第38話 灯台、もっと暗し

受験だ受験だと神経質になる環と反対に、何とかなんじゃねーのーといういい加減な五十六に受験の緊張感はゼロだ。

そんなことより・・・。

スマホを確認した。

アプリのカレンダーに、ハートマークがついている。

排卵日になったよ。とピンクのウサギのキャラクターのコメントがついていた。

ふんむう、と深く鼻息を吐いた。

高久は大股開きで深く腰掛けていたソファから、最後の戦いに挑む武将のように立ち上がった。

天下分け目の関ヶ原。

気合は十分だ。

女性ホルモンにいいと言われて、豆乳もここしばらく毎日一リットル飲んでいる。おかげでちょっと下痢気味だ。

ネットで調べたヨガもやってみた。全身脱臼しそうですぐにやめたが。

どんだけ運動不足なんだ、このババア・・・。

しかし。とにかく自分ができることからしよう、と思う。

この日の為に勝負パンツをブラとセットで三着購入した。

これが、父の名義のカードで買う最後の買い物になろうとは・・・・。

今まで散々爆買いしてきたが、さすがちょっと気が引けた。

・・・チョーごめん、父ちゃん。

でも必要なものだから。

勝負には勝負服が必要だ。

・・・・今まで、パンツだけは拒否してきた。

浮かれてデパートに行っちゃあ、片っ端から服を買い、化粧品を買ってきたけれども。

どうしてもやはり違和感があって、女物は履かないでいた。

だが、今こそ。

目の前に並べた、赤、水色、黒の下着をしばらくの間、睥睨していた。

・・・・よし。まずは、赤だな。

残りの二つをバッグに放り込んだ。

「よし。いざカマクラ」

高久は、一時間時差で、三人の男に会うよう段取りをつけていた。


「なっんっでっ・・・だよおおおっ」

手に持っていた妊娠検査薬の表示がマイナスなのを確認すると、高久は手に収まるほどの検査薬を力任せに床に叩きつけた。

プラスチックの検査薬は、床ではじけて飛んで、自分の額に当たった。

「いってぇっ。あーっ、きったねえっ」

イライラが募る。

拾い上げて無造作にゴミ箱に突っ込む。

・・・・おかしい。

死ぬ気でやりゃ大抵なんだってクリアできるんじゃないのかよ。

どーすんだよ、時間がないってのに・・・・。

 

