第41話 新しい日々

 

環は、久々に帰宅して、仮眠を取った。

ぐるぐる巻きにされた足を引きずり、出勤の準備をせねばとクローゼットを開けると、見覚えのない服が沢山あった。

高久が買い集めたものだ。

デパートで買い求めるような値の張る物で、確かに仕立ても良く、着心地もいいのだが、どうも着なれないので、つい以前のいつも自分が着ていた隅っこの地味なリクルートスーツに手を伸ばした。

紺色の生地に同じ色の糸でステッチの入ったジャケット。

高久から見れば、ネット通販で買った安物だが、ボーナスで買ったお気に入りのものだ。

懐かしさに心が震えた。

今このクローゼットで自分のものと思える物は、この服だけのような気がして、服に声をかけた。

「ああ、あんた元気だったぁ・・・?もう、高久に、こんな端っこに追いやられちゃって・・・。ああ、落ち着く・・・」

埃をぱっと払い、まずスカートを履こうと・・・履けなかった。

上がらない。太腿で止まってしまう。

「何これ・・・?縮んだの・・・?」

ジャケットも羽織ると、肩が入らず、腕がぱつぱつだった。

まさか、と環は洗面所に向かい、体重計を引っ張り出した。

「・・・え・・・?」

春の健康診断より、十四キロも太っている・・・・。

「壊れた?え?でもこれ買ったばっかり・・・」

鏡に映る自分の顔を改めて見つめると・・・どうも、丸い。

体重計の故障でもないし、自分が早期老眼になったのでもないようだ。

全ては食生活のせいのようだ。

毎日毎日、好き放題にデパ地下だのコンビニだので食べていたらしいのは知っていたが。

スカートどころかジャケットが入らなくなる程肥えさせるとは。

環は顔を覆った。


 というわけで、目下環は機嫌が悪い。

食べないダイエットもうまくいかず、ならばとジョギングでもしようとしても足が痛い。

腹筋や簡単なストレッチ等、運動すると腹が減って倍食べてしまう。高久の暴飲暴食のせいで、胃が大きくなっているのだろう。

そもそも以前より体が重くて運動するとすぐ息が上がる。

環は二学期の終業式を終えて、教壇でクラスの生徒に語りかけていた。

「・・・さて。明日から冬休みです。高校二年生の冬休みですね。皆さんの予定はなんでしょうか」

各々、スノボ、南の島へ旅行、冬山登山、鉄道一人旅、合コン、というお楽しみいっぱいの予定があるようで、勝手に私語で盛り上がっている。

予備校の冬季講習という答えが一人もいないのがさすがだ

「・・・皆さんインフルエンザや胃腸炎に気をつけて。おうちに帰ったら、毎日うがいてあら・・・こらあ!お前ら、聞けー!!!」

すっかり冬の予定を巡って騒ぎ始めてしまった生徒達に向けて環は怒鳴った。

「なんであんた達は先生の話を聞けないの!?いい?風邪や病気に気をつけて!事故に遭わないように!怪しげな場所には近づかない!知らない人についていかない!不純異性交遊もしないでよっっっ」

