出遭う話

 まさか。いや、まさか。真逆まさか とは言うものだが、いやはや、これほどのものとは。驚きというか、混乱というか。あまりの出来事に思考がまとまらない。心臓も今の動揺を表すかのように跳ね回っている。私はしばらく息ができなかった。

 〝未知との遭遇〟という有名な映画があるが、この〝遭遇〟は歓迎できないものを指す言葉だ。あの映画で登場する宇宙人たちは地球を滅ぼしに来たわけではなかったので、この〝遭遇〟という単語はややミスマッチということになる。

 それで、今のこの状況は、遭遇という言葉を使ってよいものだろうか。なにしろ相手はお寺近くの墓地に佇む金髪の若い男というこれ以上ないミスマッチさなので、こちらにそれはないと信じたい。


 今年で大学生活も折り返しを迎え、間抜けにも自動車免許の取得期限に苦心している私が、朝6時前という時間に墓地の前を歩く理由を説明するのには少しの時間を要する。

 夏季休暇が始まって半月あまり、私は恐ろしいことに気が付いてしまった。「私、この2週間何もしていねえ…………⁉」

 そう。寝正月まがいのぐうたらな、贅肉製造機  食つちや寝  の生活を何も考えず過ごしていたのだ……‼ 免許に体調たいじゆうに、色々と怖くなった私はとりあえず家を出ようとした。だが、ここでもう一つ驚愕の事実が判明する。外は暑い。超暑いクソ熱い。とても居られたものではない。なんだ摂氏35度って。茹でるつもりか? こん畜生ちきしようめが。


 ……とにかく、日中の外出は無理だ。殺意が高すぎる。だからせめて日の出くらいにしようと、この時間にしたのであった。もう結構昇ってるけど。いや、というか、大事なのはここからだ。今この状況だ。墓地になんかいる。金髪の男っぽいのが、いる。立ってこっちのほうを見ている。

 そいつは突然軽く一笑したかと思うと、こちらに向かって歩き始めた。意外と普通の歩き方というか、常識がありそうな雰囲気を漂わせていたので、私は毛の逆立った猫の尻尾みたくなっていたのをようやくやめた。依然として状況が全く掴めないので内心では一切警戒を解いていなかったけれども、少しは心に余裕が出てきた。

 そのためか、それとも単に距離が縮まったためかは分からないが、私は彼の足元に真っ黒な犬がいることに気付いた。座れば腰くらいまでは届きそうな、あれはラブラドールレトリバーだろうか。

 なんだ犬の散歩か、とすっかり安心した私は、お隣さんに話しかけるような気軽さで彼に話しかけた。その子大きくてかわいいですね、撫でてもいいですか、と。すると不思議なことに犬がすたすたと私の傍にやってきて、そこで座った。近くで見ると、よりその毛並みが映えるというか。もこもこの毛玉というか。

 本人(犬だけど)の許可も貰ったようなので存分にわしわしと黒い毛玉を堪能する。よしよし。手触りがよい。きっと入念に手入れされているのだろう。もしかしたら、血統書とか持ってるすごい犬なのかもしれない。もふもふ。それにしてもおとなしい、やけに人慣れした犬である。単純に撫でられるのが好きなのかと思ったけれどあんまり喜んでいる様子ではない気がするし。変わったわんころだなあとぼんやり考えていると例の飼い主っぽい男の人と目が合った。……なんかやたらと凝視されてないか、私?

 そういえばこの人に直接許可をもらったわけじゃなかったなあと気まずくなって立ち上がって一歩下がる。が、それでも彼はじっとこっちを見るばかり。おまけに「もっと撫でれ」と言わんばかりに黒いけものが足元にすり寄ってくる。かわいいけど、ちょっと板挟みみたいで困る。

 とはいえ散歩をこれ以上邪魔するのは良くない。構ってやりたいのはやまやまだけど、そもそも私にも運動するという大事な使命があるのだ。

 どうもありがとうございましたと頭を下げてその場を離れた。


 さっきまで出遭いがどうのと言っていたのがなんだか恥ずかしくなる。あれほど利口な犬も珍しいんじゃなかろうか? そりゃまあ、飼い主さんは散歩で墓地に行ったり、一言も喋らなかったりする、変な人だったけど。明日もいるのかな? 次こそは飼い主の人とも話したいなあ。

