何をするのが良いのかなって思ってまして」

「仕事だろ。勤務時間に仕事以外の何をするんだよ」

「でも仕事って言ったって──」

 困ったような顔で受付へ繋がる扉を見遣りながら言う。

「仕事、無いじゃないですか。依頼来ないし」

「オマエがここに来てもう半年だぞ。むしろ今まで何をしてたんだ」

 記憶が正しければ、ずっと何某なにがしかの参考書を熱心に読んでいたはずだけれど。

「何も、ですよ!」器用にも小声で主張する後輩。

「もう自宅の本棚だって3周したんです! クソ真面目な顔してとっくにやり尽くしたゲームの攻略本とか読むのも限界ですよ!」

 PCの画面ディスプレイから後輩に視線を向ける。

「……あ、いや、ジブンでもガキっぽい自覚はあったんですよ? でも他にやりたいこともやることもやれることも無くって。えへへ……」

 だからそんな冷たい眼を向けないで、と媚びるような表情をする後輩。オレは視線の温度をさらに下げて応えた。

 数秒ほど凍り付いていた後輩だったが背筋をぴん、と伸ばした。表情は少し張り切ったものになっている。

「と、いうわけで」後輩が言う。「会議しましょう、先輩!」


 変わらず後輩を見上げていると、後輩が再び口を開いた。

「会議です、カイギ。ある物事について話し合って結論を導き出すってコトですよ。会議なんですから、仕事の一部ですよね」

「なら、その肝心の議題は?」ぶっきらぼうに返す。

「ふっふっふ。よくぞ訊いてくれました。──コレです」

 そう言って後輩は小さな赤色の物体を取り出した。そのまま隣の机に置く。それはレストランで店員を呼び出すときに押すようなボタンだった。

「なに──このボタン? そもそもこれボタンが議題になる会議って、なに」

 いっそう眉を寄せて目を向けると、左手の人差し指を立てた後輩が語りだした。

「議題は『このボタンを押すと何が起こるか?』です。会議の参加者には順番に手番が回ってきて、予想を言って実際にボタンを押してもらいます。その予想が三十秒以内に当たらなければ負け──会議から脱落します。ただし、予想は押した本人が実現したとしてもカウントしません。また、予想は直前の手番の予想よりも大きい規模でなければなりません」

 それは会議じゃないだろ、と言おうとしたのを右の手で遮られた。右の手のひらをこちらに向けたまま後輩が続ける。

「言いたいことはわかってますよ、先輩。ちゃんと表向きの議題だって用意してあります。ジブンがこの就業時間に何をするべきかアドバイスを受けていた、ってことにすればいいんですよ」

 結局それも会議じゃないだろ、と言いたいのを我慢して、さっきから静かなタケダさん──3人の所員の中で1番の古株──の方に目を向ける。正直ここまで熱心にされては断りづらいので、せっかくなら共犯の人数を増やしておきたい。

 タケダさんは手帳と腕時計をひっきりなしに見比べていた。あー、なんだか虫の居所が良くはなさそう。さっきから話しているこちらを気にも留めないし、下手に声を掛けるしげきするのは危険かもしれない。

 後輩コイツと2人で何かをするの、すごく不安なんだけどな。


 観念して、再び後輩が机に置いた小さなボタンを見る。クリーム色の円柱状の台に赤い円柱状の押下おうか部が備えられた、指の先ほどの小さなボタン。改めてじっくり見ても、なんてことはない普通のものに映った。

「では先輩、さっそく先輩の手番ですよ! さあ、このボタンを押すと何が起こると思いますか?」

 やたらと嬉しそうな顔の後輩の顔を視界から閉め出し黙考もつこうする。だんだん規模を大きくしなければならない都合上、始めは小さく行くべきだろうか。

「──音、かな。『押すと音が鳴る』……とか」

 上目で前方を窺うと、後輩は左手を机の上の方へ差し出してどうぞ押してください、と無言で催促した。

 右手を伸ばして人差し指をボタンに乗せる。思った通りの冷たさと硬さ。うん、これなら。そのまま右手を押し込む。指先に行き止まりの感触を感じると同時に、確かに音が鳴った。

「お見事! 『カチ』だか『ポチ』だか分かりませんが、逆に言うとどうとでも聴き取れる音ですね!」

 後輩が無邪気な笑顔を見せる。

「これでオレの手番は終わり、でいいんだよな」

「はい、なので次はジブンの番です。さーて、なんにしよっかな──」

 くるりと周りを見渡す後輩。その動きが窓を向いたあたりで、

「まぶしっ」手を顔の前にかざした。立ち上がって、窓の方へ歩いていく。西向きの窓はこれだから困るんですよねえ、と言いながらブラインドを閉めて戻ってきた。

「ジブンの番でしたね。じゃあこうします。『押すと外から誰かの声が聴こえる』」

 そう言うやいなや、素早い動きでボタンを押した。数秒ほど、無言の時間が流れる。

 ……ボタンを押してから三十秒以内に『そのこと』が起こらなければ負け。あまり乗り気では無かったはずが、気付くと時間を数えていた。七、八、九、十──。

 不意に笑い声が響く。窓の方に寄ってみると、前の通りで肩を組む2人組が見えた。周囲を憚ることなく大声で話し合う男たちを認めて机に戻ると、得意気な顔の後輩が、

「これでジブンもクリア、ですね。さあ、先輩の手番ですよ」

 腕を組んで少し考え込む。この一巡、オレの予想は『押すと音が鳴る』、続く後輩の予想は『押すと外から誰かの声が聴こえる』だった。確かに後輩の予想の方がオレの予想よりも規模が大きくなっている気がする。つまりオレは今から『誰かの声が聴こえる』という事象よりも規模の大きい予想を立てる必要があるというわけだ。