 昨日、環は一時間刻みで同じホテルに三人待たせていた。どうしてもお話ししたいことがあると・・・まあ、簡単に言うと、たらしこんだのだ。

念には念を入れて、上から順に十一階に一三、八階に青柳、三階に諒太、とハシゴし、そのまま自分は一階のロビーを抜けて帰るという、ナイスな作戦だ。

今朝起きて、開店と同時に駅前のドラッグストアに寄って、妊娠検査薬を買ってきたのだ。

「あいつら屁の役にも立ちゃあしねえなぁっ」

そう八つ当たりすると、またミルクティをガブ飲みする。

妊娠検査薬の外箱もさっさと捨ててしまい、説明書なんて読まないタイプの彼は、妊娠検査薬というものは妊娠すればすぐに結果が出るものだと思い込んでいる。

そして、行為に及べばすぐに妊娠するものだと思っている。

・・・まずい。

高久は頭を抱えた。

なぜこんなに焦っているるのかというと。高久は、毘沙門天と取引をしたのだ。

高久は、死ぬことになる。それはどうしようもないと。

ただ、なるべく早めに輪廻転生の輪に加えてくれるよう采配すると。

つまり。手心加えてやるから、自分のポカには目をつむれということだ。

「すっごいぞお前。何人待ちだと思う?今現在で九千万九千九百九十九人待ちなんだぞ。普通なら、一億番目だ。それを大サービスで、九千九百九十九番目にしてやろう」

毘沙門天が胸を張って言った。

ただ、緊急特別措置で体が様子出来ぬ。その為、自前で用意しろ、とのお達しなのだ。

「方法は問わぬ。そなたが転生の輪に連なるその日までに器を用意せよ」

五十六は言ってる意味わかんねえ、と首を傾げた。

「誰でもいいから適当に産んでもらえ。お前の体、入院してんだろ?一日中暇なんだからさ」

「ええっ。び、病院で誰かナンパしろっうの・・・・?!」

「おぬしやる気あんのか?あのなあー、たいして偏差値高くありません、予備校も行ってません、でも難関校行きたいですっていってるようなもんなんだぞ。・・・普通にしてて合格できると思うか?!」

人智を超えた存在とは人間とやはり思考が違うのだろう。非情で強引で、欠落してる。

しかし、誰でもいいって・・・。

環にこんな提案したら、私に病院でそんなことしろっていうの?ここまでバカだと思わなかった!病気で死ぬ前に、あんた殺して私も死ぬ!とか怒り狂うだろう・・・・。

・・・かくて高久は不本意ながら、自分で妊活に励むことになった。

月に数日しかないという最もベストな日に合わせて。

回数こなせないから、そこは頭数でカバーすることにした。

まさか女の体で、しかも三十代の。

その上、相手はすぐに用意できる、手近な兄と、ヤギと、諒太にした。

今から、出会って、告って・・・なんて時間がないのだ。

全く変な気分だったが、勢いでこなした。

死ぬ気で頑張った。それこそ生まれ変わる為に。

・・・・・なのに。

なんで上手くいかねぇんだよ・・・・。

「やっぱ、アレか?トシか?・・・こっちもババアならあっちもジジイだからか、くっそーー。何が悪いんだ??ぜんっぜんわかんねえ・・・・角度とか・・・??」

自分と紫の時なんて、愛なんかなかったが、それこそスポーツのトライアスロン並みに・・・。なんせ高校生だもん。

・・・・ん。

と高久は考え込んだ。

「自分がすごくて光り輝くもんだから、暗い灯台がもっと暗くなるという、これぞ灯台もっと暗し・・・」

正しくは灯台下暗しだ。そして間違っている。

どうして気がつかなかったんだろう。ひらめいちゃった。

一番信用できる、実力を秘めた人材がいるではないか。

そうと決まれば、風呂入ってさっさと寝ちまおう。

 

 五十六の閃きのおかけで、環は悪夢に苛まれることになる。

遅くまで次の授業の資料整理をしていて、眠りについたのは2時過ぎだった。

が、夜明け頃に、寝苦しくて、息が上がって・・・ついにこの体に発作が来たのかとうっすらと目を開けると。

腹の上に、何かが乗っていた。

成仏できない病死した霊?!

