教える話





「────先生」

「……君は」

「ああ、やっぱり先生だ。先生、先生……」

「……私は君に先生と呼ばれるような者ではないんだがね。それに、そうも『先生、先生』なんて呼んでいたらゲシュタルト崩壊を起こしてしまうよ」

「ええ、ええ。あなたはいつもそんなふうなことばかり言うんだ。でも先生、ぼくはあなたのその長いあいさつも好きだけど、いまはそれどころじゃないんです。助けてください。教えてください。」

「まあ、話くらいは聞こうか。君はその傷を治して欲しくて私に声を掛けたのかい」

「はい、はい、そうです。そうなんです。つらいんです。くるしいんです。みんな、ぼくのことを能無しだ、異常者だ、って呼ぶんです。ぼくはなんにも悪いことなんてしてないのに……」

「……言いたいことは山のようにあるが。とにかく、君がもし本当に彼らに不義理を働いていないのなら、彼らが君のことを排斥する理由は一つしかないよ。防衛本能さ。

 見た目だけなら水と油に似ているね。社会を水だとしようか。水はこの地球上のなかでもかなりの割合を占める物質だからね。さて、国の土地自体を水槽だとして、そうだね、一般人は水だ。水槽を水で満たすことで、それは社会たりえる。そう考えよう。

 そこでちょっと考えて欲しいんだが、君、水の中に油を入れてよくかき混ぜるとどうなるかな。そう、少しの間は混ざっているが、暫くすると分離して油が浮いていく。

 この油にあたるものが例えば君というわけだ。性質上、油は決して混じりあわない。そりゃ、目に見えないくらいほんの少しなら溶け込めるかもしれないが、さすがに君一人の人格ほどの大きさとなると溶け込むことはできない。よく『どうしようもない奴』と呼ばれる人いるだろ? あれはね、もう本当にどうしようもないんだ。考えてもみてくれ。油が努力したからといって水に溶けるようになるか? 答えは明らかにNOだ。たまに聞くような更生したとかいう美談は、つまりそいつは水に過ぎなかった、というだけなのさ。どうしようもない奴、いうなれば社会不適合者というのは常識を持たない。いや、正確には知識としては持っているが、それを当たり前だと思う感性がない、ということだ。実際には、そういう奴らは油に近いが水にもそこそこ溶ける、といったような存在であることが大半なんだが、まあそれはどうでもいい。話が逸れてしまったが、まとめると人間社会に溶け込めない奴は、そもそもの身体の造りからして溶け込めないようになっているってことなのさ。

 で、何の話だったか。ああそうだ、君が排斥される理由だっけか、それは単純で、ただの物理法則だ。な? 水は油が入ってくると下に潜り込んで油を上に浮かせる。同じだよ、決して交じり合うことなく、その異常性を浮き彫りにして、そいつを『浮かせる』というわけだ。つまり君は油で、君の友人は水。いや水と油の時点で友人は有り得ないね、知り合いとでもしておこうか。そういうわけだ」

「……先生、ぼくはどうしようもないんですか。ぼくはどうしたらまともになれるんですか。」

「可能性があるとすれば、君が身体そのものから作り変わることだろうね。まあ無理だが」

「先生、教えてくださいよ。ぼくはどうしたらいいんですか……」

「どうするもなにも、その様子じゃもう決まりきったことだと思うが……」

「先生、なんでぼくとみんなは違うんですか。ぼくは出来損ないなんですか。ぼくが悪いんですか。普通になれなかったぼくがいけないんですか。」

「じゃあ、もう一度考えてみようか。さっきは水槽に水を入れたけど、今度はその水を流してみよう。ちょっとややこしくしてしまうが、今回は水の流れる川が社会だ。そしてその川底に沈む小石が君だとする。

 ところで君、石はどうやって出来るか知ってるか? まず山頂に山ほど転がってる岩、あれがふとした拍子に割れたり砕けたりして川に流れていく。そしてさらに砕けたり削れたりしていって、ようやく下流で私達が見るような小石が拝めるのさ。

 さて、砕けてできたばかりの石は尖っている。つまり、他の石と比べてそれだとわかりやすいんだ。固有の形があるとも言えるね。だが、石が生まれる上流は川が狭く流れが急だ。石は流されていくうちに何度も他の石とぶつかって削れたり砕けたりしてどんどん小さく、丸くなっていく。下流に行けば行くほど川というのは広く流れも遅くなっていくから、川と海の境界付近は泥や砂や石が大量に堆積たいせきして三角州を……って、話が違うか」

「…………」

「はてさて私は何が言いたかったんだったかな……っと、思い出した。

 人間もこの石に似てるよな、という話だ。初めの頃は流れは急だから任せておけば行くところに行き着く。また、人間なんだから多少なりともこうなりたい、という願望がある。そういう願望はこだわりを生み出し、同時に人の心に棘を作る。しかし流れていくうちに沢山の衝突を重ねて、流れも遅くなって自分で進む必要が出る頃には、棘は取れていき、精神的にも角の取れた丸い人間ができあがる。その頃には流れなんてほとんど止まっているし、川の幅も広がっている、すなわち認識的な世界が広いんだ。