 誰かが何かをする、というたぐいの予想ならこの条件に当てはまるだろう。ヒントを求めて部屋を見渡す。すると、壁のデジタル時計が目に映った。現在十五時四分。ああ、ちょうどいいネタがあった。

「言うぞ。『押すと誰かがこの所員室に入ってくる』」

 そのままボタンを押す。オレがボタンから指を離したのと、扉がノックされたのはほとんど同時だった。扉が開く。

「皆さん、所長さんから差し入れですよ~」

 受付の方から入ってきたフジタさんがオレたちに差し入れおやつと紅茶を配る。今日はジンジャークッキーとのことだった。所長らしい、なんとも絶妙なチョイスである。予想を当てた喜びと共にもそもそといただく。

「お見事ですね、先輩。次はジブンの番ですか」

 部屋を後にするフジタさんを見送ってクッキーを飲み込んだ後輩が、どこか含みのある笑い顔を浮かべる。

「いやに自信たっぷりだな。確信でもあるのか?」

 フッフッフ、と悪役みたいな笑い方を始めた後輩はしばらくそれを続けていたが、唐突に、

「いきますよ──『押すとこの事務所に客が来る』!」

 と高らかに言い放って、力強い動きでボタンを押した。

 普段から客が来ない依頼が無い、と言っているこの事務所に、今この時に客が来るかと問われると「来ない」とは断言できないけれど、可能性はとても低い。だというのに、この目の前の後輩の自信強さときたらなんだろう。オレは怪訝な表情を隠しもせず、左手で三十を数えている後輩を凝視していた。

 カウントが十五を超えたあたりで、早足に歩く足音が聴こえてきた。ノック音が部屋に響く。フジタさんが扉の隙間から顔を出して言った。

「タケダさん、お客様がいらっしゃってますよ」

 タケダさんは機敏な動きでフジタさんに付いて部屋を出て行った……オレは目を見開いたまま動けなかった。視界に愉しそうな表情が映り込む。

「これで一巡しましたね。さあ、もう一度先輩の手番ですよ」

 我に返ったとき、後輩は目の前に立ってオレの顔を覗き込んでいた。反射的に身を引いて机に向き直る。だけど──背中にある扉が気になって仕方がない。久々の客は、依頼はどんな内容なんだろう──そう考えると、さっきまで少し楽しんでいたこの『会議』がどうでもいいものに思えた。

 というわけで、さっさと終わらせることにした。負けるのは簡単だ。起こり得ないことを言ってしまえばいい。何か、適当に規模の大きくて滅多に起こらない適当な事象はないだろうか。数秒ほど視線を彷徨わせて、最初に頭に浮かんだものをそのまま口に出した。

「『押すと、軽い交通事故が起きる』」

 ボタンに手を掛けた瞬間に、後輩が言葉を差し込んだ。

「それはこの事務所の近くで、ということですか?」

「それでいいよ。じゃあ押すぞ」カチ、だかポチ、だかの音が鳴る。

 うちから湧き出る野次馬根性に抗いきれず、扉の隙間から依頼の話を盗み聞こうと扉の方に歩み寄る。すると後輩が手を掴んでオレを椅子に引き戻した。

「まだ三十秒経ってませんよ。会議は終わってないんですから、途中退室は厳禁です」

 そう言って、三十を数える左手をオレの方に差し出す。オレはそれに見向きもせず、扉の方を凝視していた。後ろから後輩の声がする。


 十八じゅーはち十九じゅーきゅー二十にじゅー二十一にじゅいち二十二にじゅに二十三にじゅさん二十四にじゅし────


 二十五にじゅご、と数える声は窓からの、という音にかき消された。2人して窓際に駆け寄る。閉じていたブラインドを指で押し広げて通りを見渡す。右手側、電柱に車体を擦りつけたどこかの社用車が見えた。

