懐かしむ話



 懐かしい曲を耳にした。その曲をそれだと分かって聴くのはこれが初めてで、それまではどこかで聞いたことがあるだけだった。今の今まで忘れていたのに、サビのひとフレーズを聴いただけですぐに思い出した。なんとも懐かしく、嬉しさと寂しさの混在した気分になった。まるで見知らぬ人に落とした物を拾ってもらった時のような、そんな恥ずかしさもあった。





 懐かしい本を読んだ。旅先で入った書店で、かつて狂ったように読んでいた本を見つけ、家にあるというのに急に読みたくなり、買ってしまったのだ。宿に戻ってからも、本を開くのに10分はかかったと思う。背表紙を眺めたり、さすったり、とにかく目の前の本を愛でた。再びこの本を読めることへの興奮と、勢いで買ってしまったちょっとした後悔と、そして少しの申し訳なさを感じながら本を開いた。





 懐かしいドラマを観た。誰もが称える、というものではなかったが、個人的には見ていてとても面白いと思っていたものだった。レコーダーの容量が無くなってきたので整理していたら、丁寧にCMを切り取ってフォルダに保存されたものが出てきたので、作業を中断して観ることにした。大体の展開は覚えていたが、細かいエピソードにいちいち心が沸き立った。最終話を観終わった時、鳥肌が立っていたが、それが効きすぎた冷房のせいなのかどうかはわからなかった。





 懐かしい友人に会った。偶然街で出くわして、そのままの勢いで食事に行った。沢山話をして、沢山話を聞いた。そいつは小さい頃から夢の大きいヤツで、現在にも、未来にも過去の面影があって、光り輝いていた。その輝きは、過去は過去に、現在は現在に、そしてきっと未来は未来に置き去りにするであろう人間にとっては、少々眩し過ぎた。別れる時に、握手をして、抱擁を交わした。ちゃんとあいつと同じ力強さで別れの挨拶をできていただろうか。自信はない。





 懐かしい写真を見付けた。数年ぶりに実家に帰った時に、部屋を掃除していたら机のマットの下から出てきたのだ。途端に様々な記憶が浮かんで消え、それは止まらなかった。炭酸水のようになってしまった頭を持て余し立ち尽くしていると、ふいに頬を伝うものを感じた。舐めてみると、それはやけにしょっぱかった。置き去りにしてきた過去に激しく罵られたような心持ちだったのに、不思議と嫌な気分ではなかった。





 懐かしい場所にいた。そこは知らない場所だった。初めて行った場所だというのに、その風景の懐かしさは僕をうちのめした。顔を赤くして、目を見開いて、口を半開きにしている余所者を、白い目で見ながら通り過ぎる人を視界の端で捉えながら、その実彼らのことは全然頭に入っちゃいなかった。それはただ美しかった。非常な感動と、猛烈な居心地の悪さに板挟みにされ、しばらくの間思考すらまともに働かなかった。ようやく動き出した頃には、空は紅く澄み渡っていた。でも、心の内は曇りだった。








 懐かしい。それがどのようなものであれ、新しいものが出てくることに慣れてしまった僕達は、ただ過去を懐かしむ。どれだけ過去が僕を許さなくとも、僕がどれだけ過去を恨もうと、悲しもうと、惜しもうと、忘れようと、裏切ろうと、過去は絶対に僕を裏切らない。変わることのない過去は僕をどうしようもなく決めつけてしまう。僕は決めつけられてしまったまま新しい過去を積み重ねていく。この過去がある限り、「過去を生きて、すぐさま未来を生きる」という僕の生き方が変わることはない。僕達は毎日、少しずつ、でも確実に変わっていく。過去を裏切った僕達は、結局は未来に裏切られる。でも、それはどうしても疲れてしまう。だから、僕達は懐かしむ。その間だけは、過去が僕達を護ってくれるから。変わりやすい僕達は、変わらない過去に護ってもらうしかない。いつか輝けるものを得るために。未来ニセモノに立ち向かい過去ホンモノを手に入れるために。たとえ現在いまが偽物でも、一晩限りの情熱でも、やり遂げたならそれは過去本物になるのだから。だから僕達は懐かしむ。過去から力を貰うために。いつか過去人生を輝けるものにするために。





今日も僕は懐かしむ。いつかこの記憶すら懐かしいと思う日が来るのだろう。それがいつで、その時僕がどうなっているかなんて、見当もつかない。でも、問題はない。分かるのはいつだって過去のことなのだから。

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