 で、問題はそれがどうかしたのかって話だが……」

「……………………」

「君もちょっとは喋ったらどうだね。君が喋ってくれたら思い出すかもしれないのに。

……ああいや、喋る必要はないぞ。思い出したからな。

 つまりな、『普通』というのはなるものじゃなくいつの間にか勝手になってるものなんだ。尖ってるものを失って、それで人は普通なんだ。というより、普通であろうなんて考える方がどうかしている。ちょっと考えたらすぐわかる事だ。『普通』というのは願望やこだわりが叩かれて砕かれて挫折してそれで丸く収まって、ようやくそうなるのに、初めから普通でいようなんて、それってつまり叩かれもしないし砕かれもしないし、挫折もしないってことじゃないか。矛盾してる。何よりも丸くあろうと思っているはずなのに、何よりも尖っている。要するにだな、普通になろうなんて考えなくてもいい。君は既に普通なんだろう? 今、君は何歳くらいだ? 見た限りでは二十歳かそこらだろう。ということは、君はとっくの昔に丸くなっているはずなんだよ。なったんだろ? だから自分が異常者だって自覚がないんだろ?」

「…………………………」

「まあそれは私にとっては瑣事だ。どうでもいい。丸くなったはずなのになぜ自分だけ違うのか。答えは簡単だが、まずは一般人のような話をしておこうか。

 一般人といってもその種類は多岐にわたる。怒りっぽい奴、笑い出すと止まらない奴、いつも本ばっかり読んでいるくせに話始めると止まらない奴。実際に会って話してみると忘れ難いし、後から思い出すのも簡単だ。なぜなら、それらは皆『個』を確立しているからだ。個ではなく群としての性質であれば、それは見分けがつかないのさ。君はペンギンの区別がつかないだろ? 飼育員ですら羽に付いたリングの色で判断しないと間違えることがあるらしい。それは我々がペンギンを『ペンギン』という一つの塊として認識しているからなんだ。しかし、人間はそうではない。一度会えば確実に他のものと区別できる。ではなぜ、会う前に、ある人について深く認識ができないのか。なぜ交差点ですれ違うだけの関係だった時はお互いを認識できなかったのか。さっき言った石の喩えに戻るが、君は川底に沈む石を見分けられるか。今日見た石の配列を明日まで記憶して、ああこの石はここまで流れたんだな、とか、こいつは新顔だから上流から流れ着いたんだな、とか考えられるか? はっきり言うが、無理だ。視界を写真だと捉えて記憶することが得意な人間でも、これはたいへんに難しい。確かにそういう人なら川底の景色は鮮明に覚えられるだろう。だがな、人間は一度起こした認識をなかなか変えられない。ノートに間違えて貼ってしまったプリントは貼り直しが効かないのと同じだ。一度『石だ』と認識してしまうと、もう他の石と区別がつかなくなる。入れ替わっていても気付けないんだ。人間も同じだろう? 会って話をして、それでようやくその人は『その人である』というタグを付けられる。タグを付ける前は『人間である』という情報しかないんだから、そりゃあ見分けがつかないわけだ。犬だって同じだ。誰でも愛犬と他の犬くらいの見分けはつく。まあ、犬は人間に比べると少ないから覚えやすいがね。

 で、だ。君がなぜそんなどんぐりの背比べのような石が並ぶ中で区別されるのか、という話だが、君は宝石を見た事があるか? 石英でもいい。ともかく、ああいう綺麗なものって、見つけやすいだろ? つまりはそういう事だ。だが勘違いするなよ、君の事を宝石と言ってるわけじゃない。そんなこと私には分からないさ。もっと人を見る目がある奴に訊くといい。君は喩えるなら紅一点だ。すごく目立つ。別にそれは悪いことじゃない。テレビに出るような有名人だって同じようなものだからな。有名人の多くは普通じゃない、一般人ではない、というのは君にも分かるはずだ。彼らももしかしたらかつて君のような心境を味わっていたかもしれない。つまり、君はもしかしたらいつか未来で誰もが羨むスーパースターだったかもしれない、ということさ。まあ、君はそうするにはもう遅すぎるだが……」

「………………………………」

「全く、君はいつになったら喋るんだか。

───っておい、私に近付くな! そんな状態で寄りかかられたら後で私が困る! 絶対に受け止めたりせんからな! おい!」


「──────」


「……なんだ、とっくに眠っていたか。ああくそ、いつもこうなんだ、私は! 変に理屈っぽいせいかどうしても話が長くなってしまうんだよな!」


「おお、遅刻じゃないか。行かないと」


「っと、その前に」


「それじゃあね。おやすみなさい」






























「いやー、散々な目に遭った! おはよう、我が助手!」

「……教授、遅過ぎます。何が『お早う』ですか。もう昼は過ぎてます。いいですか、嘘を吐かないでくださいね。どこで道草食ってたんです?」

「いやーうん、ちょっと街の外れでね? ちょっとばかし変な奴とちょっとお話してたのさ」

「……もう一度言いますね。嘘を吐かないでください。どこで油を売ってたんですか?」

「待った、さては君私が何を言っても叱り飛ばすつもりだろう!?」

「よく分かりましたね。では折檻のお時間です」

「……常々思うんだけど、私と君の立場逆じゃないのか?」

「ああそういえば教授、さっき連絡が入ったんですけど、ちょっと先で人が死んでいたそうですよ。なんでも、額から顎にかけて左目を巻き込んで切り裂かれていたとか。教授の家ってその方向じゃないですか。何か知りません?」

「知らないね。少なくとも授業中に居眠りする奴の事を覚えておく義務は教授には無いさ」

「あーはいはい、そうですか。じゃあお説教するのでこちらに来てください」


「……教授?」


「……あっ待て逃げるなコラ!」

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