「……じそん、じこ?」

 思わずぽつりと漏らす。当然、自損事故も交通事故の一種だ。

 またしても固まっているオレの耳に響いたのは後輩の大きな声だった。

「先輩、お見事! まさか事故が起こることまで当ててしまうなんて、驚きです! つまりもう一度ジブンの手番、ということですね!」

 机に戻りましょう、と促す後輩にされるがまま、椅子にへたり込む。怖気おぞけを感じて腕を抱き寄せて初めて、自分が細かく震えていることに気付いた。

「事故については心配しなくても良さそうですよ。ただ擦っただけで、けが人とかは見当たりませんから」

 澄ました顔で言う後輩を見上げた。すると後輩はひとつ邪悪に微笑んで、

「じゃあ、種明かししちゃいましょうか」

 黙り込んでいるオレに追い討ちをかけるように続ける。

「このボタン、実は『押すと何が起こるか』を言ってから押すと、実際に『そのこと』が起こってしまうボタンなんですよ。もちろん、三十秒以内に。先輩、うっかり『押すと殺人事件が起こる』なんて言わなくて良かったですね?」

 今度こそ、オレは動けなくなってしまった。瞬きもできず、心底愉しそうに身体を揺らす後輩を目で追うことしかできない。

「……おや、そういえば、今はジブンの手番でしたね。さあて、どんな予想を立てようかな?」

 後輩は大袈裟に考え込むような姿勢をとったが、思案する素振りもなくすぐさま口を開いた。

「『押すと世界が終わる』、とか」口の端を吊り上げてこちらを見遣る。

 それを聞いたオレは弾かれるように立ち上がって、机のボタンを手で覆い隠した。その拍子に椅子が倒れて大きな音を出したが、もはやそれどころではなかった。

「待て、待てよ。こいつは別にそんな代物じゃないだろ。オレの予想にも、オマエの予想にも、それなりに根拠がある。説明可能だろ」

 後輩を睨むようにして向き合う。

「ふむ。では納得のいく説明をしてみてください。大丈夫。先輩は頭良いですから、これくらいなんてことないですよね?」

 余裕たっぷりの顔で後輩が煽る。オレは自分に言い聞かせるように、早くなった鼓動を落ち着かせるように話し始めた。

「まず、オレの予想『押すと音が鳴る』。これは見た目の材質からして音が鳴りそうだったから、そう言った。実際、毎回この押したときの音は鳴っていたよな。

 次、オマエの予想『押すと外から誰かの声が聴こえる』。この予想の直前にオマエが窓のブラインドを閉めに行ったのは覚えてる。その時に窓からあの2人組が見えたんなら、予想できてもおかしくはない。

 それでオレの予想『押すと誰かがこの所員室に入ってくる』。フジタさんが所長からの差し入れを持ってくるのは大体三時十五時頃なんで、丁度良いと思ってそう言った。

 オマエの予想『押すとこの事務所に客が来る』は、今思うとタケダさんが手帳と時計を気にしていた時点で解っておくべきだったな。押す直前変に笑ってただけだったのも、手帳に書かれた時間になるまでの時間稼ぎだったんだろ」

 少し息を吐いた。ボタンを隠す手が汗で湿るのを感じる。ここまで言い切れば少しは落ち着くかと思ったのに、むしろ焦りのような気持ちが湧き上がって仕方がない。さっきの説明も、穴だらけで理屈になっていない気がしてくる。

「この短時間で、よくここまでもつともらしい説明をできたもんですね。感心しました。でも──」

 でも、と後輩がオレに顔を近付ける。思わず、重心を後ろに逸らしてしまう。

「一番気になる『交通事故』については説明してくれないんですか?」

「あ──いや。その──」上手く喋ることができない。

「気になるなあ──まさか『偶然』なんて、言いませんよね?」

 後輩が机の向こう側から身を乗り出す。それに合わせて身を引いてしまっていたオレが気付いた時には────後輩はオレの手の上から強引に体重を掛けるところだった。

「あ────」

 確かな感触が、ボタンが押下されたことを伝える。しかし、その音が耳に入ることはなかった。覆っていた手が音を塞いだのか、それともこの所員室の扉が開けられた音にかき消されたのかはわからない。ただ大きな音に振り返ったオレの目には、

「キミたち、就業時間中に何をしているのかな? それもお客様が来ているときに」

 と、非の打ち所のない綺麗な笑顔で問いかける所長だけが映っていた。





 時刻は午後五時十三分。あれから所長室にて滾々こんこんと説教を受け、反省文1枚(ただのコピー用紙1枚で、文字数制限なし。逆に怖い)の罰を言い渡され、後輩ともども虚ろな目で所員室に戻ってきたところである。戻ってきてすぐに、倒れっぱなしの椅子と、机に放置された小さなボタンが目に入った。

「──ああ、そういえば」後輩を振り返って訊く。

「『押すと世界が終わる』がどう実現したのか、というのはどうやって説明をつけるつもりなんだ?」

 答えられるもんなら答えてみろよ、という怒気を込めて視線を送る。人質代わりにボタンを手で弄ぶのも忘れない。

「あー、はは、あはは──は」

 露骨に目が泳ぐ後輩。口が再び開くまでに、今度はたっぷり三十秒はかかった。

「『普段おこらないコトヒトがおこる』、世界が終わるってこういうことですよね?」

 オレはひとつ大きな溜め息を吐き、

「今すぐにこの生意気な後輩バカが痛い目を見る」

 とだけ言って、躊躇わずにボタンを強く押し込んだ。

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人間の話 窓拭き係 @NaiRi

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