第43話 女教師、少年の企みを知る

環は採血の為腕まくりした左手を挙げたまま口をあんぐり開けた。

「妊娠してます。間違いないよ。・・・あんたわかってて確認に来たんじゃないの?・・・養護教諭なんでしょ?知識あんでしょ?」

職業欄に目を落として医者が言った。

あまりな言い草に環はムッとしてちょっと顎を上げた。

「本格的に早期閉経かなあと・・・。ホルモン注射とかして貰った方がいいかと思って」

「・・・いや。ちょっと早いな。・・・あんた、どんだけ枯れた生活してんだい。・・・でもないよな」

いちいち、失礼な。なんと口の悪い医者だろう。

「ここ分娩はやってないんだよね。希望の病院あったら紹介状書くから、早めに受診して。ま、疑問点とかは聞くから。予定日とか知りたいでしょ?」

「・・・予定日っていうか、あの・・・い、いつの子でしょうか・・・」

「んー。そうねえ・・・。三ヶ月前・・・くらいじゃないの?」

と環は考え込んだ。

まさか。あいつ。

このつもりで。

環が覚えがあるのは。一度きり。

あれは夢か幻かと思っていたのだが、・・・もしや。

「あなた結婚してんでしょ?」

「いやあの、・・・」

言い淀む環に、訳ありだろうか、と医者はちょっとだけ眉を寄せた。

「ま、あなたの子なのは間違いないから」

そりゃそうだ。

「で。どうすんの?あんたも若いムスメってトシじゃないんだしね。養護教諭なんだから、わかるよね。ここ分娩も堕胎も出来ないから。決めるんなら早くしなさい」

僕、普段はこんなに迫らないんだけど、あんたは若いムスメじゃないし・・・と彼は繰り返した。

「・・・・わ、わかりました・・・」

・・・産むか、産まないのか。

不思議な気分だ。今までは出来るか出来ないかしか考えたことがないから。

出来てその先に、そういう選択があるなんて。

「一番近所の産科ある病院がいいとは思うけど。実家で里帰り出産にする?病院からはあんまり歓迎されないだろうけど。ご実家頼れるなら、産後の事考えたら、私はお勧めしたいけど」

口は悪いが、優しい人柄らしい。

心配そうに、彼はちらちらこちらを見ていた。

環はちょっと考えてから、スマホを取り出して検索して、紹介状の宛先の病院の名前を告げた。

医者は頷くと、用紙を取り出して、ペンを走らせた。

事情がある様子、何卒よろしくお願い申し上げる、と一筆添えたメモも忍ばせて、封筒に入れる。

医者よりも心配そうな顔をしていた看護師が、ほっとしたように小さく微笑んだ。

彼女は、ドアを開けた環の肩にそっと手を置いて、おかあさん、がんばって。と言って送り出した。

 

 環は夜中までかかって地元の病院に勤めている看護師の妹に、メールで簡単に説明をした。何度も文面を吟味して、踏み切れなくて、送信するまでに時間がかかった。

離婚したこと。妊娠していること。両親にはまだ言わないで欲しいということ。妹のいる産婦人科に通おうと思っている事。

どうも腹が減るのはこのせいだったのか、と納得した。

病院の帰り、隣の食料品店の量り売りの惣菜の目に付いたものを片っ端から買って、こたつの上に並べて食べていた。

「やっぱ寿司食いたいな。明日は寿司だな・・・。ぬる燗で・・・はダメか・・・」

スマホの着信音に気づいて環はトンカツとナポリタンから顔を上げた。

環はメールを開いた。

開いてみると、グリーティングサービスだった。

最初悪質な詐欺メールかと思った。が、高久の名前が書いてあった。事前に設定しておけるメールサービスらしい。

ハッピーバースデーの音楽が流れた。

「・・・私、今日、誕生日か・・・」

何回か死んだのに、また誕生日が来た。

「へんなとこマメなんだから・・・・」

環は込み上げてくる涙を手の甲で何度も拭った。

 お誕生日おめでとう。環先生。先生がこれ読んでるってことは多分、俺はもう死んでるはずだと思う。いろいろありがとう。いろいろ心残りはあるけど、すっげー楽しかった。

環はティッシュで目元を拭いて、鼻をかんだ。

・・・・全くもって不本意だけど・・・ほら、パパからメールよ・・・。

と、雰囲気たっぷりでお腹に手を当てたりして。改めて読み進める。

「続きあんの・・・?・・・で、いろいろ心残りがあるもんだから・・・?」

環は先を読んで、スマホを取り落としそうになった。

もう一回新たにスタート切った方がいいって先生言ってたし。

毘沙門様が生まれ変わる優先順位サービスしてくれるって言うし、自分でなんとかすることにした。

「へ?生まれ変わりってホントにあるんだー・・・」

体が入れ替わったりもするのだ。生まれ変わりもあるのかもしれない。

ということは?高久は、自分で生まれ変わりを選べるってことか。そんなことできるの?

環は読み進めた。

兄ちゃんと、ヤギと、リョータと、自分と。四人いりゃなんとかなるんじゃないかと思って同じ日にやってみた。

「・・・兄ちゃんと、ヤギとリョータとって・・・。ひ、ひとの体だと思って・・・。し、信じられない、あのバカ・・・」

倒れそうになった。

上手くいったら、ホラ、今ってDNA検査とかでわかるって言うじゃん?ああいう検査して調べるとかさ。面倒ならどれでも自分でいい奴選んで責任取らせて。多分皆OKだから。だめだったら一人当たり、まあ、先生じゃ市場価格百万は無理だろうから、三十万くらいづつ貰って。

「あんたじゃないんかい?!・・・あっ、ごめんごめん。訂正!パパじゃないかも!」

環は腹部に向かってそう叫んだ。

「・・ん?文句言うべきはこっちか?」

高久が自分で産まれ変わるために自分で自分を用意したということだから・・・?

「じゃ、これ、あんたか!?」

その滑稽さと、高久の強引さと・・・、成り行きのめちゃくちゃさが、もう、絶句というか、呆気に取られるというか。

なんだかとんでもない話になってきた・・・・。

「・・何考えてんのよ・・・・」

手がわなわなと震えた。

この野郎、授業どころか自分の話も全然聞いて無かったんじゃないか。

ひとの人生、こんなに思わぬ方向に捻じ曲げて・・・・。

動揺と、怒りと、・・・吹き出したくなる気分と。

ああ。人生ジェットコースターだ。

しばらく深呼吸を繰り返して。

笑いがこみ上げてきた。

「・・・仕方ない・・・付き合ってあげるか・・・」

私も自信ないんだからね。初心者なんだからね。

あんたもしっかり頼むわよ。

担保は、自分の幸せになるという意欲のみ。

環は腹に手を当てた。

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