第36話 お互いに都合のいい人生

「ちょっと、アレ、何書いたのよ!?」

「えー、先生の名前と学校名と連絡先。俺、名刺なんか持って来てないもん、しょーがないじゃん」

「だからって、人様の名刺に名前書いてつっ返すなんて、社会人として最低じゃないのよ?しかも、黒ボールペンじゃなくて、何なのそのぶっといペンは?」

「すげえんだよ、これ!アスファルトにもガラスにも鉄にも書けんの!」

「…そんなものに書く機会、あるの?」

うーん、と五十六いそろくは首を傾げた。

「いや、ねえけどさ?それよりさあ?」

よだれが垂れそうなゆるんだ口元で五十六いそろくがある提案をした。


「お待たせしました~。和風小倉抹茶クレープです」

「はい・・・」

たまきはクレープを受け取った。

隣では、山のようにクリームとイチゴを盛ったクレープに五十六いそろくが食いついていた。

「・・・あんた、クリーム、だいぶ落ちてるんだけど」

「おっと・・・」

五十六いそろくがクレープを頬張った拍子に、生クリームが服に落ちていた。

「あー、もう・・・その服、高いんでしょ?」

自分が買った事もないブランドの服らしい。

デパートの婦人服売り場の店員が見繕ったものを片っ端から買ってきたもののひとつとの事で、恐ろしくて値段は聞けない。

「うん。まあねー。ま、洗えば大丈夫。角のクリーニング屋のおじちゃん、何の汚れでも取れる自信があるっつってたし」

「・・・・まさか服、全部クリーニングに出してんの?」

「パンツは洗ってるよ。あとブラジャーな。手で洗えってデパートの下着売り場のオネエさんに言われたからな。・・・なんか変な気分で洗ってるんだけど」

たまきはもう聞くまいと首を振った。

持っていたタオルハンカチを店員にお湯で絞って貰うと、五十六いそろくの服のクリームを拭き取った。

「私、服、洗うから。あとでよこして」

「え?こういうのって自分で洗えんの?」

やりぃ、と高久は笑った。

ランドリーバスケットに、何枚も溜まっているのだ。

たまきに押し付けてしまおう。

「うまいー!俺のこれ、ほら。春って感じじゃね?イチゴいっぱいでよー!」

能天気に五十六いそろくは食べかけのクレープを見せて、たまきのクレープと見比べる。

「先生のは・・・敬老の日って感じだな」

苔むしたように抹茶が振られ、甘納豆や栗の甘露煮が古刹の玉砂利のようにごろごろしている。

「・・・文句でもあるんですか?・・・だいたい、なんでわざわざこれだけのために原宿なのよ。そこらへんの駅ビルでもクレープ屋あるじゃないのよ・・・」

たまきにとって、イマドキの若者がひしめきあっている原宿なんて、肩身が狭くてしょうがない。

「今時の若者だっつうなら、パンケーキじゃないの?パンケーキ!」

たまきが耳で齧った最新の知識を得意気に披露すると、高久は、オバちゃん、わかってないな、と五十六が首を振った。

「あのね。ここで、クレープを食うつっうのは、人生において若者のイベントなの!・・・お?」

五十六いそろくがクリームとジャムでべたべたの手でスマホを取り出した。

「来た来た。ヤギが一匹釣れた~」

嬉しそうにメールを見せる。

たまきは画面を覗き込んで凍りついた。

青柳からのメールらしいが、何故、五十六いそろくのメールアドレスに、自分宛のメールが届くのか。

しかも、会食がどうのという内容。

「は?は?なんで、青柳先生と、私がお食事しなきゃなんないのよ?」

「まさにお食事件だぜー」

「・・・今、汚職事件関係ないよね・・・?」

「え?お食事することをいうんじゃねえの?まあいいや・・・」

五十六いそろくはチョイチョイと簡単にメールを返した。

「ん。よし。来週、折り入って、ヤギとしゃぶしゃぶ食ってくる」

「なんで・・・?」

全く話が読めない。

「本当のこと話すつもり?いくらお医者さんだって、こんなバカみたいな話、信じてくれないよ?」

融通効かない毘沙門びしゃもん様ではなく、現代医療に助けを求めるつもりだろうか。

とすると、脳神経科あたりの医師を紹介して貰うつもりか。

「違うってー・・・。わかったんだよ。・・・先生、今モテキなんだよ」

「はあ?」

「だってよ、兄ちゃんだろ、あと青柳先生。考えてみるとよ、あんなんだけど、兄ちゃんは、一部上場の会社のリーマンだしよ。しかも、ポカしなきゃ、シャチョーだぜ。んで、ヤギ先生は、ほれ、あの通り、医者だしよ。オニ先生の弟子ってだけでも、実はあの人すげーらしいよ。エリートリーマンと医者だよ、先生!どうよ!?」

