第42話 何を取り戻したのか
年も差し迫った年末。
クラスの友人達と他校の女子高生と共にケーキバイキングに行った帰りだったらしい。
高久は皆と別れて、駅に向かおうとしていて。小学生の姉妹が、手をつないで横断歩道を渡ろうとして、途中でどちらかが転んで泣いていたと。
信号が変わり、左折してきたトラックが入ってきた。
とっさに高久が姉妹を歩道に引っ張り上げて無事だったのだが。
じゃあね、と言って格好良く去ろうとした時に、グレーチング踏み抜いて側溝に落ちて頭を打ったらしいと。
頭をぱっくり割って血だらけの高久の横で姉妹がわあわあ泣いているのに気付いた近所の人が消防に通報してくれたらしい。しかし救急車が駆けつけた時までは、高久は泣き叫ぶ姉妹を宥めていたようだが、病院に着いた頃はもう意識が無かったらしい。
着の身着のまま飛び出して、緊急搬送された病院で、医者や高久の父に顛末を聞いたのだが、環にはさっぱり理解できなかった。
・・・だから。あの、いつ退院できるんですか?
ほら、この子、この間、心臓の手術したんです。成功したから、もう大丈夫だって言われたから。明日、追試なんですよ。それ受けないと、三年生になれないんです。
それから受験なんです。大学入って、卒業したら、警察官になりたいって言ってたから。できるだけ早く退院しないと。
そんなことを話していたような気がする。
今思えば、何バカな事言ってたんだろう。
高久の死が理解出来なかったのだ。
葬儀の今だって、納得できない。
高久の家は神道だったらしく、玉串を捧げて、遺族に頭を下げて、待合室に戻った。
初めて見た高久の母親がしなのと泣き崩れ、父親が頭を下げ、一三が何か話しかけてきたような気がするが、何だか全て遠く感じて、気持ちがさっぱりついていかない。
クラスメイト達が、高久の遺影の前で絶句したまま、誰も言葉を発しなかった。
文化祭で出会った、女子生徒が三人、目立たない場所に座っていた。
環は知らなかったが、高久が作って送ったというウサギのストラップを握りしめて、動けないでいる春香に、梅と虹子が何か話しかけていた。
何か声をかけようかと思ったが、出来なかった。
斎場の職員と何か話していた神主が、顔色が悪いようだと環を気遣ってくれた。
「・・・少し、外の空気に当たられてはいかがですか」
突き当たりに小さな中庭があって、そこは静かだから、とだけ告げた。
環は、頭を下げて、彼の言う中庭に向かった。
朝方降った雪が、中庭に積もっていた。
外の空気が吸いたかった。
小さな池の水面ががみぞれ模様に揺れていた。
こんな小さい池にも魚がいるのか。
水は冷たいだろうに。
しばらく、ぼうっと池を眺めていたようだ。
ぽん、と肩を叩かれた。
顔を上げると、見知った顔が目の前にあった。
磨き上げられた鎧をまとい、《毘》と書いてある旗を持っている。
「・・・・なんだ、あんたか・・・触らないでよ」
ぷい、と環はまた池に視線を戻した。
「いや、なんだ、ではなくな・・・」
ばつの悪そうな顔をしている。
こうなることを知っていたのだ。
「・・・何しに来たのよ。別にもう用事ないんだけど。高久、死んじゃったじゃない。昨日までならまだ体あったのに。もう焼いちゃったんだから。生き返らせてくれないならもう来ないでよ」
今まで泣かなかったが、恨み言と一緒に涙がどんどん出てくる。
池の魚がぽっかりと顔を出した。
心配そうにこちらをじっと伺っている。
「なんで私と高久戻したの?あのままで良かったじゃない・・・・これじゃ、何を取り戻したのか・・・」
天下の毘沙門天をすっかりあんた呼ばわりだが、負い目のある彼は黙って聞いていた。
手術失敗したら死ぬのは自分で。成功したとしても、追試の前にケーキバイキングなんかに自分なら行かなかったかもしれない。もし行って、事故にあったとしても、死ぬのは自分で済んだはずだ。
「これは、少年と話してあったことだからな。いくつかの選択肢の中から、彼が選んだ一番いい結果だ」
「は?」
「もともと用意された未来は、手術は失敗するはずだった。死ぬのは、もちろんそなた。高久はその後、そなたとして生きる予定であったが・・・。手術に失敗したら、執刀医の責任が問われるであろう?まずそこを改編して。あとはそなたが生きていけるようにした」
周囲の人間の気持ちを締め出して、高久は全部自分で一人で決めたというのか・・・。
「バッカじゃないの・・・・」
環は顔を覆った。涙が止まらなかった。
ひんひん泣いていると、風がふわりと頬をかすめた。
パタパタと旗が揺れた。
「・・・ああ。時間だ。これでもう会うこともあるまい。まあいずれ、そなたが死ぬ時にでも、ちょっと来てみような」
「もう来なくていい。どうせ何もしてくんないんだから。ほんと男って余計なことしかしないくせに役立たず」
「・・・基本女って冷たいよな・・・」
どこかで聞いたような。
「それから。・・・あの少年が健気に一人で仕事を済ますようなタマかいや。周囲を巻き込むタイプじゃろうが・・・儂も一仕事もあるでな。そなたも、息災でな、環刀自古。健闘せよ」
ぎゅっと両手で握手されて、ぶんぶん振られた。
環はうん、とだけ頷いた。
ちゃぷ、と魚が一度跳ねて。
また雪が降り出していた。
「・・・環先生、タクシー来たからご一緒しましょ・・・」
何かと心配してくれる紫が、一人で外にいる環を探し出したようだ。
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