「不純じゃなきゃいいのかよ」

「そーだそーだー」

ぐっと環が詰まった。

「・・・不純じゃないなら、・・・いい」

おおっと教室が湧いた。

ダメ、止めなさい、ストップ。

母親よりも口うるさくNOの言葉しか言わなかった担任が、YESと言う日が来るなんて。

「不純じゃないならっ、ですからねっ。自分も相手も大切にすんのよっ。・・・って、あんたたちっ、きーけーっ。自分の行動に責任を持って!頼むからねっ」

はい以上!とホームルームを勢いで終わらせ、環は残務処理に保健室へと向かった。

ふう、と環はため息をひとつつくと、靴を脱いでソファに座った。

くじいた足がまだ痛い。

ノックがして、高久が入ってきた。

「失礼しまァす・・・・・・・」

ちっと環が舌打ちした。

「・・・・なんだよ、機嫌悪いなあ・・・」

「悪くもなるわっ。ぜんっぜん体重戻らないっつーのっ」

「・・・それは、ほら、年取って代謝落ちたってやつじゃねえのー・・・」

その事実も最近痛感していたので、環は更にぶんむくれた。二十代の頃は、一食置きかえダイエットでもすればするすると5キロくらい落ちたのに・・・。

入院していて期末試験を受けられなかった高久は、冬休み中に再テストが待っているのだ。 その為に、環が勉強を教えることになったのだ。

「とりあえず赤点取らなきゃいいよー。どーせ学年7位から転落じゃん」

まるで他人事のように、粒餡のたっぷり乗った草団子に食らいつくばかりで、高久は教科書すら開かない。

そのテーブルの上に、金色の鶴のシールが貼られた白い封筒が一つ置かれている。

今朝、紫に手渡された、結婚披露宴の招待状だった。それだけでもびっくりなのに、お相手の新郎が、あの白鳥学だというのだ。

「・・・・はあー・・・わかんないもんねえ・・・・」

まさかあの紫が白鳥と結婚するとはねえ・・・。

「つーかさあ、白鳥、学園長に、フショーの姪を押し付けらけたんじゃねえ?あんな女、おっかなくて先生なんかやらしておけねぇもんなあ」

なかなか鋭い。多分そうだろう。

だが、それだけでもないと思うし。

紫がなんだか嬉しそうだったじゃないか。

「いいじゃない。二人が幸せならさ」

「えー。ユカパイ、あれ絶対、結婚ハイじゃねぇ?一年もしてみろよ。また、アキラあたりとさあ・・・んでフラれてまた事情知らない新入生に色目使うんだ。あーあー、また可哀想な犠牲者が増えるんだ・・・」

彼女のことだ。無くは無い話で。

環は想像してちょっと笑った。

「笑い事じゃなくねぇ?」

「だって。想像したら、なんだか・・・おかしくて・・・」

「あーもうまた。他人事だと余裕でこれだ。先生、自分のところどーなってんだよ」

預かっていた離婚届は、すでに環に返していた。

「・・・・私も。年内」

涼太には、高久が退院してからすぐに、離婚したい旨を話していた。

不思議だったのは、諒太が驚いたこと。義母が驚かなかったこと。

「マジか」

「うん。・・・皆、再出発ね」

年内に離婚届を提出する予定だ。

新居は、目星をつけてあるので。あとは契約するだけ。

「慰謝料とかは?うちの母ちゃん離婚した時は結構貰ったらしいんだけど・・・」

「参考にならないわよ。あんたんち金持ちなんだもん。ま、別にどっちが悪くて離婚するわけじゃないしね。養育費がどうのって話しもないし。さっぱりしたもんよ」

「・・・・ふーん・・・」

「名前が元に戻ります。住むとこ変わります。あとは何も変わりません。・・・それだけよね。別にほぼ一人暮らしみたいなもんだったし」

さて。と環は、机の引き出しから問題集を取り出した。

「さて。やるよ。現国からやる?英文法も途中だったよねえ?数学ってどこまでやった?」

例え、順位が落ちるのがわかっていようが、少しでもテスト勉強をしなければならない。

「数学の白鳥先生と言えば、これ」

五十六にクリアケースに入ったプリントを手渡す。

「何これ」

「白鳥先生にあんたのこと相談したら。テスト対策に下さったの」

へえ、と高久は赤ペンがあちこち詳しく入っているプリントをめくった。

白鳥の几帳面な筆跡で、細かくコメントが入っている。

高久がわからないのであろうと彼が考えた部分には、注釈や説明が分かりやすく書いてあった。隅っこに、ベストを尽くしなさい、と一言添えてあった。

案外、熱い男なのかもしれない。

それに引き換え。

「・・・女って基本、冷たいよな・・・」

ぼそっと高久がそう呟いた。

環も、紫も、母だって。

「・・・・幸せにして貰うしかないのよ、男は。幸せになりたい女に、一緒に」

不幸に執着しない。それが幸せになるコツ。

「・・・言うねえ、先生」

「おかげさまでね」

「ふーん。先生は幸せになるの?」

「意欲は、十分、あります!」

「あっそ。・・・じゃ、責任とってよね」

「え?何だってー?」

「なんでもねーよ」

「なんか言ったよ。何、気になるじゃない」

「言ってねえって。ババアだから聞き間違いだろ。・・・ほら、んじゃ、おベンキョーしますかっ」

五十六が、おかしそうに笑った。

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