 そんなことをくるくる頭の中で回しながら、私は家路についた。



 結局それからは一度も彼らに会うことはなく数日経ったある日、私は不思議な話を近所の友人から聞くことになる。曰く、

「静葉あんた、お寺近くの墓地ってわかる?」

「うん、わかるわかる。それで?」

「あそこさ……最近出るらしいのよ」

 友人──みんなはアカネ、と呼んでいる──は少し声を落としてそう言った。この時私は最近の日課のことを彼女に話していなかった。心当たりが全くなかった私は、

「出る? 何が?」

「だから────が、よ」

 いかにもな口調でなんにも具体的なことを言わないアカネに私は思わずちょっと笑って言った。

「ふふ、ふふふっ──いやいや、イマドキ墓荒らしだって出やしないわよ。骨くらいしか置いてないんだから」

 なおも、ふふっ、と笑う私に彼女はとした様子になり、

「静葉──あんた知ってるの⁉」

「え、えーと……」

「────ああ、その様子じゃ知らないみたいね」

 よかった、と胸をなでおろすアカネの様子があの時の私に似ていたので私はどうしても気になって、

「ねえ、一体何が出るっていうの? そんなに恐ろしい化け物、とか?」

「そうね────」

 調子を取り戻したアカネは、再びちょっとそれっぽい口調で話し始めた。


 ねえ静葉、あんた墓荒らしって言って何を思い浮かべる? なんでもいいからさ、言ってみてよ。

 ……ピラミッド? だよねえ、墓荒らしは偉い人のお墓に入るってもんよねえ。でもさ、昔の人だって馬鹿じゃないから、対策とかしてたらしいの。村の墓地に墓守を雇ったり、ピラミッドだとスフィンクスを造ったり。それで、そういう人たちってもちろんお墓を漁りに来た人たちを追い払うわけよ。

 え? まるで話が分からない? ……黙って聴いてなさい。すぐわかるから。

 ええと──そうそう。その墓守たちって、人間だけがなるワケじゃなかったらしいのね。さっきも言ったけど、スフィンクスのような化け物とかがなることもあったそうよ。そして、その化け物の中には凶暴な奴もいたらしくて。ひとたび不届き者を見つけるとどこまでも追ってきて、喰い殺してお墓に埋めてしまう、そんなのがいたんだって。

 ……それで、ここからが大事なんだけどね────────。



 アカネはわざと話を一回切った。のか話し疲れたのか知らないけど、続きを察していたというか、なんだか嫌な予感がしていた私は無理やり後を繫ぐ。

「……つまり、そんなのが、今、あの、あの墓地に住み着いてるの?」

 話の腰を思いきりへし折られた彼女はものすごく不満そうな顔をしていたが、そうらしいわと肯定した。申し訳ない気分ではあるが、もう私はそれどころではなくなって、後の会話はほとんど上の空になっていた。さっきまで少し暑いと思っていた部屋を、やたらと涼しく感じた。



 …………衝撃の日から幾らか経ったが、私は未だにあの黒い大きな犬とはいない。当然、飼い主らしき金髪の男の人とも。

 アカネとの会話の後、初めのうちこそ怖くてたまらなかったが、後からじっくり考えるとあの利口な毛玉と、残酷な墓守とを結びつけるのはどうも違うような気がする。やたらフレンドリーだったこともあるけれど、そもそも墓荒らしだと認識されていたらあの場でお墓の仲間入りをしていただろうな、というのが一番大きい。それに、本当に話通りの凶暴な化け物なら飼い主なんているはずがないだろうし。

 そういうわけで、今のところ私は早朝の日課を止めていないし、墓地の前を通るというルートを変更してもいない。冗談のような噂話より、よほど怖いものはいくつも知っている。要するに、別に大したことじゃなかった、ということだ。


 まあ、結局のところあの〝であい〟が果たしてどっちだったのか、という疑問には未だに答えられていないのだけれど。

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