「な、なみあむだあぁ・・・・・っ」

そう声を絞り出すと、その地縛霊も、うああっと悲鳴を上げた。

「・・・びっ、びっくりすんなあ。いきなり病院でお経とか勘弁しろよ・・・」

聞き覚えのある声に環はさらに驚いて、手探りで頭上のライトをつけた。

ぱっと照らされて眩しさに目を細めたのは、自分、じゃなくて、高久だ。

「・・・なんだ、びっくりさせんじゃないわよ。心臓止まったら死ぬって何度も言ってんだろうが・・・っ。何してんの・・・?!って、わぁぁぁっ・・・」

なぜ高久が今頃ここにいて、自分のパジャマのスボンを脱がしにかかっているのか。

「しーっ、って。はいはい」

「ちょっとアンタ・・・・ッ」

何をしようとしているのか、思い当たって環は絶句した。

「・・・不本意だろうけど。一生のお願いだから」

それ前も聞いたっ!と叫ぼうとして、環はあまりのことに頭が真っ白になった。

・・・・・まさか。こんなことになるとは・・・・。

「あー・・・やっぱ勝手知ったる自分だわ・・・。最初からこうすりゃ良かった・・・」

五十六がぐっと近寄ってきた。

これはきっと、夢だ。

それか、やはり発作が来て、苦し紛れにおかしな幻覚を見せているのだ。

これは発作が見せる幻覚なのだろう。あー死ぬんだきっと・・・。

環はそのまま目をつむった。

「・・・なんだ。寝ちまいやがんの」

五十六はよいしょっとベッドから降りた。

手早く身支度をすると、別にそののまでもいいが、ちょっと丸出しでは自分が哀れだから、脱がせた下着とパジャマを元どおりにした。

面白いのは、環は眠っているはずなのに、「あしー!」と言うと、ちゃんと足を上げて協力することだ。

ベッドサイドテーブルに、本や写真が積まれていた。

また遅くまで資料作りをしていたよゔだ。

「・・・無茶すんなよな・・・。マジ早めに死んじまうっつうの・・・」

保健体育と書いてある教科書を手に取る。

付箋やマーキングがびっしりで、所々書き込みもある。

「・・・ふぇぇ・・・真面目だねえ・・・」

死ぬかもしれないという時に、何やってんだか。

自分なら、パーッと遊んでしまいたいのに。

ん、と手が止まる。

妊娠と出産を取り扱ったページだ。

どうも次の授業用に準備していたらしい。まだ見たことはない。

「・・・・ん。なになに・・・。月に一度、18ミリから20ミリに成長した卵子が卵巣から飛び出すことを排卵といい、それを卵巣表面でなでるような動きをしている卵管が吸い上げる・・・。うええ・・・っ、卵管てこんなイソギンチャクみてぇのが動いてるのかよ・・・。卵子って、イクラくれえなのかよ・・・。ウヅラの卵くらいあんのかと思ってた・・・」

そのイクラが、人間の形になって、自分になったり、環になったりしたわけか・・・。

「すげえなあ・・・・」

うまくいったなら、この腹の奥でイクラが大きくなっていくはずだ。それこそ、自分になるために。

「・・・・え。妊娠ってすぐにわかんないのかよ?なんで??」

ドラマとかだと、おえっとなって、便器に顔つっこんでゲロゲロ吐いて、すぐ腹が大きくなってるじゃないか。

「妊娠検査薬の使い方・・・。尿をかける・・・。んなの、じゃんじゃんかけたっつうの・・・。ん?次の生理開始予定日から一週間後から分かる???はぁぁ?」

なんだそれは。それじゃ、あの時点で、あと二十日近くわからないということか。

「・・・マジかー・・・・」

どうりで陽性反応が出ないわけだ。

赤いボールペンで、その部分をぐりぐりと丸で囲った。

「ここ大事だぞ・・・っと」

ふむ。ということは。もしかしたら、もしかするかもしれないわけで。

昨日の努力も無駄ではないかもしれない。自分の今の努力も実を結ぶかもしれない。

まあ確率は、上がったよな。

五十六はひとつ伸びをすると、バッグにテーブルの上の資料を詰め込んだ。

お預かりします。あとでデータにまとめて持ってきます、とメモを置いた。

環の顔無事を確認しようと、顔を寄せた。

「あーあ。死んだように寝ちゃって・・・」

自分はこんなふうに安らかな顔でその時を迎えるのだろうか。

手術中に死ねば、麻酔がキマッてるだろうから、眠ったまま死ぬかもしれないが。心臓が壊れて死ぬなら、苦悶に満ちた表情で死ぬのかもしれない。

「・・・・あー、マジありえねー・・・」

とんでもない体験をしたものだ。

五十六はなんだかおかしくなってきてにんまりと笑った。

「・・・先生、悪いけど、もうちょっと付き合ってね」

そう言うと、環の額に軽く唇を寄せた。

今度はまた違う形で、お会いしたいと思います。

さて。まだ6時前だ。

牛丼屋で朝定でも食って行くか。

ほら、栄養取らなきゃなんないもんなあ。

五十六は足取りも軽く病室を抜け出した。

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