興奮して五十六いそろくが迫ってくるのに困惑してたまきは体を退いた。

「どうって・・・。でも私結婚してるしねェ」

その反応の薄さをじれったそうにして五十六いそろくたまきの背中を叩いた。

「あんた補欠とか控えの選手レベルだけどさ。まだ試合から降りたわけじゃねえだろうよっ・・・しっかりしてくれよ先生。あんた、チャンスなんだよ?!」

「いやー、どっちかっていったら、ずっとピンチですけど・・・」

修学旅行以来、ずっと混乱と危機の真っ只中である。

「ピンチはチャンス!!いいかあー?先生は、俺の体をパーフェクトな状態にする!できれば大学も合格して欲しい!」

「ええ・・・?そんな、あんたにだいぶ都合良くない・・・?」

「だって!もしかしたらしばらく体戻らないかもしれないじゃん!?大学四年もありゃ、さすがに戻ってると思うしさあ。…まあ無理なら、ガツガツ筋トレもして警察官試験も受けてください!」

「・・・えええー。やだー・・・」

なんという壮大な他力本願のせこい計画だろう。

また大学に行けというのか。

しかも、男子学生として。

「やだじゃないよ!・・・んで、俺は。とにかく、同時に、諒太との関係をなんとかしつつ、兄ちゃんとヤギ先生を手玉に取り、一番いい物件をオトす!」

「ええー?・・・バカじゃないのあんた・・・」

あまりにも呆れてしまった。

高校生ってこんなバカなことを考えるのだろうか。いや、こいつだけか。

「なんだよ、嬉しくないのかよ?先生の人生、伸るか反るか、人生、賭けるのは今だ!」

「・・・いや、ヒトの人生、勝手に賭けないでって。つまり不倫だ離婚だからね、アンタ、それ」

「エッ!?そうなの!?」

「そうだよ…。大体、だってさあ。モテキったって、モテてんの私じゃないし。中身が違うんだもん。あんたそんなの、嬉しいと思う?」

「・・・なんだよ。だったらよ・・・俺だってそうじゃん。学年会議でもさ、最近の高久は素行もいいし成績も右肩上がりだとかえらい持ち上げられてよ。テストの結果張り出されてたじゃん。学年7位なんか取ってよ。うちのクラス散々、親の七光クラスなんてバカにしてた進学組のやつら、すげー悔しがっててよ。ザマーミロと思ったけど・・・。でもそれって、俺じゃねえし・・・」

たまきもため息をついた。

「・・・自分じゃないほうが評価高いってさ。・・・今までがすごくダメ人間だったって気しかしないわよ、私・・・」

五十六いそろくと入れ替わってから、間違いなく外見も良くなったし、仕事の評価も高いし、夫も向き合ってくれるようになった。

一応、職場での友人も出来た。

その上、男性二人が自分に好意を持ってくれているという。

でもそれは、全部自分の成果ではない。

「それに、父ちゃんも兄ちゃんもよく帰ってくるようになったみたいだしよ・・・。あいつら、家で、俺と飯なんてまともに食ったことないのにさ」

ぽつり、と五十六がつぶやいた。

「・・・俺じゃできないこと、先生が全部やってくれて・・・」

それはこっちだって同じだ。

「私だってそうよ。・・・気持ち的には複雑だけど、あんたが放り出さなかったから、私は仕事も続けられてるし、ありがとうね」

「おう。俺も!これからもじゃんじゃん点数稼いでくれよなっ。あ、俺一個大事なことやってないじゃん!

「何よ?」

「俺だけモテてない!先生、マジでモテレベル低いんじゃねえ?俺、来年こそはバレンタインにチョコ貰いたいんだよ!」

「・・・チョコなんかほぼ毎日食べてるんでしょ?」

しかもたまきには手が出ないような高級黒船チョコ。

「違う!彼女から貰いたいわけよ」

「・・・だって彼女いないじゃん・・・」

「だからー、ほらほらっ!バレンタインまでまだあるじゃん!?」

彼女を、作るところからやれと・・・?

「・・・あのさ、ゆかり先生みたいなタイプはもうアンタには荷が重いんじゃない?だからさ、やっぱり歳の近い普通の女の子がいいと思うんだけど・・・」

大体、ゆかりみたいな女性とどこに行けばお近づきになれるかもわからない。

「だってよー、そんな・・・、JKと、お、お話したことなんかないし・・・あの、でもー、あの、メガネなんかかけたかたとか、いいよなー」

チャラチャラと女教師に遊ばれていたくせになかなか今更純情な希望だ。

ハードルが高い。

「・・・じゃ、とりあえず、来月。ほら、東海林しょうじの妹の学校の文化祭行くから。その時に、ちょっと今ドキの同年代の女子を見学というか、勉強してくる・・・」

「え?!マジ?!ほんとに行くの?いいなー!俺も行きたいっ!ずるいっ。体、戻れー!」

身悶えして五十六いそろくは悔しがった。

本当に。できれば、来月に入ったらすぐにでもなんとかしてくれないだろうか。

毘沙門びしゃもん様が帰ってくるまでの、あと二週間があまりにも遠く感じた。

一ヶ月もの間、世の人の平安の為に神々は集ってサミットをしているわけだ。

それだけでもありがたいものだとたまきは思った。

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